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「わたしの南無阿弥陀仏」ひろさちや 佼成出版社 ④ 2003年 [読書記録 宗教]

「我々にとってデタラメに見えるモノが、それゆえまさに仏様の心だということが分かる」



今回は、3月4日に続いて、ひろさちやさんの
「わたしの南無阿弥陀仏」4回目の紹介です。




出版社の案内には、


「お題目とともに、日本人になじみの深い『なむあみだぶつ』のお念仏を『なんだってあ
 りがたい』という視点でとらえ、それを日常生活の中で実践していくためのコツを紹介
 する“お念仏的生き方”入門書。」


とあります。



ひろさんは、わたしが思いもかけない視点を教えてくれます。
いかに自分がとらわれているかを教えてくれます。
ひろさんの本を見つけると、どうしても読書欲が欲が高まります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「『出たら目』 出た目にまかせること」
「もう手当たり次第デタラメに近くにいる人から救う」


・「『阿弥陀』 いまいるあなたさまそのままがすばらしいとほとけさまは見ておられる」


・「親が子どもにしてあげられることは一緒に泣くこと」
「親がしてあげられることは心配すること(=布施)」


・「あれやこれやと未来を心配したり過去を悔やんだりせず、今なすべきことをしっかり
  やるしかない」




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☆「わたしの南無阿弥陀仏」ひろさちや 佼成出版社 ④ 2003年

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◇無分別智

□誰から助けるか

「今ここに妻と母親がおぼれている。どちらから先に助けるべきか」(禅僧)

~ 「わたしなら近くからいる方から助ける」



  レッテルをはらない



 一休さん 
   あるお坊さん 「お父さんとお母さんどっちが大事だと思う」

   一休  手にもっていたせんべいを二つに割る

「おじさんはどっちのせんべいがうまいと思う?」



子どもにとって父母を分けることはできない
(=阿弥陀様 「はかるな」)





□この世は「デタラメ」

 もともとの意味は「出たら目」
    出た目にまかせること



わたしはデタラメでいいと思っている
  我々にとってデタラメに見えるモノが、それゆえまさに仏様の心だということが分
  かる



   ・仏さまは相手を見て差別しない

   ・もう手当たり次第デタラメに近くにいる人から救う

   ・サイコロ任せ = 阿弥陀

    |

  阿弥陀様の前で善人も悪人もない

ほとけさまはまったく善悪の区別はしない

  デタラメ = もれがない
一人として救われない者はいない



  「阿弥陀」 
    いまいるあなたさまそのままがすばらしいとほとけさまは見ておられる








〈まん〉

◇一緒に

□万が一のときは泣けばよい

 「まん」「万が一」のまん


 万が一のときは泣けばいい = 泣くことしかできない


 親が子どもにしてあげられることは一緒に泣くこと



子どもの人生  
   のたうちまわる人生ならしっかりのたうちまわる



親がしてあげられることは心配すること(=布施)


 「一緒に」が大切




□反省すると執着になる

 あれやこれやと未来を心配したり過去を悔やんだりせず、今なすべきことをしっかりや
るしかない
 
  過去を追わされ 未来を願わざれ
       
  およそ過ぎ去ったものはすでに捨てられたのである

  また未来は未だ到達していない

  そうして現在のことがらを 各々の処においてよく観察し

  揺らぐことなくまた動ずることなく

  それを承知した人は その境地を増大しめよ

  ただ今日 まさに為すべきことを熱心に為せ





□明日を思い煩うな

 今日一日を、そして今を、大切に生きなければなりません


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