「私の日本地図1 天竜川に沿って」宮本常一 未来社 2016年 [読書記録 民俗]
今回は、宮本常一さんの
「私の日本地図1 天竜川に沿って」を紹介します。
出版社の案内には、
「原書は昭和42(1967)年刊。長野県の諏訪湖に水源を発し伊那谷を南下、多くの支流
を合わせ静岡県浜松市の東で太平洋にそそぐ天竜川。昭和17年から39年のあいだにい
く度かさまざまな機会に訪れた沿岸周辺の見聞を、遠州平野・二俣から秋葉道=信州街
道を経て諏訪湖まで、川筋をさかのぼってあるく旅の目で記す。一本の川の下流・中流
・上流の景観、事物にきざまれたそれぞれの特色ある暮らしと文化形成の歴史をよみと
る。写真264枚。宮本常一『旅に学ぶ』、田村善次郎『歩くニュース』掲載の付録『日
本の旅1』を収める。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「日本中世の神事芸能が古い姿のまま行われている」
- 花祭りが知られています。
・「(遠州)平野の民家の特徴 ・点在 ・後ろに林を背負い前には生け垣 ・皆南向き」
- 後ろ2つはわが家にあてはまっています。
・「飛砂防止のワラ」
- 子どもの頃を懐かしく思い出します。
海岸近くのわたしの地域は麦わらで作物の防風をしていました。
今はネットに変わっています。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「私の日本地図1 天竜川に沿って」宮本常一 未来社 2016年
◇はじめに
□天竜川
①上流文化地帯 と ②下流の先進地帯
③その間に他の河川に見られないような閉ざされた世界
□天竜川左岸
遠山地方の遠山祭り
水窪・西浦の田楽
竜戸・草木の神楽
□天竜川右岸
新野の盆踊り・雪祭り
坂部・大谷の冬祭り
設楽郡の花祭り
∥
日本中世の神事芸能が古い姿のまま行われている
□新しい文化 - ダムが造られたため
泰早(やすおか)ダム・平岡ダム・佐久間ダム・秋葉ダム
□日本屈指の林業地
山岳信仰の霊場 秋葉山・山住神社
|
一本の川の沿岸の生活を見た
1 遠州平野
東海道 大正15(1926)年12月 最初に通った(東海道線)
平野の民家の特徴
点在 後ろに林を背負い前には生け垣
皆南向き
松並木
浜名湖
鰻養殖 東岸に多い
えさは鰯
弁天島
州ができ宝永5(1708)年弁天様の祠
白い砂の上に松 → 別荘地・海水浴場
周辺にのりの養殖
畑の境の木
境にマサキやムクゲ → 共同開墾
飛砂防止のワラ
小さい田
小さな田 - 牛馬スキに不適
七島い(しちとうい)
ビニルハウスと温室
茶畑 掛川より東
多くの武士 帰農の努力
街道の町 アスファルト
掛川の町
平野の民家
切妻の家が多い
天竜川治水
金原明善
2 天竜川を遡る
二俣
杣仕事
天竜杉
秋葉街道
雲谷の道
森町からの道
秋葉ダム
中部(なかべ)
佐久間ダム
100人近い犠牲者
3 水窪の谷
水窪へ
昭和34(1959)年7月
~ P62まで
◇解説 なぜ驚くんだろう 魅かれる自分って何だろう 香月洋一郎
宮本常一
「目の詰んだ民俗誌を書け。つまみ食いの調査をまとめて終わるようなことはするな」
『山に棲む民俗誌 序章』 未来社 1995
土佐山中の焼き畑の村の記録
← 大原富枝氏(作家)より手紙
「テーマ」と「モチーフ」
「私の日本地図1 天竜川に沿って」を紹介します。
出版社の案内には、
「原書は昭和42(1967)年刊。長野県の諏訪湖に水源を発し伊那谷を南下、多くの支流
を合わせ静岡県浜松市の東で太平洋にそそぐ天竜川。昭和17年から39年のあいだにい
く度かさまざまな機会に訪れた沿岸周辺の見聞を、遠州平野・二俣から秋葉道=信州街
道を経て諏訪湖まで、川筋をさかのぼってあるく旅の目で記す。一本の川の下流・中流
・上流の景観、事物にきざまれたそれぞれの特色ある暮らしと文化形成の歴史をよみと
る。写真264枚。宮本常一『旅に学ぶ』、田村善次郎『歩くニュース』掲載の付録『日
本の旅1』を収める。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「日本中世の神事芸能が古い姿のまま行われている」
- 花祭りが知られています。
・「(遠州)平野の民家の特徴 ・点在 ・後ろに林を背負い前には生け垣 ・皆南向き」
- 後ろ2つはわが家にあてはまっています。
・「飛砂防止のワラ」
- 子どもの頃を懐かしく思い出します。
海岸近くのわたしの地域は麦わらで作物の防風をしていました。
今はネットに変わっています。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「私の日本地図1 天竜川に沿って」宮本常一 未来社 2016年
◇はじめに
□天竜川
①上流文化地帯 と ②下流の先進地帯
③その間に他の河川に見られないような閉ざされた世界
□天竜川左岸
遠山地方の遠山祭り
水窪・西浦の田楽
竜戸・草木の神楽
□天竜川右岸
新野の盆踊り・雪祭り
坂部・大谷の冬祭り
設楽郡の花祭り
∥
日本中世の神事芸能が古い姿のまま行われている
□新しい文化 - ダムが造られたため
泰早(やすおか)ダム・平岡ダム・佐久間ダム・秋葉ダム
□日本屈指の林業地
山岳信仰の霊場 秋葉山・山住神社
|
一本の川の沿岸の生活を見た
1 遠州平野
東海道 大正15(1926)年12月 最初に通った(東海道線)
平野の民家の特徴
点在 後ろに林を背負い前には生け垣
皆南向き
松並木
浜名湖
鰻養殖 東岸に多い
えさは鰯
弁天島
州ができ宝永5(1708)年弁天様の祠
白い砂の上に松 → 別荘地・海水浴場
周辺にのりの養殖
畑の境の木
境にマサキやムクゲ → 共同開墾
飛砂防止のワラ
小さい田
小さな田 - 牛馬スキに不適
七島い(しちとうい)
ビニルハウスと温室
茶畑 掛川より東
多くの武士 帰農の努力
街道の町 アスファルト
掛川の町
平野の民家
切妻の家が多い
天竜川治水
金原明善
2 天竜川を遡る
二俣
杣仕事
天竜杉
秋葉街道
雲谷の道
森町からの道
秋葉ダム
中部(なかべ)
佐久間ダム
100人近い犠牲者
3 水窪の谷
水窪へ
昭和34(1959)年7月
~ P62まで
◇解説 なぜ驚くんだろう 魅かれる自分って何だろう 香月洋一郎
宮本常一
「目の詰んだ民俗誌を書け。つまみ食いの調査をまとめて終わるようなことはするな」
『山に棲む民俗誌 序章』 未来社 1995
土佐山中の焼き畑の村の記録
← 大原富枝氏(作家)より手紙
「テーマ」と「モチーフ」