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「斉藤喜博さんはこんなことを」⑫-「斎藤喜博教師の実践小辞典」笠原肇 一茎書房 1996年(6) [読書記録 教育]

斎藤喜博 

「教育という仕事は,はかなくて形の残らない仕事だけれども,瞬間に光り輝くすばらし
 いものである。」






今回は、12月3日に続いて、
「斎藤喜博さんはこんなことを」12回目の紹介です。
笠原肇さんによる「斎藤喜博教師の実践小辞典」の要約から6回目です。



出版社の案内には、

「斎藤喜博の教育実践法を復活させ、子どもたちの可能性を開くような授業をし、現代の
子どもたちをいじめや不登校から救いたい。そのために役立つ教師へのエールや教えを
100項目収録した本。」

とあります。




今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「その学校なり学級なりの集団を見れば,その学校,学級なりがどれくらい耕されてい
  るか人間関係に解放されているかが一目瞭然となる」


・「(教師集団が)ただの仲良しでは仕方がない」


・「学校教師は子供の持つ可能性を引き出す責任がある。また、逆に圧迫し駄目にしてし
  まう場合がある」


・「父母や生徒のエゴと闘う覚悟が必要」
- これこそ、斎藤さんの真骨頂。






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☆「斉藤喜博さんはこんなことを」⑫-「斎藤喜博教師の実践小辞典」笠原肇 一茎書房 1996年(6)

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◇飼育・遊び

 斎藤喜博は動物があまり好きではなかったのかもしれない



 解放されていない子どもたちには危険な感じや,騒々しさや不安定感がついて回る




 その学校なり学級なりの集団を見れば,その学校,学級なりがどれくらい耕されている
か人間関係に解放されているかが一目瞭然となる

 





◇談話 

 職員室では授業の話が出てこない



どうでもいいような話に花を咲かせることはあっても肝心なことはちっとも話し合って
くれないのじゃないか


◎ただの仲良しでは仕方がない

 





◇職員室 

 普通の学校では学校の中に自分専用の机は一つしかない

 






◇反逆 

 学校教師 子供の持つ可能性を引き出す責任がある


↑↓


      逆に圧迫し駄目にしてしまう場合がある



 問題は現在の制度の中で学校はどう生きるか

 






◇見える 

 だらだらしているとき → はっとさせる

 






◇はかなさ

 はかなさ論


「教師の仕事は大体に置いて呪われるものだ。

自分に呪われ,子供に呪われ,親たちに呪われるものだ。

仕事をすることによって傷を受けないような教師の仕事などあるはずがない。

 教育の仕事は,どこまでも仕事をしては自ら傷付き,仕事の結果に復讐され,それに
 耐えながら歯を食いしばり自分をむち打って、業のように仕事を続けていかなければ
 ならないものである。」



斎藤喜博 

「教育という仕事は,はかなくて形の残らない仕事だけれども,瞬間に光り輝くすばらし
 いものである。」

 





◇クラス会

 教師の仕事はいつでも悔いの連続である。


 悔恨だけがいつも教師には湧いてくる。

 






◇学校の仕事

 子供たちの可能性を引き出すということは,やはりある厳しさを持たないとできな
い。


 「これを見よ」という立場で地域と決闘していく


斎藤喜博 

「学校と地域が連携して一つの教育をつくっていくことはできない。」



父母や生徒のエゴと闘う覚悟が必要



斎藤式戦闘法は「教室で授業をする」こと




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