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「斉藤喜博さんはこんなことを」⑬-「斎藤喜博教師の実践小辞典」笠原肇 一茎書房 1996年 (7) [読書記録 教育]

「責任のない愛情というものは保育とか学校教育を甘い物にしてしまうだけ
①『子供と教師は対等』などと安直にいうな
②『愛情』などという言葉を使うものではない」






今回は、12月6日に続いて、
「斎藤喜博さんはこんなことを」13回目の紹介です。
笠原肇さんによる「斎藤喜博教師の実践小辞典」の要約から7回目です。



出版社の案内には、

「斎藤喜博の教育実践法を復活させ、子どもたちの可能性を開くような授業をし、現代の
子どもたちをいじめや不登校から救いたい。そのために役立つ教師へのエールや教えを
100項目収録した本。」

とあります。




今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「斎藤喜博の『愛』
子供が世の中でくっつけてくる通俗的なものを学校の中で洗い落としてやること」
- 学校の中でそれを痛切に感じるときがあります。


・「学校は浄化作用を持った機関であり機構だ」
- しかし、疑問もあります。
    通俗的なものはすべて悪いものなのか?
学校が「浄化する」なんて言えるものか?
学校判断がすべて正しいのか?
学校知と世間知は違うものであるのではないか?


・「質の高い授業(教師の本務)」







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☆「斉藤喜博さんはこんなことを」⑬-「斎藤喜博教師の実践小辞典」笠原肇 一茎書房 1996年 (7)

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◇子ども観

□愛情? 

 実践 
  ・子供の中にある美しいものをもっと拡大してみたい

・子供の中にある通俗的なものも汚い物も取り除きたいという強烈な願い



 責任のない愛情というものは保育とか学校教育を甘い物にしてしまうだけ
  ①「子供と教師は対等」などと安直にいうな

  ②「愛情」などという言葉を使うものではない



□斎藤喜博の「愛」

子供が世の中でくっつけてくる通俗的なものを学校の中で洗い落としてやること


 
□学校は浄化作用を持った機関であり機構だ



それへの疑問



 



◇生徒会・児童会

□基盤づくり
 
 ~ 授業 ~ 安心感・自信

 






◇放送 

 マイクを必要としない教育を!

 → 教育的訓練

 





◇絵 

 少しは下手でもよいから,子供が自分を出し全力を挙げてぶつかって行く絵

→「全力を尽くした一部分の見事さに心うたれる」


「私は子供の絵に問いかけることにしたよ。そして何か答えてくれる絵が一番だと思うこ
 とにしたよ。」



     感覚で問いかけ,感覚で答えてもらうしかない
 





◇父母参観日

「皆さんは畑の作物を見ると,この稲はよいとか悪いとかすぐ分かるでしょう。それと子
 供も同じなのです。一目見れば分かるものです。ですから全部の教室を回ってください。
 そして,よい教室と悪い教室とを見比べてみてください。」

 





◇行事 

 行事も授業である

 





◇修学旅行

「殊な機会」が教師と生徒の距離を近づけるという面は否定できません

 




◇生徒指導


 自分が新鮮につくりかえられていくことを何よりの喜びとする

→ そういった本質的な仕事がなされていないときに怠惰になったり反抗的になったりす
 る



質の高い授業(教師の本務)

 





◇リーダーシップ

 教師のリーダーシップ

→「子供の可能性」を引き出すための演出力





















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