「わたしの南無阿弥陀仏」ひろさちや 佼成出版社 2003年 ② [読書記録 宗教]
今回は、2月26日に続いて、ひろさちやさんの
「わたしの南無阿弥陀仏」2回目の紹介です。
出版社の案内には、
「お題目とともに、日本人になじみの深い『なむあみだぶつ』のお念仏を『なんだってあ
りがたい』という視点でとらえ、それを日常生活の中で実践していくためのコツを紹介
する“お念仏的生き方”入門書。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「苦しむときは苦しめばよい 死ぬときは死ねばよい」
・「楽や苦はコインの裏表」
・「『南無』 = 無分別でものを見ること」
・「自由とは『自分に由る』
しかし神から解放されて自由になると、自分の方が偉いと思ってしまう」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「わたしの南無阿弥陀仏」ひろさちや 佼成出版社 2003年 ②
◇念仏が念仏する
□思うがままにならないことが「苦」
思うがままにしようとしなければよい - 大乗仏教
苦しむときは苦しめばよい 死ぬときは死ねばよい
|
無苦集滅道 「般若心経」
「我」がすべての問題の源
□仏も我もなかりけり
一遍 我を離れようとした 念仏札
南無阿弥陀仏 ~ 念仏が念仏を中す
「南無阿弥陀仏」の名誉そのものが往来するという「名号往生」
一遍 上根、中根、下根の念仏者がある
上根 - 家住 妻子もち 親鸞
中根 - 家住 妻子なし 法然
下根 - 家無 妻子なし 一遍 ただ捨ててこそ
◇分別しない
□「人間万事塞翁が馬」
人間何が幸福を招き何が災いするか分からない
楽や苦はコインの裏表
□物指しを捨てることが「南無」
自分の物差しで測ることが分別 - その知恵は分別知
「南無」 = 無分別でものを見ること
∥
あるがままにものを見ること 「如実知見」
浄土教 ~ 無分別をあきらめる = 仏さまにお任せ
∥
何事もありがたいと受け止める
(例)大学に不合格
- いいかどうか分からない
相性の悪い者と会うかもしれない
物事には本来物指しはついていない
→ いいか悪いかの物指しを捨てることが南無
何もかも仏さまにお任せ
∥
阿弥陀様の奴隷になってしまえばよい
□神の奴隷になったユダヤの民
本当の自由を得るために神の奴隷になったユダヤ人
ユダヤの民
パレスチナに住んでいたが飢饉のためエジプトに住む
エジプトの地で奴隷にされてしまう
|
「神の命ずるままに生きる 他の神は拝まない」と神と契約
↓
モーゼに率いられてエジプト脱出
パレスチナの地に戻る
紀元前13世紀
神の奴隷になることにより人間の奴隷から解放された民の宗教
律法 = 神の奴隷
↓
キリストが解放
自由とは「自分に由る」
しかし神から解放されて自由になると、自分の方が偉いと思ってしまう
↓
7世紀 神の奴隷の再確認 イスラム教
「わたしの南無阿弥陀仏」2回目の紹介です。
出版社の案内には、
「お題目とともに、日本人になじみの深い『なむあみだぶつ』のお念仏を『なんだってあ
りがたい』という視点でとらえ、それを日常生活の中で実践していくためのコツを紹介
する“お念仏的生き方”入門書。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「苦しむときは苦しめばよい 死ぬときは死ねばよい」
・「楽や苦はコインの裏表」
・「『南無』 = 無分別でものを見ること」
・「自由とは『自分に由る』
しかし神から解放されて自由になると、自分の方が偉いと思ってしまう」
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山田卓司さんのすばらしい作品を
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お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「わたしの南無阿弥陀仏」ひろさちや 佼成出版社 2003年 ②
◇念仏が念仏する
□思うがままにならないことが「苦」
思うがままにしようとしなければよい - 大乗仏教
苦しむときは苦しめばよい 死ぬときは死ねばよい
|
無苦集滅道 「般若心経」
「我」がすべての問題の源
□仏も我もなかりけり
一遍 我を離れようとした 念仏札
南無阿弥陀仏 ~ 念仏が念仏を中す
「南無阿弥陀仏」の名誉そのものが往来するという「名号往生」
一遍 上根、中根、下根の念仏者がある
上根 - 家住 妻子もち 親鸞
中根 - 家住 妻子なし 法然
下根 - 家無 妻子なし 一遍 ただ捨ててこそ
◇分別しない
□「人間万事塞翁が馬」
人間何が幸福を招き何が災いするか分からない
楽や苦はコインの裏表
□物指しを捨てることが「南無」
自分の物差しで測ることが分別 - その知恵は分別知
「南無」 = 無分別でものを見ること
∥
あるがままにものを見ること 「如実知見」
浄土教 ~ 無分別をあきらめる = 仏さまにお任せ
∥
何事もありがたいと受け止める
(例)大学に不合格
- いいかどうか分からない
相性の悪い者と会うかもしれない
物事には本来物指しはついていない
→ いいか悪いかの物指しを捨てることが南無
何もかも仏さまにお任せ
∥
阿弥陀様の奴隷になってしまえばよい
□神の奴隷になったユダヤの民
本当の自由を得るために神の奴隷になったユダヤ人
ユダヤの民
パレスチナに住んでいたが飢饉のためエジプトに住む
エジプトの地で奴隷にされてしまう
|
「神の命ずるままに生きる 他の神は拝まない」と神と契約
↓
モーゼに率いられてエジプト脱出
パレスチナの地に戻る
紀元前13世紀
神の奴隷になることにより人間の奴隷から解放された民の宗教
律法 = 神の奴隷
↓
キリストが解放
自由とは「自分に由る」
しかし神から解放されて自由になると、自分の方が偉いと思ってしまう
↓
7世紀 神の奴隷の再確認 イスラム教