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「子ども観の戦後史」野本三吉 現代書館 2007年 ⑥ [読書記録 教育]

「人が多様な人間関係の中で自分を発見死自らの生き方やアイデンティティをつかんでい
 くという共同性を基盤とした共同体(社会)の復権を!」フィリップ・アリエス(仏)







今回は、2月28日に続いて、野本三吉さんの
「子ども観の戦後史」の紹介 6回目です。


出版社の案内には、



「敗戦以来、日本人の『児童観』はどのように変化したか、子どもを把えた戦後の書籍を
 通し、子どもを取りまく社会現象の変化の中での子どもを見る眼、子ども自身の生活の
 変遷を追ってみた。社会構造の変化を通した人間関係の変遷の中での子どもの変容をみ
 る。」




とあります。





今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「日本における近代化『生産を排除し,消費のみを行うことに専念してきた』」


・「7歳(までは)『神の内』 = 神と人間との境界的な存在」


・「『かわいい』とは『かわいそう』と同根であり,少女たちはそこからの脱皮を希求し
  ながらかわいいの中に浮遊し続ける」


・「アリエスの主張
○共同体(人と人との交流の絆)の崩壊
○家族と学校(教育)の発生と肥大化」





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☆「子ども観の戦後史」野本三吉 現代書館 2007年 ⑥

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◇「少女民俗学」と現代

□1970年代~1980年代はじめ

 大きな社会的,文化的変化


 オイルショック
   → 企業のリストラ・スリム化


 偏差値による能力主義,選別主義


「消費型社会」




□少女民俗学の世界

 大塚英志「少女民俗学」1958生まれ
民俗学 師は宮田登

少女 = 非生産   
   少女(非生産) = 消費 = 常民

         ↓

 日本における近代化
「生産を排除し,消費のみを行うことに専念してきた」




□通過儀礼の消滅

 出生~7歳 
  「神の内」 = 神と人間との境界的な存在

   |

少し気を許すと「神の世界」(死の世界)へ戻ってしまう

→ 幾つもの通過儀礼 ~ 人間の世界へ 


 「人身御供論」新曜社1994 大塚英志
近代化とは通過儀礼が不可能な時代である


 帰属社会の喪失
都市空間 = 無限の旅 = 無限の漂流


 「かわいい」とは「かわいそう」と同根であり,少女たちはそこからの脱皮を希求しな
 がらかわいいの中に浮遊し続ける



   通過儀礼を個人的に求めている




 


◇「子ども期」の発育と消滅

□「子ども期」のない時代

 フィリップ・アリエス(仏)『子どもの誕生』1980 みすず書房

「子ども期」は近代から始まる = 中世には存在せず(絵画の中から)

   中世 → 「幼児期」「大人期」の二分法

   近代 → 「幼児期」「子ども期」「大人期」の三分法




□「子ども期」と家族の発見

 現在の家族に見られる「愛情」とか「教育」という要素は,中世においては家族の中に
は見られないが,「社会」「共同体」にあった



係属 = 運命共同体


 豊かな社会環境 ~ 「濃密な熱い環境」「大きな家」



大きな家の解体 → 夫婦・親子を中心の家族誕生


 自由に人々が交流し会える社会(共同体)が解体し,私的生活としての家族が肥大化し
ていった事実
(女性と子どもの囲い込み)




□「見習奉公」の慣習と学校制度

 「見習奉公」のシステム
他家への行儀見習


 学校も自由だった
   → 近代的学校 「封じ込めの過程」


アリエスの主張
○共同体(人と人との交流の絆)の崩壊

○家族と学校(教育)の発生と肥大化


↓↓↓

 人が多様な人間関係の中で自分を発見死自らの生き方やアイデンティティをつかんでい
くという共同性を基盤とした共同体(社会)の復権を!


 1980年代のアメリカ
マリー・ウィン 『子ども時代を失った子供たち』1984 サイマル

ニール・ポストマン『子どもはもういない』1985 新樹社

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