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教育ノートから「教師」32-「戦後の日本の子ども観を見直す」 明石要一 明治図書 1995年 ④ [読書記録 教育]

今回は 5月28日に続き、「教育ノートから 教師」32回目、
明石要一さんの「戦後の日本の子ども観を見直す」4回目の紹介です。


出版社の案内には、

「宿題がないと不安がる『宿題依存症』など、日本の近代社会では見ることのできなかっ
 たタイプの子どもがふえている。戦後50年の子どもの生活を社会構造の変化と絡めて
 明らかにし、理解を超えるといわれている現代の子ども観を見直す。」

とあります。





今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「成績モノカルチャー = 夢と希望をなくした」


・「子供にとって友達と遊べるのは皮肉にも学校という空間だけになってしまった
学校による子供の『囲い込み』 = 学校人間」


・「『とりっこ』が行われていない」
- 「花いちもんめ」をこのごろは見ません。


・「しゃべらなくても生活できる社会」
- やりとりのない社会は淋しく感じます。


・「一日六十分以上の休み時間確保」



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☆教育ノートから「教師」32-「戦後の日本の子ども観を見直す」 明石要一 明治図書 1995年 ④

◇戦後第Ⅲ期(1976~1991)  週単位の子供生活サイクル
 
□「学校」と「部屋」の子供たち  

 子供像の拡散


「子供調査研究所」
  深谷昌志・和子 生活空間変化

「労働・勉強・遊び」


  勉強とテレビに閉じこめられた子供
「巣ごもり現象」指摘


 成績モノカルチャー = 夢と希望をなくした
 




□「教師受難の時代」

 教師の権威の相対的低下

 - 子供「異界」に住む見知らぬ人




□「週」単位の子供の生活サイクル
   
 忙しい子供たちの登場


「学校人間」
 子供にとって友達と遊べるのは皮肉にも学校という空間だけになってしまった



学校による子供の「囲い込み」学校人間








◇結び
  
□「仕切り屋」 

 とりっこ - 二組に分かれて遊ぶとき



  とりっこが行われていない
   



□仕切り屋が消えた理由

 ① しゃべらなくても生活できる社会

一日の間自分から一言もしゃべらないでも生活できる時代

子供にとって不都合な社会

手を挙げなくても生活できる
= 手を挙げなくても大人が世話をやいてくれるから困る体験をしない


② 7~10名の中間集団を経験しない




□学校・学級組織の見直し

仕切り屋が育つ中間集団形成
① 中間集団の活動を用意する

7~12名サイズに 体育チーム


② 休み時間を見直す  

一日六十分以上の休み時間確保
低学年と高学年でわける必要


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