「忘れられた日本人の舞台を旅する」木村哲也 河出書房新社 2006年 ④(最終) [読書記録 民俗]
「サツマイモは苗の時点で痛めないと後で強く育たない。ハウスで育てるにしても,水・
温度・日光をうまく調節して適度に痛めつけてやる。伸び伸び育てるのが必ずしもいい
わけじゃない」 サツマイモ資料館(川越市)
今回は、1月12日に続いて、木村哲也さんの
「忘れられた日本人の舞台を旅する」の紹介 4回目 最終です。
宮本常一さんの旅を追った宮本さんの魅力を伝えてくれる本です。
出版社の案内には、
「日本各地、文字通りの津々浦々を歩きに歩いた宮本の金字塔『忘れられた日本人』。そ
の舞台一〇箇所を、二度三度ていねいにたどり直し、宮本が会った人、その縁者に取材
し続けた、宮本民俗学を今につなぐ若き民俗学徒が脚で拓いた、新たなフィールドの紀
行。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「田植え - 女の仕事・上手」
・「1996年の『図書』アンケート、わたしの三冊に『忘れられた日本人』をあげた人は、
井上章一,色川大吉,中務哲郎,春名徹,水尾比呂志,宮崎駿,宮田登,安丸良夫
= 「いきの構造」の10人に続いて第2位。」
鬼のかく乱、健康管理が悪くかぜをひいてしまいました。
よく寝ています。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「忘れられた日本人の舞台を旅する」木村哲也 河出書房新社 2006年 ④(最終)
◇再び島へ 「女の世間」「子どもをさがす」
□女の世間
「女の世間」「民話」第13号 年よりたち連載第6回
□子どもをさがす 『教師生活』
1995.5.13~15
アサ子さん
大阪玉造の理髪店の娘-教師に
宮本の母・マチ 島の暮らしを教えた
田植え - 女の仕事・上手
昭和37(1962)3月にマチさんが亡くなり,4月に東京へ
↓
三男の光さんが農業で再び
□子どもを捜す
浜岡久吉さん(1908生)椎の実を食べる文化
□サツマイモの島
「サツマイモは苗の時点で痛めないと後で強く育たない。ハウスで育てるにしても,水・
温度・日光をうまく調節して適度に痛めつけてやる。伸び伸び育てるのが必ずしもいい
わけじゃない」 サツマイモ資料館(川越市)
□久賀へ
1996.3.26 河本誠一さん(1920年生)
□橋を架ける
1977 宮本が武蔵美大退職
東和町で「東和町誌」作成 郷土大学開講
新山玄雄 伯清寺住職
1950生
1980.3 郷土大学 ~ 1981.1.30(宮本逝去)
「日本文化の形成」
1983年に新橋
「この橋,全国同胞の協力によってできました。感謝します」
沖家室島民
◇おわりに
「忘れられた日本人」
両祖父の人生
維新体験者聞き書き
左近熊田翁の聞き書き
世間師という役割の評価
篤農家
海を開いた人々
中世社会の発見
島の文化の発掘と離島振興への傾斜
愛知名倉での山村経済調査,談義,共同体解体の予感
∥
宮本民俗学の結晶
◎宮本常一再評価
『図書』アンケート 571号 1996.12 わたしの三冊
1987「忘れられた日本人」
飯倉照平,石井進,司馬遼太郎,益田勝美
「家郷の訓」
網野善彦
1996「忘れられた日本人」
井上章一,色川大吉,中務哲郎,春名徹,水尾比呂志,宮崎駿,宮田登,
安丸良夫
= 「いきの構造」の10人に続いて第2位。
(木村哲也さんは)
2004年春から周防大島文化交流センター学芸員として宮本の魅力を伝える仕事
温度・日光をうまく調節して適度に痛めつけてやる。伸び伸び育てるのが必ずしもいい
わけじゃない」 サツマイモ資料館(川越市)
今回は、1月12日に続いて、木村哲也さんの
「忘れられた日本人の舞台を旅する」の紹介 4回目 最終です。
宮本常一さんの旅を追った宮本さんの魅力を伝えてくれる本です。
出版社の案内には、
「日本各地、文字通りの津々浦々を歩きに歩いた宮本の金字塔『忘れられた日本人』。そ
の舞台一〇箇所を、二度三度ていねいにたどり直し、宮本が会った人、その縁者に取材
し続けた、宮本民俗学を今につなぐ若き民俗学徒が脚で拓いた、新たなフィールドの紀
行。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「田植え - 女の仕事・上手」
・「1996年の『図書』アンケート、わたしの三冊に『忘れられた日本人』をあげた人は、
井上章一,色川大吉,中務哲郎,春名徹,水尾比呂志,宮崎駿,宮田登,安丸良夫
= 「いきの構造」の10人に続いて第2位。」
鬼のかく乱、健康管理が悪くかぜをひいてしまいました。
よく寝ています。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「忘れられた日本人の舞台を旅する」木村哲也 河出書房新社 2006年 ④(最終)
◇再び島へ 「女の世間」「子どもをさがす」
□女の世間
「女の世間」「民話」第13号 年よりたち連載第6回
□子どもをさがす 『教師生活』
1995.5.13~15
アサ子さん
大阪玉造の理髪店の娘-教師に
宮本の母・マチ 島の暮らしを教えた
田植え - 女の仕事・上手
昭和37(1962)3月にマチさんが亡くなり,4月に東京へ
↓
三男の光さんが農業で再び
□子どもを捜す
浜岡久吉さん(1908生)椎の実を食べる文化
□サツマイモの島
「サツマイモは苗の時点で痛めないと後で強く育たない。ハウスで育てるにしても,水・
温度・日光をうまく調節して適度に痛めつけてやる。伸び伸び育てるのが必ずしもいい
わけじゃない」 サツマイモ資料館(川越市)
□久賀へ
1996.3.26 河本誠一さん(1920年生)
□橋を架ける
1977 宮本が武蔵美大退職
東和町で「東和町誌」作成 郷土大学開講
新山玄雄 伯清寺住職
1950生
1980.3 郷土大学 ~ 1981.1.30(宮本逝去)
「日本文化の形成」
1983年に新橋
「この橋,全国同胞の協力によってできました。感謝します」
沖家室島民
◇おわりに
「忘れられた日本人」
両祖父の人生
維新体験者聞き書き
左近熊田翁の聞き書き
世間師という役割の評価
篤農家
海を開いた人々
中世社会の発見
島の文化の発掘と離島振興への傾斜
愛知名倉での山村経済調査,談義,共同体解体の予感
∥
宮本民俗学の結晶
◎宮本常一再評価
『図書』アンケート 571号 1996.12 わたしの三冊
1987「忘れられた日本人」
飯倉照平,石井進,司馬遼太郎,益田勝美
「家郷の訓」
網野善彦
1996「忘れられた日本人」
井上章一,色川大吉,中務哲郎,春名徹,水尾比呂志,宮崎駿,宮田登,
安丸良夫
= 「いきの構造」の10人に続いて第2位。
(木村哲也さんは)
2004年春から周防大島文化交流センター学芸員として宮本の魅力を伝える仕事