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(1)「ひとり京都」オズマガジンMOOK スターツ出版2017年 (2)「中世の東海道をゆく」榎原雅治 中央公論新社 2008年【再掲載】 [読書記録 一般]

今回は、オズマガジンMOOKの
「ひとり京都」を紹介します。



出版社の案内には、


「オズマガジン特別編集の京都ムックです。 これまでオズマガジンで紹介してきた京都
 特集をぎゅっとバックインサイズにまとめました。 書きこむMAPつきノート、『京都
 よりみちノート』が、取り外して使える綴じ込み付録で登場! ひとりでゆっくり京都
 散歩に必携の一冊です。」


とあります。


自分の興味をもつところのメモのみですが、
一人で京都を訪ねたときに参考になりそうです。


もう一つ、再掲載記事ですが、榎原雅治さんの「中世の東海道をゆく」を紹介します。
浜松近辺の様子がわかります。


<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。

浜松ジオラマファクトリー







(1)「ひとり京都」オズマガジンMOOK スターツ出版 2017年

1.jpg

◇6大エリアはココ

① 岡崎・祗園エリア

  ロームシアター京都 
     京都岡崎蔦谷書店 カフェ・京都モダンテラス
   
  グリル小宝(人気オムライス) 

  円山公園・知恩院




② 鴨川・高瀬川エリア

  鴨川デルタ 
    京都駅近く:京都サイクリングツアープロジェクト
   
  河原町五条:コロッケ西富家(ランチ) アイサニ(カウンター)




③ 浄土寺・北白川・出町柳エリア 

  進々堂京大前店(コーヒー)

  恵文社一乗寺店(本)




④ 七条・五条エリア

  五條製作所

五条モール




⑤ 鞍馬口・北野エリア

  今宮神社
    あぶりもち 澤屋(粟もち)

  建勳神社
    うめぞの茶房(甘味)

  ささら西陣




⑥ 京都駅西部エリア

  きんせ(カフェ)







◇01 岡崎祗園

 定番スポット   
   知恩院 建仁寺 南禅寺 二年坂(名所) 平安神宮
  

 京都モダンテラス 
   ロームシアター2Fやまもと喫茶
  

 丹(和食) 
  スロージェットコーヒー高台寺 JEREMY&JEMIMAH(綿菓子) 


 東山 
  ゆう豆(ランチ)  ぎおん楽楽(抹茶パフェ)


 ランチ  
  グリル小宝(グリル小宝) 肉洋食オオタケ(ハンバーグセット)






◇02 鴨川・高瀬川

 路地  
  あじき路地 先斗町 木屋町通り 柳小路通り
  

 鴨川ピクニック 
  ホホホ座三條大橋店(チキンカレー) 西富家コロッケ店  


 高瀬川散歩   
  イカリヤ食堂(スペシャルランチ ビストロ)






◇03 浄土寺・北白川・出町柳

 定番  
  法然院 知恩寺 吉田神社 田中神社
  

 出町うさぎ






◇04 七条・五条 

 定番  
  三十三間堂 河合寛次郎記念館 efish(カフェ)






◇05 鞍馬口・北野

 定番  
  平野神社 北野天満宮 上七軒通り 


 さらさ西陣






◇06 京都駅西部


















(2)「中世の東海道をゆく」榎原雅治 中央公論新社 2008年【再掲載】

◇湖畔にて-橋本
□浜名の風景 
○浜名へ 明応の大地震 明応7(1498)年8月25日辰の時(午前7~9時)

  御前崎で発生 → 本州中部
大波で海辺町の民家がことごとく流された

     M8.2~8.4


  天竜川右岸 
    地は裂け3~5尺の波,山は割れ崩れた

ほどなく大波が天をついて襲ってきた
幾万人か知らず流される
「円通松堂禅師語録」


  大きな引き潮現象 - 伊勢大被害



○浜名湖の変容

 明応地震以後 「橋本宿」の名は消える


  → 近世「新居関」宿も
   しかし,風光明媚の地橋本宿は壊滅


 今切 2説 
  ① 地震直後の津波により出現

  ② 地震で浜名湖全体の沈降 → 海水流入


 翌6月10日台風による高潮により今切出現
大波で海辺の民家がことごとく流された



□浜名湖変化 
 
 ① 遠州灘と浜名湖はつながっていなかった


 ② 浜名川 以前は遠州灘に向かい西に流れていた


 ③ 地震により1m沈降 満潮時には海水が逆上する汽水湖に





3㎞以上隔たったところに




□古代・中世資料の描く浜名湖

 ○地震以前 … 橋が架けられていた 「浜名の橋」

  長さ170m 広さ4m 高さ4.8m
 
  9世紀前半にはすでに架けられていた


 ○明治初期まで橋本村有り 
    現在も新居町浜名の内に
 

※入江があったかなかったか

橋本の形 P92 図3-2





□浜名湖は沈降したか

○浜名湖は淡水湖だったか 
    鎌倉時代にすでに汽水湖


○浜名湖淡水説の誕生 
    汽水化説は江戸時代中期より


○沈降説の誕生と進化 
    地震学者 都司嘉宣氏 1980年





◇平野の風景 遠州平野

□遠州の内海
○野津には津あり
   「曳馬」は明治になって命名された新地名

中世の引間の位置はまだ特定されていない


 ○内陸水面,今之浦  
   都市・見付 裸祭り



□天竜川
○天中川か天竜川か

 『続日本紀』 
    麁玉河 715年 → 広瀬河 853年 → 天ちうといふ河 11世紀後半 

    → 天中川 1223年 = 鎌倉時代 「テンデューガワ」か?

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