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「わたしの南無阿弥陀仏」ひろさちや 佼成出版社 2003年 ⑧(最終) [読書記録 宗教]

今回は、4月3日に続いて、ひろさちやさんの
「わたしの南無阿弥陀仏」8回目の紹介 最終です。




出版社の案内には、


「お題目とともに、日本人になじみの深い『なむあみだぶつ』のお念仏を『なんだってあ
 りがたい』という視点でとらえ、それを日常生活の中で実践していくためのコツを紹介
 する“お念仏的生き方”入門書。」


とあります。


ひろさんならではの文章に支えられます。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「この世に生きること(は)『あの世から遊びに来て縁を体験すること』」


・「(浄土への)美しい思い出とは?
 『もがき苦しんで辛くて涙を流したその涙が美しい思い出になる』」


・「この世のいまの自分の人生こそ『次はこうありたい』と、わたし自身が浄土で願った
こと」







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☆「わたしの南無阿弥陀仏」ひろさちや 佼成出版社 2003年 ⑧(最終)

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◇ほとけさまのプログラム

□俳優として自分の役を演じる

 この世に生きること 
   「あの世から遊びに来て縁を体験すること」


 演劇 
  = この世という舞台に生まれ、すべての人が幸せになると言う脚本の中の一人の俳
   優として自分の役を演じる



 わたしたちはこの娑婆世界で50年100年ぐらいの時間をほとけさまから頼まれた役で
世の中を生きている




□浄土に持ち帰る美しい思い出

 浄土へのお土産は何か?


 浄土土産は「この世の中での美しい思い出」


 美しい思い出とは?
 「もがき苦しんで辛くて涙を流したその涙が美しい思い出になる」
   
 この世の中で苦しみ、のたうち回り傷つきながらも懸命に生きたこと、それが美しい思
い出となる




□阿弥陀仏の極楽浄土にいるのは男性のみ(浄土に女性はいない)

 仏性(ぶっせい) 
  女性も男性もない = 全員が仏性 = 真理のおしえを学び合う集団


 浄土 = 天上にある一つのサンガ

わたしたちがこの娑婆世界に来ていると言うことは、天上にあるサンガから願を立てて
願って生まれてきたと言うこと
浄土で、今度はどれくらい娑婆で修行しようかと腹を立ててこの世に降りてくる

          ∥

この世のいまの自分の人生こそ「次はこうありたい」と、わたし自身が浄土で願ったこと








◇他力の心

□じっと見ているより他はない

慈悲の考え方の違い 

聖道門(自力) - 哀れみ・保護しようとする

浄土門(他力) - 仏の大慈悲心をもって



善行はよけいなこと



 浄土の信心に徹したとき 念仏以外ではできない
         


 親鸞 「善人であろうとするな!」



すべてのことに「何だっていい」と思うこと


 人間は無力、とことん無力、自分には救えないと気づく
 
                ↓

 救ってくださるのはほとけさま
人間は無力だから何もできない。諦めるのが他力の信心。



 何か「いいこと」をやり始めたら、人間の無力さを忘れて「もっともっと」と突き進む
ようになってしまう 




□安楽になる必要もない

 苦しんでいる最中に、あわてて苦しみをなくそうとしたら、かえってよけいに長引かせ




 バイキンは怖いと思われているけれども人間と「とも生き」している


 かつてのロボトミー ~ 手術の意味は?




□苦しみをしっかり苦しむ

 他力 「苦しみをしっかり苦しめるようになる」
       


 還相廻行(げんそうえこう)  
向こう岸に往き放しではなく、必ず還ってきてしっかり生きるんだよ


万が一のときは泣けばいい
 しっかり泣けばいい
 真珠の涙をこぼしているんだ(白隠禅師)     







◇ひろさちや

 1936年 大阪生 東京大学大学院  

 宗教評論家 現在「まんだらの会」主宰 

 1965~1985 気象大学校教授 
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