「学級づくりハンドブック」現代教育文化研究所 黎明書房 2005年 後半 [読書記録 教育]
今回は、8月17日に続いて、
「学級づくりハンドブック」前半の紹介です。
出版社の案内には、
「子どもたち一人一人の個性を生かした、学び合う学級づくりの理論と実際が一体となった本格的なハンドブック。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「最重要『教師と子どもたちとの会話』=教師の問いかけとその応答」
・「子どもが答えにくい『問いかけ』をしていないか」
- 子どもが答えやすい問いかけは何かと考えます。
なかなか思い浮かばないこともあります。
・「どのような子どもの考えにも必ず何か真実がある」
・「板書では,子どもたちは書かれたものを目で追い,それを読みながら資料として受け
取る = 最大の長所」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「学級づくりハンドブック」現代教育文化研究所 黎明書房 2005年 後半
2.一人一人の個性を生かし,全員が参加する授業づくり
① 教師の問いかけとその応答
最重要
「教師と子どもたちとの会話」 教師の問いかけとその応答
↑
教師チェックが必要
チェック①
機械的な挙手・指名の方法をとっていないか
チェック②
子どもが答えにくい「問いかけ」をしていないか
<問いかけの段階>
段階1 「はい」「いいえ」で応えられる問いかけ
段階2 答えが一つか二つ。その中から選択できる問いかけ
段階3 いくつかの可能な答えが考えられる問いかけ
段階4 質問の内容をよく考えなければ回答できない問いかけ
段階5 自分の考えや意見を表明させる問いかけ
× 「気持ちは?」
◎ 「そんな気持ちになった時にどんな行動を起こすか?」
チェック③
一人一人の意見を全体に広げる工夫をしているか
1 教師ができるだけたくさんの子どもたちの考えを聞き,応答する。
2 発言した子どもを評価して褒める
どのような子どもの考えにも必ず何か真実がある
3 一人一人の発言を他の子どもが聞き逃さない
「話さない人は聞き取れない」
② 学習を活性化し思考を深める資料提示や板書の仕方
a.資料収集
・目標に直接かかわるもの
・学習効果を高めるもの
・学習意欲を高めるもの
b.どこから集めるか
c.資料の処理
d.資料の提示
一人一人に,学級全体に
e.板書の工夫
板書では,子どもたちは書かれたものを目で追い,それを読みながら資料として
受け取る = 最大の長所
③ 個の力が全体に広がり高まるような発表の工夫
a.子どもたちは自分の言葉で話しているか
b.調べたものを何でも話すのではなく選択する
c.個性ある話し方で話す
「魅力ある話し方」
3.一人一人の個性を生かし,授業を活性化させる教師の役割
① 教師の指導と支援
教師の職務 「子どもを教えること」
「子どもを正しく導くこと」
指導は最も重要な職務
② 指導と支援はどのような時に行われるか
1 学習課題の作成
2 具体的な計画作成(実験計画)
3 実際の活動(実践)
4 まとめと全体の練習
4.授業に生かす評価の工夫と活用
① 学習過程と評価
a.導入に行われる評価
b.学習目標の評価 適切な目標か?
c.学習活動の中に於ける評価
d.最終評価
② 学力の定義と評価活動
a.子ども自身による評価
b;子ども同士による評価
c.地域や保護者の評価
※ 評価表,振り返りノート,ポートフォリオ(小論文,レポート等)
「学級づくりハンドブック」前半の紹介です。
出版社の案内には、
「子どもたち一人一人の個性を生かした、学び合う学級づくりの理論と実際が一体となった本格的なハンドブック。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「最重要『教師と子どもたちとの会話』=教師の問いかけとその応答」
・「子どもが答えにくい『問いかけ』をしていないか」
- 子どもが答えやすい問いかけは何かと考えます。
なかなか思い浮かばないこともあります。
・「どのような子どもの考えにも必ず何か真実がある」
・「板書では,子どもたちは書かれたものを目で追い,それを読みながら資料として受け
取る = 最大の長所」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「学級づくりハンドブック」現代教育文化研究所 黎明書房 2005年 後半
2.一人一人の個性を生かし,全員が参加する授業づくり
① 教師の問いかけとその応答
最重要
「教師と子どもたちとの会話」 教師の問いかけとその応答
↑
教師チェックが必要
チェック①
機械的な挙手・指名の方法をとっていないか
チェック②
子どもが答えにくい「問いかけ」をしていないか
<問いかけの段階>
段階1 「はい」「いいえ」で応えられる問いかけ
段階2 答えが一つか二つ。その中から選択できる問いかけ
段階3 いくつかの可能な答えが考えられる問いかけ
段階4 質問の内容をよく考えなければ回答できない問いかけ
段階5 自分の考えや意見を表明させる問いかけ
× 「気持ちは?」
◎ 「そんな気持ちになった時にどんな行動を起こすか?」
チェック③
一人一人の意見を全体に広げる工夫をしているか
1 教師ができるだけたくさんの子どもたちの考えを聞き,応答する。
2 発言した子どもを評価して褒める
どのような子どもの考えにも必ず何か真実がある
3 一人一人の発言を他の子どもが聞き逃さない
「話さない人は聞き取れない」
② 学習を活性化し思考を深める資料提示や板書の仕方
a.資料収集
・目標に直接かかわるもの
・学習効果を高めるもの
・学習意欲を高めるもの
b.どこから集めるか
c.資料の処理
d.資料の提示
一人一人に,学級全体に
e.板書の工夫
板書では,子どもたちは書かれたものを目で追い,それを読みながら資料として
受け取る = 最大の長所
③ 個の力が全体に広がり高まるような発表の工夫
a.子どもたちは自分の言葉で話しているか
b.調べたものを何でも話すのではなく選択する
c.個性ある話し方で話す
「魅力ある話し方」
3.一人一人の個性を生かし,授業を活性化させる教師の役割
① 教師の指導と支援
教師の職務 「子どもを教えること」
「子どもを正しく導くこと」
指導は最も重要な職務
② 指導と支援はどのような時に行われるか
1 学習課題の作成
2 具体的な計画作成(実験計画)
3 実際の活動(実践)
4 まとめと全体の練習
4.授業に生かす評価の工夫と活用
① 学習過程と評価
a.導入に行われる評価
b.学習目標の評価 適切な目標か?
c.学習活動の中に於ける評価
d.最終評価
② 学力の定義と評価活動
a.子ども自身による評価
b;子ども同士による評価
c.地域や保護者の評価
※ 評価表,振り返りノート,ポートフォリオ(小論文,レポート等)
(1)「教育一分話」柴山一郎 学陽書房 2000年 ⑤ (2)「土のいろ」集成 第五巻 42~51号【再掲載】 [読書記録 教育]
今回は、8月25日に続いて、柴山一郎さんの、
「教育一分話」5回目の紹介です。
出版社の案内には、
「《『心の教育』にすぐ活用できる!》『思いやり』『生きる力』『豊かな心』に分けて子ど
もが他との関わりの中で『心が育つ』130話を収録。子どもが肯定的にとらえて一頁一
話で簡潔明瞭。学活、道徳、朝会、学年集会、父母会、地域の集会の話材・例話に最適。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味は分からない。」
・「大事をなさんと欲すれば小さな事を怠らず勤むべし」
・「人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。」
・「自己に頼るべし,他人に頼るべからず。」
いかにも、その方らしいと思う言葉です。
もう一つ、再掲載となりますが、古い郷土誌『土のいろ』
(「土のいろ」集成 第五巻 42~51号)を紹介します。
昭和6年から昭和7年の頃のことを知ることができるのは、
先人がこの郷土誌を発行してくれたおかげです。
せっかくの資料、子どもたちに社会科で学習させたいのですが、
残念なことに本年度も社会科を受け持っていません。
勤務校は明日が始業式。
今日は、年休。
平日にしかできないことを済ませておきます。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
(1)「教育一分話」柴山一郎 学陽書房 2000年 ⑤
◇ペスタロッチ
1747~1827 スイス教育者
一切合切他人のために。自分のためには何物も。
自発性・直観・労作の教育方法
◇ゲーテ
1749~1832
涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味は分からない。
◇二宮尊徳
1787~1856
大事をなさんと欲すれば小さな事を怠らず勤むべし
◇井伊直弼
1815~1860
一期一会
「茶湯一会集」に
会った時が別れの時 ~ 積極的に豊かな人生を送ろう
◇ホイットマン
1819~1892 詩人
寒さに震えた者ほど太陽の暖かさを感じる。
人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。
◇トルストイ
1829~1910
何を為すべきか
嘘をつかぬ 自分も有罪 命を守るため自然と闘う
◇福沢諭吉
1835~1901
独立自尊
◇内村鑑三
1861~1930
自己に頼るべし,他人に頼るべからず。
◇夏目漱石
智に働けば角が立つ
◇レーニン
1870~1924
嵐は強い樹を育てる
◇フリーチェ
1870~1929 ロシア・文学者
人生は学校である。そこでは幸福より不幸の方が良い教師である。
◇武者小路実篤
今が一番大事な時だ,もう一歩。
◇チャップリン
1889~1977
そうだ人生はすばらしい
(2)「土のいろ」集成 第五巻 42~51号【再掲載】
◇第8巻第2号 通刊42号 昭和6.3
□川名のヒヨンドリ 法月敏郎・牧沢宇兵衛
踏歌のなごり 性の解放
火踊り 毎年2月8日(旧暦は正月八日)
□ 日本左衛門について
日本左衛門
見付中泉本拠 本名浜島庄兵衛 京都出身の浪人
◇第8巻第3・4号 通刊43・44号 昭和6.5
□狐狸表現の史的研究 後藤粛堂
◇第8巻第5号 通刊45号 昭和6.5 遠州方言研究
□遠州方言の特色 野島角男
① 音韻変化
イ 「アイ」が「エー」
あの人ぐらいになりたい → あの人ぐれーになりテー
入れないのか → へーれネのか
もう行くまい → もう行くメー
ロ 「アエ」が「エー」
おまえはいつ帰ったのだ → おメー,いつケーったのだ
ハ 「エイ」が「エー」
成功(セーコー)
低能(テーノー)
ニ 「オイ」が「エー」
面白い(おもしれ)
ひどいことををする(ひでーことをする)
ホ 「イエ」が「エー」
見える(めーる)
◇第8巻第6号 通刊46号 昭和6.8
□木喰上人の遺作について 牧沢宇兵衛
日本廻国 56~93歳
寛政12 奥山 十王堂・観音堂
→ 堀江 - 三方原 - 宮口(十王堂) - 森町(蓮華寺)
□浜松の秋葉神社 山田鉄一
慶長18年正月建立 武田勝頼退陣に際し秋葉社寺に火
← 道案内の十坊浄全を別当職に
浜松城に帰った後浄全を召して浜松に勧請
□祭神迦具土神
並 御子孫の神々 火を司る神様
稚産霊神 豊受比売神
□防火祭(12月15,16日) 菅粥神事(1月28日) 鎮火祭(2月28日)
◇第8巻第7号 通刊47号 昭和6年9月
□蜆塚 後藤粛堂
□「地名の起源」に就いて 佐藤秀太郎
周智郡山梨 「御旅所」
月見里はヤマナシ = 山梨
山がないから月を見る里
◇第9巻第1号 通刊48号 昭和7年1月
□松島鶴島並びに四本松の起源 鈴木松陽
芳川の豪農・鈴木門五左衛門が寛永7年に松島を開発
寛文7年に開発終了 ~ 高130石 五左右衛門新田
↓
鶴島の開拓
↓
松島・鶴島を領有→豪農 鈴木姓から松島姓に
松島家第12世が松島簾作 = 国会議員
→ 静岡へ 静岡民有新聞創刊
□四本松・鈴木門左衛門の祖先は四本松の創始者
◇第9巻第2号 通刊49号 昭和7年3月
□つるし地蔵につきて 呑洋生
佐久間村藩場字神妻
□遠江輩出の刀剣鍛冶工雑記考 近藤用一
□兼吉の墓に就きて
新津・助信地名由来 鈴木泰助
□兼吉地蔵尊(兼吉様)
今より530年前
関の兼定一派用いた刀鍛冶の大家・志津三郎兼吉
応永年間・上杉氏が関東に
志津三郎は備前長船の名家・助信と従軍
|
帰途・引馬で病死(今の高岡憲一郎氏方)
助信が草庵-剣匠の祖として祀った
∥
志津・助信 → 新津(しんづ)・助信(すけのぶ)
◇第9巻第3号 通刊50号 昭和7年5月 遠州方言研究号
□遠州方言研究号 坂元幸次郎,宇波耕作,平松東城
「教育一分話」5回目の紹介です。
出版社の案内には、
「《『心の教育』にすぐ活用できる!》『思いやり』『生きる力』『豊かな心』に分けて子ど
もが他との関わりの中で『心が育つ』130話を収録。子どもが肯定的にとらえて一頁一
話で簡潔明瞭。学活、道徳、朝会、学年集会、父母会、地域の集会の話材・例話に最適。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味は分からない。」
・「大事をなさんと欲すれば小さな事を怠らず勤むべし」
・「人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。」
・「自己に頼るべし,他人に頼るべからず。」
いかにも、その方らしいと思う言葉です。
もう一つ、再掲載となりますが、古い郷土誌『土のいろ』
(「土のいろ」集成 第五巻 42~51号)を紹介します。
昭和6年から昭和7年の頃のことを知ることができるのは、
先人がこの郷土誌を発行してくれたおかげです。
せっかくの資料、子どもたちに社会科で学習させたいのですが、
残念なことに本年度も社会科を受け持っていません。
勤務校は明日が始業式。
今日は、年休。
平日にしかできないことを済ませておきます。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
(1)「教育一分話」柴山一郎 学陽書房 2000年 ⑤
◇ペスタロッチ
1747~1827 スイス教育者
一切合切他人のために。自分のためには何物も。
自発性・直観・労作の教育方法
◇ゲーテ
1749~1832
涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味は分からない。
◇二宮尊徳
1787~1856
大事をなさんと欲すれば小さな事を怠らず勤むべし
◇井伊直弼
1815~1860
一期一会
「茶湯一会集」に
会った時が別れの時 ~ 積極的に豊かな人生を送ろう
◇ホイットマン
1819~1892 詩人
寒さに震えた者ほど太陽の暖かさを感じる。
人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。
◇トルストイ
1829~1910
何を為すべきか
嘘をつかぬ 自分も有罪 命を守るため自然と闘う
◇福沢諭吉
1835~1901
独立自尊
◇内村鑑三
1861~1930
自己に頼るべし,他人に頼るべからず。
◇夏目漱石
智に働けば角が立つ
◇レーニン
1870~1924
嵐は強い樹を育てる
◇フリーチェ
1870~1929 ロシア・文学者
人生は学校である。そこでは幸福より不幸の方が良い教師である。
◇武者小路実篤
今が一番大事な時だ,もう一歩。
◇チャップリン
1889~1977
そうだ人生はすばらしい
(2)「土のいろ」集成 第五巻 42~51号【再掲載】
◇第8巻第2号 通刊42号 昭和6.3
□川名のヒヨンドリ 法月敏郎・牧沢宇兵衛
踏歌のなごり 性の解放
火踊り 毎年2月8日(旧暦は正月八日)
□ 日本左衛門について
日本左衛門
見付中泉本拠 本名浜島庄兵衛 京都出身の浪人
◇第8巻第3・4号 通刊43・44号 昭和6.5
□狐狸表現の史的研究 後藤粛堂
◇第8巻第5号 通刊45号 昭和6.5 遠州方言研究
□遠州方言の特色 野島角男
① 音韻変化
イ 「アイ」が「エー」
あの人ぐらいになりたい → あの人ぐれーになりテー
入れないのか → へーれネのか
もう行くまい → もう行くメー
ロ 「アエ」が「エー」
おまえはいつ帰ったのだ → おメー,いつケーったのだ
ハ 「エイ」が「エー」
成功(セーコー)
低能(テーノー)
ニ 「オイ」が「エー」
面白い(おもしれ)
ひどいことををする(ひでーことをする)
ホ 「イエ」が「エー」
見える(めーる)
◇第8巻第6号 通刊46号 昭和6.8
□木喰上人の遺作について 牧沢宇兵衛
日本廻国 56~93歳
寛政12 奥山 十王堂・観音堂
→ 堀江 - 三方原 - 宮口(十王堂) - 森町(蓮華寺)
□浜松の秋葉神社 山田鉄一
慶長18年正月建立 武田勝頼退陣に際し秋葉社寺に火
← 道案内の十坊浄全を別当職に
浜松城に帰った後浄全を召して浜松に勧請
□祭神迦具土神
並 御子孫の神々 火を司る神様
稚産霊神 豊受比売神
□防火祭(12月15,16日) 菅粥神事(1月28日) 鎮火祭(2月28日)
◇第8巻第7号 通刊47号 昭和6年9月
□蜆塚 後藤粛堂
□「地名の起源」に就いて 佐藤秀太郎
周智郡山梨 「御旅所」
月見里はヤマナシ = 山梨
山がないから月を見る里
◇第9巻第1号 通刊48号 昭和7年1月
□松島鶴島並びに四本松の起源 鈴木松陽
芳川の豪農・鈴木門五左衛門が寛永7年に松島を開発
寛文7年に開発終了 ~ 高130石 五左右衛門新田
↓
鶴島の開拓
↓
松島・鶴島を領有→豪農 鈴木姓から松島姓に
松島家第12世が松島簾作 = 国会議員
→ 静岡へ 静岡民有新聞創刊
□四本松・鈴木門左衛門の祖先は四本松の創始者
◇第9巻第2号 通刊49号 昭和7年3月
□つるし地蔵につきて 呑洋生
佐久間村藩場字神妻
□遠江輩出の刀剣鍛冶工雑記考 近藤用一
□兼吉の墓に就きて
新津・助信地名由来 鈴木泰助
□兼吉地蔵尊(兼吉様)
今より530年前
関の兼定一派用いた刀鍛冶の大家・志津三郎兼吉
応永年間・上杉氏が関東に
志津三郎は備前長船の名家・助信と従軍
|
帰途・引馬で病死(今の高岡憲一郎氏方)
助信が草庵-剣匠の祖として祀った
∥
志津・助信 → 新津(しんづ)・助信(すけのぶ)
◇第9巻第3号 通刊50号 昭和7年5月 遠州方言研究号
□遠州方言研究号 坂元幸次郎,宇波耕作,平松東城