「永六輔」隈元信一 平凡社 2017年 ② [読書記録 一般]
「テレビは意味もなく大きすぎます。何でもないことを大げさに扱ったり、とんでもない
奴がとんでもないことを言っても人気が出ちゃったり…」
今回は、3月6日に続いて、隈元信一さんの
「永六輔」の紹介 2回目です。
出版社の案内には、
「放送作家、作詞家、ラジオタレントなど、多彩な活躍ぶりで歴史に名を残す永六輔。そ
の生涯に貫かれた一筋の道とはいったいいかなるものだったか。新聞記者として最も身
近にいた著者がその実像を描き切った決定的評伝。時代を駆け抜けた『旅の坊主』、『六
輔六面』」の世界へ。」
とあります。
宮本常一さんの言葉「ラジオの電波の飛んでいく先へ行き、見聞をラジオで喋りなさい」
通りに旅での出会い、旅で得た情報を全国に流し続けてくれた永さん。
感謝しています。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「裏方のはずの作家が登場し、しゃべり始める」
「話のデッサン力」
- 永さん、前武さん、青島さん、はかまさん… 懐かしく思い出します。
・「聴いていた若者と直に交流」
「おんでこ座夏季学校」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「永六輔」隈元信一 平凡社 2017年 ②
◇早熟の天才ラジオ屋
□「ラジオは等身大だから」
「テレビは意味もなく大きすぎます。何でもないことを大げさに扱ったり、とんでもない
奴がとんでもないことを言っても人気が出ちゃったり…」
「ラジオは無理に大きく見せなくてもいいでしょ。僕は地のママで、スタジオでも時にう
たた寝したり言葉を間違えたり。聞いている人も御近所の方のような感じがするし、当
初に返事が聞ける。等身大。」
「テレビカメラがあると自分を飾ってしまうことがあるでしょ。」
□歌とラジオは一体
1974「生きているということは」
三木鶏郎
ミッキー・トリオ → 三木鶏郎「歌の時間」
□消えちゃった「日曜娯楽版」
三木鶏郎、三木鮎郎、三木のり平、丹下キヨ子、ジョージ川口、小野満
1952.6.8打ち切り
□トリロー文芸部でもまれる
高校時代に誘われた
キノトールさんが独立した頃
キノトール 能見正比古 神吉拓郎
1951.8.31 グループ解散 → 「ユーモア劇場」
□「ユーモア劇場」も消え去った
丸山がテレビ部門に異動
NHK内部の弾圧 - 裏に佐藤栄作
「いないいないばあ 自衛隊」
□社長になった天才六輔
三木「兄弟工房」設立
社長:永六輔
専務:野坂昭如
五木寛之も
1956 同い年の酒井昌子と結婚
□フリートークは作家のつづき
前田武彦との付き合い
ラジオ関東 1959.7「昨日のつづき」台本なし
裏方のはずの作家が登場し、しゃべり始める
「話のデッサン力」
□長寿記録をつくった「誰かとどこかで」
1967.1.2~2013.9.27 46年9か月 12629回
2016.9.18千秋楽
遠藤泰子 1966.4 TBSのアナウンサーに
詩人 山崎南海子
□若者を育てた「土曜ワイド」
「土曜ワイドTOKYO永六輔その新世界」CD TBSプロネックス
□深夜の○気に包まれて
1969.4「パックインミュージック」0:30~3:00
ラジオが先生
ディレクター:橋本隆
□聴いていた若者と直に交流
「パックインミュージック」
「佐渡へ行こう」 → 「おんでこ座夏季学校」
林英哲も参加
宮本常一 嶋崎信 横尾忠則 田耕
柏木登 日本テレビに
奴がとんでもないことを言っても人気が出ちゃったり…」
今回は、3月6日に続いて、隈元信一さんの
「永六輔」の紹介 2回目です。
出版社の案内には、
「放送作家、作詞家、ラジオタレントなど、多彩な活躍ぶりで歴史に名を残す永六輔。そ
の生涯に貫かれた一筋の道とはいったいいかなるものだったか。新聞記者として最も身
近にいた著者がその実像を描き切った決定的評伝。時代を駆け抜けた『旅の坊主』、『六
輔六面』」の世界へ。」
とあります。
宮本常一さんの言葉「ラジオの電波の飛んでいく先へ行き、見聞をラジオで喋りなさい」
通りに旅での出会い、旅で得た情報を全国に流し続けてくれた永さん。
感謝しています。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「裏方のはずの作家が登場し、しゃべり始める」
「話のデッサン力」
- 永さん、前武さん、青島さん、はかまさん… 懐かしく思い出します。
・「聴いていた若者と直に交流」
「おんでこ座夏季学校」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「永六輔」隈元信一 平凡社 2017年 ②
◇早熟の天才ラジオ屋
□「ラジオは等身大だから」
「テレビは意味もなく大きすぎます。何でもないことを大げさに扱ったり、とんでもない
奴がとんでもないことを言っても人気が出ちゃったり…」
「ラジオは無理に大きく見せなくてもいいでしょ。僕は地のママで、スタジオでも時にう
たた寝したり言葉を間違えたり。聞いている人も御近所の方のような感じがするし、当
初に返事が聞ける。等身大。」
「テレビカメラがあると自分を飾ってしまうことがあるでしょ。」
□歌とラジオは一体
1974「生きているということは」
三木鶏郎
ミッキー・トリオ → 三木鶏郎「歌の時間」
□消えちゃった「日曜娯楽版」
三木鶏郎、三木鮎郎、三木のり平、丹下キヨ子、ジョージ川口、小野満
1952.6.8打ち切り
□トリロー文芸部でもまれる
高校時代に誘われた
キノトールさんが独立した頃
キノトール 能見正比古 神吉拓郎
1951.8.31 グループ解散 → 「ユーモア劇場」
□「ユーモア劇場」も消え去った
丸山がテレビ部門に異動
NHK内部の弾圧 - 裏に佐藤栄作
「いないいないばあ 自衛隊」
□社長になった天才六輔
三木「兄弟工房」設立
社長:永六輔
専務:野坂昭如
五木寛之も
1956 同い年の酒井昌子と結婚
□フリートークは作家のつづき
前田武彦との付き合い
ラジオ関東 1959.7「昨日のつづき」台本なし
裏方のはずの作家が登場し、しゃべり始める
「話のデッサン力」
□長寿記録をつくった「誰かとどこかで」
1967.1.2~2013.9.27 46年9か月 12629回
2016.9.18千秋楽
遠藤泰子 1966.4 TBSのアナウンサーに
詩人 山崎南海子
□若者を育てた「土曜ワイド」
「土曜ワイドTOKYO永六輔その新世界」CD TBSプロネックス
□深夜の○気に包まれて
1969.4「パックインミュージック」0:30~3:00
ラジオが先生
ディレクター:橋本隆
□聴いていた若者と直に交流
「パックインミュージック」
「佐渡へ行こう」 → 「おんでこ座夏季学校」
林英哲も参加
宮本常一 嶋崎信 横尾忠則 田耕
柏木登 日本テレビに