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「永六輔」隈元信一 平凡社 2017年 ① [読書記録 一般]

「永クン、放送の仕事をするならスタジオでものを考えてはいけない。電波の飛んでいく
 先で話を聞いて、そこで考えてスタジオに戻ってくるべきだよ。」宮本常一(1907~1981)





今回は、隈元信一さんの
「永六輔」の紹介 1回目です。




出版社の案内には、


「放送作家、作詞家、ラジオタレントなど、多彩な活躍ぶりで歴史に名を残す永六輔。そ
 の生涯に貫かれた一筋の道とはいったいいかなるものだったか。新聞記者として最も身
 近にいた著者がその実像を描き切った決定的評伝。時代を駆け抜けた『旅の坊主』、『六
 輔六面』」の世界へ。」


とあります。



ラジオを中心に様々に活躍されていた永六輔さん、その背景を知ることができる本です。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「本業は旅の坊主」


・「ラジオの電波の飛んでいく先へ行き、見聞をラジオで喋りなさい」


・「生きている人がその人のことを忘れない限り、その人は死なない」





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☆「永六輔」隈元信一 平凡社 2017年 ①

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◇本業は旅の坊主

□まえがき

 隈元信一 
  1953年 鹿児島県離島生

新聞記者 論説委員-編集委員

  「ラジオの時代」
  「ジャーナリズム列強」
 


□宮本常一 

「ラジオの電波の飛んでいく先へ行き、見聞をラジオで喋りなさい」
      
 → 旅とラジオ 



□「僕の本業はね、坊主です。…本当に。旅の坊主です。」

  永の父は永忠順(1900~1990) 東京・元浅草3丁目 最尊寺 17代目住職



□「生きている人がその人のことを忘れない限り、その人は死なない。」
   
 永住亭 毎年4月・10月第1水曜日 
       
 公式ブログ「はい、こちら永住亭」で告知 



□母と歩いた病院への道

 旅の原点は学童疎開 



□旅とラジオ、テレビ、歌
 
 ①TBSラジオ
   「どこか遠くへ」(のち「永六輔の誰かとどこかで」)
  1967.1.2~2013.9.27
 
 ②TBSラジオ
   「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」
  1991.4.17~2015.9.26

   「六輔七転八倒90分」
2015.9.28~2016.6.27
 
 ③読売テレビ・日本テレビ
   「遠くへ行きたい」
  1970.10.4~
 


□旅でつながっていく人びと

 宮本常一(1907~1981)

「永クン、放送の仕事をするならスタジオでものを考えてはいけない。電波の飛んでい
  く先で話を聞いて、そこで考えてスタジオに戻ってくるべきだよ。」



□孫へのたすきリレー

 永有之介(孫・俳優)




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