「教師の哲学」岬龍一郎 PHP研究所 2003年 ② [読書記録 教育]
「人間が謙虚になるためには、手近な、そして着実な方法はまず紙くずを拾うことです。
学校の再建は、まず紙くずを拾うことから始まります。人間の偉さは才能の多少よりも
自分に授かっている天分を生涯かけて出し尽くすかどうかにあるのです。教育とは人生
の種まきをすることだとゆめゆめ忘れないでください」
- 出し惜しみしていないか? 自分に問い掛けます。
今回は、1月3日に続いて、岬龍一郎さんの、
「教師の哲学」の紹介 2回目です。
出版社の案内には、
「後という言葉も遠くなり、平成も15年になってしまった。振り返れば戦後の日本は文
字どおり献身的な努力と勤勉なる働きにおいて、この国を廃墟から経済大国へと復興さ
せた。しかし、その繁栄もつかの間、どこでどう間違ったのか、バブル崩壊後の日本は
いまだ立ち直れず未曾有の不況にある。中高年はリストラのもとに解雇され、若年層の
就職率は悪化する一方だ。それにともない、人心は荒廃し世の中にはびこる無節操な倫
理観の欠如は夢想だにしなかった悪質な犯罪やわけのわからない変質的な事件を生み出
している。その一方では、もっとも倫理観の強かったはずの教育者、警察官、医療関係
者といった人びとまでもが常識では考えられないような不祥事を起こしている。こうし
たモラルの喪失はなぜおこったのか? 本書は、そういった問題の本質にある一因とし
てあげられる学校の教育者の質の低下を憂い、理想の教師とはどのような人かについて
とりあげたものである。」
とあります。
今回紹介分(「森信三」さん)から強く印象に残った言葉は…
・「国民教育の父と呼ばれた男」
・「教える者が自らを高め、何のために教えているかの使命感を自覚し、岩壁にのみで刻
みつけるほどの真剣さで取り組んで初めてその職業が存在する
感動をもてない教師には教える資格などない」
「人間としての謙虚さが必要」
・「教師ほど恐ろしく、また尊い仕事はない = 教師の教育の仕方1つに国家の命運」
・「人生はプラスマイナス = 帳尻が合っている」
・「『人生二度なし』=いかに生きるか」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「教師の哲学」岬龍一郎 PHP研究所 2003年 ②
◇森信三
□森信三
1896~1992
教育者・哲学者
愛知県生
大15京都帝大哲学科 - 西田幾多郎の教え
卒業後大学院に籍を置きつつ天王寺師範の専任科講師
昭14満州建国大学
昭28神戸大学教育学部教授(昭35退官)
昭50「実践人の家」
86歳まで講演行脚
□国民教育の父と呼ばれた男
信条 自銘 不尽
「学者にあらず 宗教家にあらず はたまた教育者にもあらず
ただ宿縁に導かれて 国民教育の友として この世の『生』を終えん」
「人生二度なし」の生き方論
教える者が自らを高め、何のために教えているかの使命感を自覚し、岩壁にのみで刻
みつけるほどの真剣さで取り組んで初めてその職業が存在する
感動をもてない教師には教える資格などない
↑
人間としての謙虚さが必要
「人間が謙虚になるためには、手近な、そして着実な方法はまず紙くずを拾うことです。
学校の再建は、まず紙くずを拾うことから始まります。人間の偉さは才能の多少よりも
自分に授かっている天分を生涯かけて出し尽くすかどうかにあるのです。教育とは人生
の種まきをすることだとゆめゆめ忘れないでください」
□私と森信三との出会い
□「修身教授録」の名講義
昭和12~14年
天王寺師範 哲学倫理 42歳 独自の講義
□教育の目的は国家社会に有用な人間を育て上げること
□教師に大切なこと
・教育者として人生の本腰を決めてかかると言うこと
・一人一人の子らの魂に生命の息吹を吹き込むこと
・一人一人の教え子が将来立ち上がってその生涯を国家社会のために尽くす
= 教師のやりがい
教師ほど恐ろしく、また尊い仕事はない
= 教師の教育の仕方1つに国家の命運
□「人生二度なし」の根本原理
「人生二度なし」=いかに生きるか
「人生というものは二度と繰り返すことができないものである。だから、われわれは自分
が持って生まれた能力をぎりぎりのところまで発揮した上で棺桶にはいるくらいの意気
込みがなくてはいけないと思うのです。
(中略)そして、そこから二度とない人生だからできるだけ後悔しないような生き方を
しなくちゃ行けない」
「最善観」
我が身に降りかかる一切の出来事を神の計らいとして受け止める
|
愚痴を言わず、運命を呪わず、人をとがめず、すべて「善きこと」として受けて立つ
積極的な生き方
「世の中は正直」
案外世の中は公平であり、結局その人の真価通りのもの
人生はプラスマイナス = 帳尻が合っている
□非凡なる凡人の偉大さを教える
質素な生活
講演旅行の際
① 鞄を人に持ってもらわぬ事
② クルマは校門内まで走らず校門前下車
③ 列車や船室は普通車
「もし老子が生きていれば、あのような人ではなかったか」
学校の再建は、まず紙くずを拾うことから始まります。人間の偉さは才能の多少よりも
自分に授かっている天分を生涯かけて出し尽くすかどうかにあるのです。教育とは人生
の種まきをすることだとゆめゆめ忘れないでください」
- 出し惜しみしていないか? 自分に問い掛けます。
今回は、1月3日に続いて、岬龍一郎さんの、
「教師の哲学」の紹介 2回目です。
出版社の案内には、
「後という言葉も遠くなり、平成も15年になってしまった。振り返れば戦後の日本は文
字どおり献身的な努力と勤勉なる働きにおいて、この国を廃墟から経済大国へと復興さ
せた。しかし、その繁栄もつかの間、どこでどう間違ったのか、バブル崩壊後の日本は
いまだ立ち直れず未曾有の不況にある。中高年はリストラのもとに解雇され、若年層の
就職率は悪化する一方だ。それにともない、人心は荒廃し世の中にはびこる無節操な倫
理観の欠如は夢想だにしなかった悪質な犯罪やわけのわからない変質的な事件を生み出
している。その一方では、もっとも倫理観の強かったはずの教育者、警察官、医療関係
者といった人びとまでもが常識では考えられないような不祥事を起こしている。こうし
たモラルの喪失はなぜおこったのか? 本書は、そういった問題の本質にある一因とし
てあげられる学校の教育者の質の低下を憂い、理想の教師とはどのような人かについて
とりあげたものである。」
とあります。
今回紹介分(「森信三」さん)から強く印象に残った言葉は…
・「国民教育の父と呼ばれた男」
・「教える者が自らを高め、何のために教えているかの使命感を自覚し、岩壁にのみで刻
みつけるほどの真剣さで取り組んで初めてその職業が存在する
感動をもてない教師には教える資格などない」
「人間としての謙虚さが必要」
・「教師ほど恐ろしく、また尊い仕事はない = 教師の教育の仕方1つに国家の命運」
・「人生はプラスマイナス = 帳尻が合っている」
・「『人生二度なし』=いかに生きるか」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「教師の哲学」岬龍一郎 PHP研究所 2003年 ②
◇森信三
□森信三
1896~1992
教育者・哲学者
愛知県生
大15京都帝大哲学科 - 西田幾多郎の教え
卒業後大学院に籍を置きつつ天王寺師範の専任科講師
昭14満州建国大学
昭28神戸大学教育学部教授(昭35退官)
昭50「実践人の家」
86歳まで講演行脚
□国民教育の父と呼ばれた男
信条 自銘 不尽
「学者にあらず 宗教家にあらず はたまた教育者にもあらず
ただ宿縁に導かれて 国民教育の友として この世の『生』を終えん」
「人生二度なし」の生き方論
教える者が自らを高め、何のために教えているかの使命感を自覚し、岩壁にのみで刻
みつけるほどの真剣さで取り組んで初めてその職業が存在する
感動をもてない教師には教える資格などない
↑
人間としての謙虚さが必要
「人間が謙虚になるためには、手近な、そして着実な方法はまず紙くずを拾うことです。
学校の再建は、まず紙くずを拾うことから始まります。人間の偉さは才能の多少よりも
自分に授かっている天分を生涯かけて出し尽くすかどうかにあるのです。教育とは人生
の種まきをすることだとゆめゆめ忘れないでください」
□私と森信三との出会い
□「修身教授録」の名講義
昭和12~14年
天王寺師範 哲学倫理 42歳 独自の講義
□教育の目的は国家社会に有用な人間を育て上げること
□教師に大切なこと
・教育者として人生の本腰を決めてかかると言うこと
・一人一人の子らの魂に生命の息吹を吹き込むこと
・一人一人の教え子が将来立ち上がってその生涯を国家社会のために尽くす
= 教師のやりがい
教師ほど恐ろしく、また尊い仕事はない
= 教師の教育の仕方1つに国家の命運
□「人生二度なし」の根本原理
「人生二度なし」=いかに生きるか
「人生というものは二度と繰り返すことができないものである。だから、われわれは自分
が持って生まれた能力をぎりぎりのところまで発揮した上で棺桶にはいるくらいの意気
込みがなくてはいけないと思うのです。
(中略)そして、そこから二度とない人生だからできるだけ後悔しないような生き方を
しなくちゃ行けない」
「最善観」
我が身に降りかかる一切の出来事を神の計らいとして受け止める
|
愚痴を言わず、運命を呪わず、人をとがめず、すべて「善きこと」として受けて立つ
積極的な生き方
「世の中は正直」
案外世の中は公平であり、結局その人の真価通りのもの
人生はプラスマイナス = 帳尻が合っている
□非凡なる凡人の偉大さを教える
質素な生活
講演旅行の際
① 鞄を人に持ってもらわぬ事
② クルマは校門内まで走らず校門前下車
③ 列車や船室は普通車
「もし老子が生きていれば、あのような人ではなかったか」