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『オレ様化する子どもたち』諏訪 哲二 中央公論新社 2005年 ③ [読書記録 教育]

「ここに論理はない もはや教育とは言えない = 救済である」



「学校が伝統的に持つ独自の権威や輝きを失って,市民社会的欲望の○○の存在になって
 しまった」


「教師  
 ○不定型で不確定で不安定な子どもたちを毎日相手にしている。
○授業だけに集中できたらどんなに幸せか,どんなに楽か。」










今回は 6月13日に続いて、
「オレ様化する子どもたち」3回目の紹介です。


出版社の案内には、


「かつての『ワル』は、対等をめざして大人に挑戦してきた。しかし、『新しい子どもた
 ち』は、端から自分と大人は対等だと思っている。彼ら・彼女らは、他者との比較を意
 に介さない。自分の内面に絶対的な基準を持つ『オレ様』になったのだ。『プロ教師の
 会』代表の著者は、教職生活40年の過程で、子どもたちの変化と格闘してきた。この
 体験をもとに、巷に流布する教育論の正否を交通整理しつつ、「オレ様化」の原因を探
 り、子どもたちの『個性化』と『社会化』の在り方を問う。」


とあります。





今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「学校が家や地域(住民)の社会的(経済的)欲望の『出店』になったのである」


・「和田秀樹 = 必要なのは「市場原理」「競争原理」論
(贈与論でなく商品交換論)」
-『出店』化の推進者と言えるでしょうか。


・「学校は …  ①知識を学ぶ場 ②人間として成長する場」
- バランスが大切なのに…
  

・「こういった自己形成のプロセスをみんながクリアして学校に来るのでは ない。また,
知力の差もある。<学ぶ以前の困難>」
- 学校教育スタートの段階でそれまでの幼児教育、家庭教育等により「違い」があるの
 は当然ですが、わたしが教職に就いた当時に比べると大変大きなものになっています。
 

・「尾木 = 『現在の学校は根本的に悪い』論」


・「教師は子どもの『自我』」と同じ平面に立つ(等価交換する)のではなく, 超越的な『贈
  与』の教育的位置に立つべきである。」





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☆『オレ様化する子どもたち』諏訪 哲二 中央公論新社 2005年 ③

1.jpg

◇教育論者の子ども観を検証する
 
(8)宮台真司

 -「社会の学校化」か「学校の社会化」か


 すべての知識人は共同体主義者?
宮台 - 「共同体的システム」悪者論


 共同体的学校観と市民社会的学校観


 郊外化の評価


 学校化社会を巡って
「学校が家や地域(住民)の社会的(経済的)欲望の『出店』になったのである」



  学校が伝統的に持つ独自の権威や輝きを失って,市民社会的欲望の○○の存在になっ
 てしまった



 自我と自我のデスマッチ 「象徴的な父」の役割
「あるべき自己」と「現実の自己」との併存
 




(9)和田秀樹

- 学力低下論の落とし穴


「子どもはすばらしい」論の欺瞞


 市場原理の中の子ども
和田秀樹 = 必要なのは「市場原理」「競争原理」論
(贈与論でなく商品交換論)


 学校が変われば解決するのか?
  子ども(ひと)は知識を注入できる容れ物ではない



子どもは自ら学ぼうとしなければどんなにたくさん授業を受けても学べない
 




(10)上野千鶴子 

- 偏差値身分制と児童虐待

「偏差値身分制」とは?


 幼児虐待における「自我の物語」


 和田氏と上野氏の共通点
  = ①に重点


学校は…  ①知識を学ぶ場
②人間として成長する場


※教師  
  不定型で不確定で不安定な子どもたちを毎日相手にしている。

授業だけに集中できたらどんなに幸せか,どんなに楽か。



授業を成立させるためには日常生活全般における指導が必要になる


○子どもはラーニング・マシーンではない!

第一段階(家庭)  

   現実・非現実の境界が発生し,自我が形成され始める



 第二段階(地域)                                                                          
 ゲームや遊びなどにより集団性やルール,リーダーシップなどを学ぶ。子どもの自
  我は相対化される。


 第三段階(学校)  

   直接的な生活性から離脱して個人を超える「知」や,世界と出合う。ここで自立的
  な個人(市民)の基礎(土台)がつくられる。



 こういった自己形成のプロセスをみんながクリアして学校に来るのでは ない。また,
知力の差もある。                                                <学ぶ以前の困難>

 




(11)尾木直樹

 - 学校告発はなぜ不毛なのか


 悪いのは学校なのか 
尾木 = 「現在の学校は根本的に悪い」論


 子どもを杏立っちゃブルにする危険性
     

 子どもたちの「新しい発達」をどう解釈するか 


 不登校の論じ方


 ユートピアからの批判 
  ユートピアから討論するのは反則・無効
 




(12)村上龍 

 - 「13歳のハローワーク」とゆとり教育
     

 キーワードは好奇心  


 教育改革の類似点
   - 社会化と個性化
     

 村上少年の成功を普遍化できるか? 


 子どもは一個の世界である


 自己を限定するということ

教師は子どもの『自我』」と同じ平面に立つ(等価交換する)のではなく, 超越的な
 『贈与』の教育的位置に立つべきである。

 




(13)水谷修

 - 夜回り先生は「教師」ではない


 薬物依存,性的虐待
     

 水谷氏 
  - 根源的な孤独

    昼間の市民社会から物理的に排除された子ども


 無償の贈与
   水谷氏 - 「共感」「市民的価値」の保護

神に近い絶対的に無限の贈与に近い位置


<昨日までのことはみんないいんだよ><よし,また一からやり直そう>

 ここに論理はない もはや教育とは言えない = 救済である



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