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「忘れられた日本人の舞台を旅する」木村哲也 河出書房新社 2006年 ② [読書記録 民俗]

今回は、1月2日に続いて、木村哲也さんの
「忘れられた日本人の舞台を旅する」の紹介 2回目です。




宮本常一さんの旅を追い、宮本さんの魅力を伝えてくれる本です。



出版社の案内には、


「日本各地、文字通りの津々浦々を歩きに歩いた宮本の金字塔『忘れられた日本人』。そ
 の舞台一〇箇所を、二度三度ていねいにたどり直し、宮本が会った人、その縁者に取材
 し続けた、宮本民俗学を今につなぐ若き民俗学徒が脚で拓いた、新たなフィールドの紀
 行。」


とあります。


宮本常一さんのロングセラー『忘れられた日本人』に載せられていた「土佐源氏」。
はじめて読んだとき、衝撃を感じたことを思い出します。
坂本長利の一人芝居については、現在でもテレビ番組に取り上げられています。
 「乞食」とされていたのですが、そうではなかった…
 創作も入っていたのではないか…
そのような疑問に答えてくれるような文章でした。





今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「民話の会 - 木下順二(劇作家),宮本常一(民俗学),益田勝美(国文学)
西郷竹彦(文芸教育),竹田実(文芸教育),吉沢和夫(民話)」
- 豊かなメンバーだと感じます。


・「乞食と書きたくなる要素は多分にあった
・失明・裸+黒・縄を巻く・褌一丁・髪の毛伸び放題 ・宅地は橋より2m低い
 → だが,乞食ではなかった」

「親父もおもしろい話をする人じゃけ,宮本にも乞食だと話したかですろ」

- おもしろおかしく語ってしまうサービス満点の親父さん、田舎にはいるものです。


・「寺川から離れて暮らしたことがないから,寂しいと思ったことは一度もない」
- わたしも地域から離れたことがないものですから、妻からはいろいろ言われます。


・「『モチなし正月』の伝承」
- 各地にあるようですね。わたしは浜北の「小川家」の話を想像しました。







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☆「忘れられた日本人の舞台を旅する」木村哲也 河出書房新社 2006年 ②

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◇それぞれの「土佐源氏」   高知県高岡郡檮原町茶局谷
  
□雲上の町へ 1990.3.22 

 檮原 - 僻地・教養 

「土佐源氏」誕生
1959.8「民話」第11号   「日本残酷物語」「好いおんな」

  親しい橋浦泰雄から檮原の話を聞く


 1941年 檮原へ
柳田民俗学 - 排除:漂泊者,差別者,性の民俗

   民話の会 - 木下順二(劇作家),宮本常一(民俗学),益田勝美(国文学)
西郷竹彦(文芸教育),竹田実(文芸教育),吉沢和夫(民話)

            ↓

 「年よりたち」の連載


「土佐源氏」 
  - 柳田民俗学のタブー(漂白・差別・性)への挑戦

調査から18年もの時間を必要とする勇気のいること
  



□山奥の大動脈 

 1991.3.16 高知新聞「つくられた土佐源氏」山田一郎


 1993.8.12 檮原へ再び 
      孫の下元長利(1929生) - 坂本長利の一人芝居で知る
祖父は山本槌造さん(1864~1945)


 伊予と土佐を結ぶ大動脈 
   脱藩の峠 → 長州を目指した

   橋のたもとに水車小屋 = 竜王橋

   しかし,乞食と書きたくなる要素は多分にあった
・失明 ・裸+黒 ・縄を巻く ・ふんどし一丁 
       ・髪の毛は伸び放題 ・宅地は橋より2m低い

      → だが,乞食ではなかった
  



□船山に登る

 海津見神社(通称竜王神社) 
   竜王橋はその参道

大小2隻の漁船 益三兵衛「竜王様とわたし」

もと蛇と竜の水の神様  1700年代に水害


 1996.3.25
   再訪 → 下元さん宅に一泊


 竜王神社
  「土佐で稼いだ長州大工」
   長州イモ-サツマイモを伝えた
  



□それぞれの土佐源氏

 下元和敏
  - 檮原で第一号の鉄骨建築でたてた一人

農作業 - ベイナスとトマト


 娘のサカエさん(1907年生)
「親父もおもしろい話をする人じゃけ,宮本にも乞食だと話したかですろ」
         
   - 息子さんととらえ方が違う












◇山に生きる人々「土佐寺川夜話」 土佐郡本川村の旅

□「寺川郷談」の村へ
   
 1941.2-檮原から寺川へ,同年12月にも
    

 「寺川郷談」の舞台 1751年春~1752年春


 1993.8.11~12, 1995.8.4




□山の道 

 川村義武さん(1911生) 
 「寺川から離れて暮らしたことがないから,寂しいと思ったことは一度もない」


 カツタイ道  1931


 ヘンド 物乞い


 年貢免除 - 米がとれない 祖谷・十津川・石徹白・椎葉など
 
      ↑↓

 かわりに国境警備   
   焼き畑・麦ほめ  30~40年サイクル

山焼きの後茶が自生-団茶 寺川の碁石茶

  高知県焼き畑第一位 1936年

「モチなし正月」の伝承

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