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「子ども観の戦後史」野本三吉 現代書館 2007年 ⑤ [読書記録 教育]

「出産や子育てを中心とした生活の再創造が,この時代に経済学者から主張されたこ
 とは忘れてはならない」




今回は、2月24日に続いて、野本三吉さんの
「子ども観の戦後史」の紹介 5回目です。


出版社の案内には、



「敗戦以来、日本人の『児童観』はどのように変化したか、子どもを把えた戦後の書籍を
 通し、子どもを取りまく社会現象の変化の中での子どもを見る眼、子ども自身の生活の
 変遷を追ってみた。社会構造の変化を通した人間関係の変遷の中での子どもの変容をみ
 る。」




とあります。





今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「いたずらは子どもにとって一番大事な勉強です」


・「① 子どもを国家(社会)の「人的資源」として捉える見方
② 子供をありのままに見つめ,子供の主体性を伸ばしていこうとするもの」


・「家は人間生産の組織である。」





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☆「子ども観の戦後史」野本三吉 現代書館 2007年 ⑤

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◇いたずらっ子

□水野茂一 
 「谷間の教師」平凡社1956

 「小学生」国土社1966 

 「よい子」 → 「生活力」に視点



□林友三郎 

 「おとなは敵だった」国土社1962



 1961年 全国学力調査(学力テスト)
1961.10.26


 「ウサギ」か「オオカミ」か?
戸塚廉 「いたずら教室」「いたずらっ子バンザイ」

 いたずらは子どもにとって一番大事な勉強です

 





◇「巨人の先生」の世界

□児童観二つの視点

① 子どもを国家(社会)の「人的資源」として捉える見方

 ② 子供をありのままに見つめ,子供の主体性を伸ばしていこうとするもの

→ 自治活動,生活綴り方,問題解決学習



□「詩の手帖」少年写真新聞社 のち「児童詩教育」

 松本利昭氏 主体的児童詩 
  「~たいなあ方式」 → 生活変革への道

 




◇生命再生産の理論

□大熊信行 「生命再生産の理論(上)(下)」東洋経済新報社 1974 1975

 家庭での消費 = 最終消費 
   何の生産もしない

 しかし,「人間の生産」をしている。

 家は人間生産の組織である。



□大熊氏 新たな経済学 → 「家政学」

 「各人は能力に応じて働き必要に応じて与えられる」共同原則 共産原則

              ∥

 家族(家庭)は,人間生命の再生産,つまり出産や子育て介助を行い,生きること,共
に支え合うことを基本とする

↑↓

 国家は企業のモノの生産を基本とする構造の上に成り立っており,物財の生産は競争と
技術の進歩を必然化し,核兵器の製造と戦争へと行き着く理論を持っている。
こうした論理からは,労働力の再生産という発想は生まれても,生命(生活)の再生産
を保証するところまでは展開しきれない



 出産や子育てを中心とした生活の再創造が,この時代に経済学者から主張されたこ
とは忘れてはならない



□エロス的存在としての子供

 一体化,合一化かエロス
互いに引かれあい思いやることができる関係



      子供との合一感

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「41本の桜」(かつての4年生国語教書より) 遠山啓 [読書記録 教育]

今回は、遠山啓さんの
「41本の桜」を紹介します。

遠山啓さんは数学者、水道方式でよく知られますが、
「自問」できることの大切さを教えてくれます。




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☆「41本の桜」(かつての4年生国語教書より) 遠山啓

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 わたしが、小学校三年の生徒のころでした。算数の時間に、先生は黒板に次のような問
題を書きました。



「120メートルの土手があります。その土手に、3メートルおきにさくらの木を植えま
 した。なん本植えたでしょうか。」



 この問題を書き終わってから、先生はクラス全体を見わたして、こう言いました。


「この問題はみなさんにはむずかしいかもしれません。よく考えてください。」


そう言って、先生はにっこりわらいました。


 みんなは、さっそくえんぴつを取って、帳面に向かって考え始めました。ぼくは、もう
一度、黒板に書いてある問題を読んで考えました。


 木と木の間が3メートルだから120メートルを3メートルで等分すればよいことは、
30秒とたたないうちにわかりました。

 ぼくは帳面120÷3=40と書き、その下に、答40本と書いて、えんぴつを置きま
した。

 そしてほかの子どもがどうしているかを見ていました。

 すると、たいていの子どもが答を書き終わっているようすでした。そして、先生が、


「できた人。」


というのを待っているようです。

 ぼくも、すぐ手を上げようと思っていました。ところが、さっき先生が、


「この問題はむずかしい。」


と言ったことが、ふと頭にうかんだのです。


「こんなやさしい問題を先生は、なぜむずかしいと言ったのだろう。少し変だな。もう一
 度よく考えてみょう。」


と、ぼくは思い直したのです。                         


 しかし、土手にさくらの木の植えてある光景を思いうかべてみたのですが、さくらの木
が多すぎて、なかなかうまくいきません。


 ぼくは、少しあせってきました。


 そのうちに、先生の「できた人」という声が聞こえて、友だちは元気に「はい」「はい」
と言いながら、手をあげています。


 しかし、先生は、ほんとうにできたのかなあ、と言いたげな表情でひとりの友だちをさ
しました。


 その友だちは、喜びいさんで黒板に出て、ぼくの考えたのと同じように40本という答
を書きました。


 先生は頭をふりながら


 「これでいいですか。」


と言いましたので、みんなびっくりして、だまってしまいました。


 ぼくは、ますます自信をなくしてきました。


 そして、ぼんやりと、教室のまどの外をながめていました。ところが、その時、はっと
思いつくことがありました。


 まどは6つあるが、柱はなん本あるのだろうか。


 数えてみると、7本あるのです。まどが6つで柱が7本。柱のほうが一つ多いぞ。

 ぼくは、うれしくなりました。

 そして、今度は、まどの数を一つへらしてみるとどうでしょう。

 まどが5つで、柱が6本になり、やはり、柱のほうが多いのす。


 だんだんそうしていくと、まどが1つしかないときは、柱が2本で、やはり、1本だけ
柱のほうが多いのです。


 今度は頭の中で、まどのほうをふやしてみました。


 それでも、やはり、まどの数より柱が1本多いことに気づきました。


 まどの柱を、さくらの木と同じ物だと考えると、いくら多くても柱、つまりさくらのほ
うが、間の数より1つ多い。間が40になる場合だって同じはずだ。だから、答は40本
ではなくて、41本としなくてはならない。


 ぼくは、うれしさでわくわくしながら、書いてあった答の所を消しゴムで消して、その
代わりに、40+1=41 答41本 と書いて、勢いよく手を上げました。


 そして、席から立って、黒板に、帳面のとおりに書きました。


「それでよし。そのわけをせつ明しなさい。」


 と、先生はうれしそうな顔で言いました。


 ぼくは、教室のまどと柱から考えついたことを、みんなに話しました。


 そのときから、もう40年近くの年月がたっていますが、ぼくは、このことを、じつに
あざやかに覚えています。


 それは、自分ひとりができて先生にほめられたからでしょうか。


 どうも、そうではなさそうです。


 それは、さくらの木を、まどの柱に直して考えるというたいせつな考え方に気づいたか
らであるらしいのです。



 ぼくは、成人して数学者になりましたが、どうして数学をせんもんに選ぶようになった
か、自分でもよくわかりません。


 しかし、数学者になるようにぼくを仕向けたのは、案外三年生のときの「四十一本のさ
くら」だったかもしれません。

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