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(1)キーワード「学級経営」31 (2)私の「夜間中学」教師体験記・命の光がいっぱいの教室 いっぱいの学校 ③ 夜間中学校教論・松崎運之助 『致知』2004.3【再掲載2012.3】(1)キーワード「学級経営」31 (2)私の「夜間中学」教師体験記・命の光がいっぱいの教室 いっぱいの学校 ③ 夜間中学校教論・松崎運之助 『致知』2004.3【再掲載2012.3】 [読書記録 教育]

今回は、9月 4日に続き、わたしの教育ノートから
キーワード「学級経営」31回目の紹介です。





今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「学級スローガン 教師  
  ①支持的風土をつくる ②目標ある活動を設定する ③全員に活躍の場を設定する」


・「学級集団(でまず大切にすべきこと)
  1 自由な雰囲気(自由にものが言える)
2 寛容    (少々の間違いし許し合う)
3 協同    (助け合って仕事や学習)
4 規律    (基本的学習や生活のルール)」


・「集中(させるために)
- 話し始めてから終えるまでに,その話を聞いている子どもたち全員の顔を見る」







もう一つ、再掲載となりますが、『致知』2004年3月号より、
松崎運之助 さんの「私の『夜間中学』教師体験記・命の光がいっぱいの教室 いっぱい
の学校 ③」を紹介します(9月5日再掲載分の続きになります)。

教員となった動機、自分の動機と比べると恥ずかしくなります。






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(1)キーワード「学級経営」31

◇学級スローガン
  

 児童  ①頑張る学級にしよう  

     ②助け合う学級にしよう
     
     ③全員が主人公になろう



 教師  ①支持的風土をつくる

     ②目標ある活動を設定する

     ③全員に活躍の場を設定する
        飼育係 整美係 掲示係 新聞係 栽培係 本係 保健係





◇学級作りの着眼点
  
 1 友達の行いや発言について,友達の身になり,友達の立場になり,友達の考えをく
  み取らせているか


 2 どんな考えもバカにしたり笑ったりさせない。
  
    「はみ出し」を大切にし合っているか


 3 友達の発言や行いにどこか良いところはないか必死で探しているか
  

 4 学習にみんなが落ちこぼれなく参加しているか 


 5 新しいものをつくっていこうと努めているか





◇学級経営
  
 条件整備 → 指導法の向上


 年次性と内容性


 「人間性豊かな児童の育成のために」


 「ゆとり」


 「基礎学力」





◇学級集団
  
 1 自由な雰囲気(自由にものが言える)


 2 寛容    (少々の間違いし許し合う)


 3 協同    (助け合って仕事や学習)


 4 規律    (基本的学習や生活のルール)

  ↓

調和的に






◇学級経営
 
 ①中心は授業
 

 ②教師は子供を差別してはならない
 

 ③子供の差別を許さない






◇集中
 
□集中できない子供
 
 1 神経質


 2 依頼心が強い


 3 雰囲気に左右されやすい
   

 4 集団になじめない 

  ①孤独修練の不足

  ②絶縁能力の不足 → 集中した体験を数多くさせる
 


□集中

「話し始めてから終えるまでに,その話を聞いている子どもたち全員の顔を見る」



一番後ろの子供に話しかけるつもりで話す(視線を合わせる)

 ◎「発表する人を見なさい。すっかり後ろ向きになっている人は,思い切って体ごと。」

 ◎「発表するときは中央を。一番遠くの人を見て。」
 


□集中法

 ①時間を限定する 2~3分


 ②答えを復唱させる


 ③「一心にやりなさい」
   

 ④○○の声を聞きなさい
   

 ⑤声の物差し 

   青 0 話を聞く

1 学習中どうしても言いたいこと

2 グループで話し合う


黄 3 遊び時間に話す 返事をする

4 発表する 本を読む みんなにはっきり聞こえる


  赤 5 運動場でみんなに話す 


 ⑥数を示す















(2)私の「夜間中学」教師体験記・命の光がいっぱいの教室 いっぱいの学校 ③ 夜間中学校教論・松崎運之助 『致知』2004.3【再掲載2012.3】

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◇どんなに落ちぶれてもぼくは学校の先生にはならない


 私たち親子に対し、学校の先生は一貫して冷たい対応でした。


 給食費も滞っている、いつも汚い格好をしている、成績は良くない、落ち着きはない。
 

 しかも、児童に「どぶ川のバラックには近づいてはいけない」と指導している、そのバ
ラックから通っているのです。




 いまとなれば先生の気持ちも分からなくもないですが、やはり子どもには辛い日々でし
た。


 授業の前、毎朝衛生検査がありました。


 身だしなみや身体の衛生面を調べるのですが、うちにはハンカチやちり紙、まして爪切
りなど買う余裕はありません。


担任の先生は


「まったくだらしがない。何回言えば分かるの…」


と言って、私の手をぴしゃりと叩き、決まって、


「あんたの母親は子どもを放ったらかして何やってんのかね」


と、吐き捨てるように言いました。



 何やっているって、母は毎日一所懸命働いているのです。


 それは私が一番よく知っています。


 自分が叩かれるのは何でもない。しかし、友達の前で大好きな母を馬鹿にされ、罵られ
ると、私の小さな子ども心はぐしゃぐしゃでした。



 きっと学校の先生というのは、どこか日当たりのいい二階家に住んで、レースのカーテ
ンがかかっていて、ピアノの音が流れる、そんな家のお嬢さん、坊ちゃんなんだ。


 だから私たちのような暮らしはまったく分からない。こんな人たちに比べたら、バラッ
クの隣の部屋に住んでいる的屋のおっちゃんのほうが、ずっと優しくて温かい。


 たとえどんなに落ちぶれても、僕は絶対学校の先生にだけはならない。
 

 そう誓いました。




 中学卒業後は、少しでも母の助けになりたかったので、就職し地元の造船所で働きまし
た。


 18歳になると中学の同級生たちは高校を卒業。


 その姿を見て、急に高校へ行きたくなり、遅まきながら18歳で定時制高校へ入学。


 すると今度は大学にも行きたくなって、上京し、町工場で働きながら夜間の大学に通い
ました。



 15の時から工場で働いていたので、私は溶接やクレーン、ボイラーなど、数々の資格
を持っていました。


 せっかく大学を出るんだから、何か資格をプラスしたい。


 そう思った私は、まったくなる気もないのに教職課程を履修しました。


 資格取得には、最後に教育実習に行かなければなりませんが、日中は働いているので、
昼間の学校へは行けません。


 大学にどこか夜間に行けるところはないかと相談し、紹介されたのが夜間中学だったの
です。





◇自分も夜間中学の仲間に入れて下さい

 実習初日、ここがあなたの受け持つ教室ですよと案内され、驚きました。


 自分が実習に来たのは夜間中学だったはず。なのになぜこの人たちはひらがなの勉強を
やっているのだろう?


 中学国語の免許を目指していましたから、『走れメロス』を題材にした授業を準備して
きていましたが、ひらがなの勉強をしている方々に、どうしてそんな授業ができるでしょ
うか。


 しかし私の驚きをよそに、生徒の皆さんは一所懸命ひらがなの練習をしながら、


「先生、『の』っておたまじゃくしがひっくり返ったみたいだね」


と、目をキラキラと輝かせています。



 そのクラスには特に勉強熱心なおじさんがいました。


 廊下に貼ってある「廊下を走らない」という文字を、


「これが『ろうか』で、こっちが『はしらない』と読むんですよ」


と教えて差し上げると、


「ほう、これが『はしる』という字ですか! 本当に右から左へ走っているみたいですね」


なんて感動する。



 ところが、ある日を境にその方がバタッと姿を見せなくなりました。


 あれほど目を輝かせ、スキップを踏むように学校に来ていたのにどうしたんだろう。


 心配になって指導の先生に聞いてみると、絞り出すような声でおっしゃいました。


「…あの方は、実は病気なんだ」


 小さな頃から活字をつくる工場で働き、何十年も鉛を吸い続け、鉛中毒で体はボロボロ、
いまは絶対安静の状態だというのです。


 本当は通学できる体ではないのに、学校へ行かなければ死んでも死に切れんと医者や家
族の制止を振り切って通ってきていたのです。


 学校ではそんなことをおくびにも出さず、いつもキラキラ目を輝かせて勉強なさってい
ましたが、その光はご自分の命を削って輝かせていたのです。




 私は目の前が真っ暗になりました。


 自分は大学まで来て、一体何の勉強をしてきたのだろう。


 その方は学校に入る以前、生活との闘い、仕事との闘い、いろんなご苦労があったはず
です。


 私はそんなことに思いを馳せることなく、学校で見せるほんの数時間の姿だけでその人
を判断していました。


 毎晩顔を合わせている人の、体温を感じるくらい近くにいる人の悩みや辛さも分からず
に何が勉強だ、何が先生だ。



 そうして浮かんできたのは母の顔でした。


 日雇いで働きながら一所懸命育ててくれた背中、


「大丈夫よ、母ちゃんがついているけん、心配なかよ」


と励まし続けてくれた笑顔。



 母だけではありません。いつも私たち親子を助けてくれたバラックの人たち、中学を出
て就職した造船所の職工さん、女工さんたち。


 自分はその人たちから支えられ生きてきたのに、夜間とはいえ学歴の階段を上るうち、
彼らの思いとは遠いところへ行ってしまったんだ-。




 私は泣きながら指導の先生のところへ行き、


「きょう限りで実習を辞めさせていただきます」


と申し出ました。



「こんなふやけた人間が、こんな薄っぺらい人間が、先生と呼ばれるなんてとんでもない。
 どこかでもう一度自分の魂を鍛え直してきます」



「松崎さん、それは違う。違うんだよ。それに気づいたことがどれだけ立派か、どれだけ
 素晴らしいか。松崎さんはどこかで鍛え直すと言うが、そのどこかにだってこの学校と
 同じ現実があると思う。それならここでやっていくのが一番 いいじゃない。辞めるな
 んて言わないで一緒に勉強していこう」



 先生の一言一言が深く心に染み入って、話し終える頃には自分もここの仲間に入れてほ
しい、と心から思いました。



 地位とか名誉とか権力とか、世の中のギラギラしたものと無禄の人間がここにいる。人
間の誠実さがここにある。


 私は夜間中学でもう一度人間としての勉強をやり直したいと思いました。



 そうして都の教員採用試験では夜間中学だけを希望れて合格。それから30年以上の時
が経ちました。




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