「教師の哲学」岬龍一郎 PHP研究所 2003年 ⑦ [読書記録 教育]
今回は、1月30日に続いて、岬龍一郎さんの、
「教師の哲学」の紹介 7回目です。
出版社の案内には、
「後という言葉も遠くなり、平成も15年になってしまった。振り返れば戦後の日本は文
字どおり献身的な努力と勤勉なる働きにおいて、この国を廃墟から経済大国へと復興さ
せた。しかし、その繁栄もつかの間、どこでどう間違ったのか、バブル崩壊後の日本は
いまだ立ち直れず未曾有の不況にある。中高年はリストラのもとに解雇され、若年層の
就職率は悪化する一方だ。それにともない、人心は荒廃し世の中にはびこる無節操な倫
理観の欠如は夢想だにしなかった悪質な犯罪やわけのわからない変質的な事件を生み出
している。その一方では、もっとも倫理観の強かったはずの教育者、警察官、医療関係
者といった人びとまでもが常識では考えられないような不祥事を起こしている。こうし
たモラルの喪失はなぜおこったのか? 本書は、そういった問題の本質にある一因とし
てあげられる学校の教育者の質の低下を憂い、理想の教師とはどのような人かについて
とりあげたものである。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「本当の強さ 『控え目』『謙譲』『奥ゆかしさ』」
・「平凡に生きることは非凡に生きることより難しい」
・「あらゆることを自分を勘定に入れず」
・「サムライとはつくるものだ。生まれるものではない」
・「松下村塾 … 学習態度の評定のみ」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「教師の哲学」岬龍一郎 PHP研究所 2003年 ⑦
◇宮沢賢治
□宮沢賢治 1896~1933
詩人・童話作家 盛岡高農卒 法華経に帰依
教師 農業研究者 農村指導者
□「勇気を奮い起こす心」を教えてくれた詩
本当の強さ 「控え目」「謙譲」「奥ゆかしさ」
|
「平凡に生きることは非凡に生きることより難しい」
□むやみに偉い人にはなりたくない
人に対する慈しみ
□教師を目指した理由
「偉い人より役立つ人」になりたかった
日蓮宗 ←→ 父親は浄土真宗
□教師としての賢治
稗貫農学校
- いつも真剣で少年のような心をもちそれでいて便りになる兄貴
生徒の就職を頼みに樺太まで
□大正11(1922)10月 妹トシの死
□献身という名の生き方
大正15年3月 教師を辞める
イーハトーブ 羅須地人協会
修羅をひっくり返す
「農民は芸術家であり宗教家でなければならない」
「あらゆることを自分を勘定に入れず」
無私無欲の純粋な心
◇吉田松陰
□吉田松陰 1830-1859
長州藩士 杉百合之助の次男 通称寅次郎
叔父の山鹿流兵学師範吉田家を継ぐ
江戸に出て佐久間象山に師事 萩に松下村塾-安政の大獄で処刑される
□一国は人を以て興る
松下村塾 - 教育期間わずか2年弱
松本村の小さな寺子屋 月謝もタダ
□国を憂う気概と大儀の人
国禁を犯してまで密航を企てた
□「人」は教育で「人間」となる
長州藩風 「人材こそ宝」
□サムライは「公の人」 - 叔父の玉木文之進の教育
サムライの学問は公のために尽くす自分をつくるためにある
|
「サムライとはつくるものだ。生まれるものではない」
∥
イギリス紳士道
「ノブレス・オブリージ」(特権階級の義務)
庶民の上に立つ者として彼等の生命と財産を守る義務を持つ
↓
武士は「私」を捨てて常に「公」のためにあらねばならなかった
□「百術不如清」(百術一清に如かず)
玉木文之進
- 明治政府に請われたがそれを望まず親戚である乃木家の嫡男・希典を預かり松陰
なみの苛烈きわまりない教育
□獄中で囚人を相手に講義する
故郷の野山獄 - 獄舎に明倫館秀才・富永弥兵衛
「至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり」孟子
□母は百万人の教師に勝る
□「松下村塾」の授業風景
玉木文之進が開いたものを → 久保五郎左右衛門 → 吉田松陰
□百人以下の教え子か?
「人間としての生き方の善悪」
教師は人間をつくる職業
□「思想」をこえる「熱情」
松下村塾 … 学習態度の評定のみ → 個人に
「教師の哲学」の紹介 7回目です。
出版社の案内には、
「後という言葉も遠くなり、平成も15年になってしまった。振り返れば戦後の日本は文
字どおり献身的な努力と勤勉なる働きにおいて、この国を廃墟から経済大国へと復興さ
せた。しかし、その繁栄もつかの間、どこでどう間違ったのか、バブル崩壊後の日本は
いまだ立ち直れず未曾有の不況にある。中高年はリストラのもとに解雇され、若年層の
就職率は悪化する一方だ。それにともない、人心は荒廃し世の中にはびこる無節操な倫
理観の欠如は夢想だにしなかった悪質な犯罪やわけのわからない変質的な事件を生み出
している。その一方では、もっとも倫理観の強かったはずの教育者、警察官、医療関係
者といった人びとまでもが常識では考えられないような不祥事を起こしている。こうし
たモラルの喪失はなぜおこったのか? 本書は、そういった問題の本質にある一因とし
てあげられる学校の教育者の質の低下を憂い、理想の教師とはどのような人かについて
とりあげたものである。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「本当の強さ 『控え目』『謙譲』『奥ゆかしさ』」
・「平凡に生きることは非凡に生きることより難しい」
・「あらゆることを自分を勘定に入れず」
・「サムライとはつくるものだ。生まれるものではない」
・「松下村塾 … 学習態度の評定のみ」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「教師の哲学」岬龍一郎 PHP研究所 2003年 ⑦
◇宮沢賢治
□宮沢賢治 1896~1933
詩人・童話作家 盛岡高農卒 法華経に帰依
教師 農業研究者 農村指導者
□「勇気を奮い起こす心」を教えてくれた詩
本当の強さ 「控え目」「謙譲」「奥ゆかしさ」
|
「平凡に生きることは非凡に生きることより難しい」
□むやみに偉い人にはなりたくない
人に対する慈しみ
□教師を目指した理由
「偉い人より役立つ人」になりたかった
日蓮宗 ←→ 父親は浄土真宗
□教師としての賢治
稗貫農学校
- いつも真剣で少年のような心をもちそれでいて便りになる兄貴
生徒の就職を頼みに樺太まで
□大正11(1922)10月 妹トシの死
□献身という名の生き方
大正15年3月 教師を辞める
イーハトーブ 羅須地人協会
修羅をひっくり返す
「農民は芸術家であり宗教家でなければならない」
「あらゆることを自分を勘定に入れず」
無私無欲の純粋な心
◇吉田松陰
□吉田松陰 1830-1859
長州藩士 杉百合之助の次男 通称寅次郎
叔父の山鹿流兵学師範吉田家を継ぐ
江戸に出て佐久間象山に師事 萩に松下村塾-安政の大獄で処刑される
□一国は人を以て興る
松下村塾 - 教育期間わずか2年弱
松本村の小さな寺子屋 月謝もタダ
□国を憂う気概と大儀の人
国禁を犯してまで密航を企てた
□「人」は教育で「人間」となる
長州藩風 「人材こそ宝」
□サムライは「公の人」 - 叔父の玉木文之進の教育
サムライの学問は公のために尽くす自分をつくるためにある
|
「サムライとはつくるものだ。生まれるものではない」
∥
イギリス紳士道
「ノブレス・オブリージ」(特権階級の義務)
庶民の上に立つ者として彼等の生命と財産を守る義務を持つ
↓
武士は「私」を捨てて常に「公」のためにあらねばならなかった
□「百術不如清」(百術一清に如かず)
玉木文之進
- 明治政府に請われたがそれを望まず親戚である乃木家の嫡男・希典を預かり松陰
なみの苛烈きわまりない教育
□獄中で囚人を相手に講義する
故郷の野山獄 - 獄舎に明倫館秀才・富永弥兵衛
「至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり」孟子
□母は百万人の教師に勝る
□「松下村塾」の授業風景
玉木文之進が開いたものを → 久保五郎左右衛門 → 吉田松陰
□百人以下の教え子か?
「人間としての生き方の善悪」
教師は人間をつくる職業
□「思想」をこえる「熱情」
松下村塾 … 学習態度の評定のみ → 個人に