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教育ノートから「教師」 44-2 [読書記録 教育]

「人間という存在が文化的な存在である限り,個体が望むと望まないとに関わらず訓練や
 教育は不可欠である。」






今回は 7月11日に続いて、教育ノートから「教師」43回目の2、
諏訪哲二さんの「学校に金八先生はいらない」2回目の紹介です。




出版社の案内には、


「『教育熱心』『生徒思い』…金八先生の撒き散らした『理想の教師像』の行き着くとこ
 ろは、子どもへの抑圧と教育の自殺行為に通じている。教育現場での諸問題やプロの教
 師の心得、親や地域との関わり合いについて述べる。」


とあります。




今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「生徒指導のダーティな部分を請け負う教師」


・「教師は今や『裸の王様』 事件が起きると昔ながらの教師への依存と期待が浮上」


・「子供は訓練や教育が必要であり,そのレベルは個体の個々の受容力にあるのではなく,
 その社会の発展のレベルや文化性,宗教性にある。」





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☆教育ノートから「教師」44-2-「学校に金八先生はいらない」諏訪哲二 洋泉社 ②

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◇「自己中」教師は生徒に迷惑かけるだけ
   
 自分が「優れている」から教えることができるのか
 

 理想的教師のネガとポジの関係
 

 人は人を本当に理解できるのか
 





◇学校は「反動的」教師によって支えられている

 教師は今や「裸の王様」

事件が起きると昔ながらの教師への依存と期待が浮上

指導そのものを放棄する



 「言葉で説得しろ」と言うけれど
「怖い教師」がいなくなった


 皮肉な真実
嫌われ役が学校を支えている(いなくなると学校がルーズにいい加減に)



  生徒指導のダーティな部分を請け負う教師

  司馬遼太郎「文化のほとんどが非合理です」
 






◇「人権」「個性」ばかり振り回すと

 教育の必要性を語ることは楽しくない
様々な構築 ~ 学校は訓練的な場



  人間という存在が文化的な存在である限り,個体が望むと望まないとに関わらず訓
  練や教育は不可欠である。



 教師の権威性
教育の必要性

訓練の不可欠性

教師の権威性


  1970年代半ば 日本社会 産業社会 → 消費社会



学校の変容 「平等」「人権」思想
教師と生徒の教授関係すら「平等」「人権」という観点から値踏み

  子供は訓練や教育が必要であり,そのレベルは個体の個々の受容力にあるのではなく,
 その社会の発展のレベルや文化性,宗教性にある。         


個体は外的な文化の力に教育されることによって個人になる。

 訓練教育のプロセスを「個体にやさしく」という立場から改良を加えることは必要だが,「個体にやさしく」を絶対の大前提にするわけにはいかない。


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