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(1)キーワード「学級経営」36  (2)「宮本常一著作集43 自然と日本人」 未来社 ① 2003年【再掲載2013.9】 [読書記録 教育]

今回は、10月 1日に続いて、
キーワード「学級経営」36回目の紹介です。





今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「小物袋」


・「小さな部分をやらせてみてできたらノート・教科書をもってこさせる」


・「名前『君・さん付け』」


・「宿題提出システム」






もう一つ、再掲載となりますが、
「宮本常一著作集43 自然と日本人」から、宮本さんの文章を紹介します。

「…ただ単なる自然ではなく、人の手によって出現した自然である。」
が印象に残りました。
美しい自然は人の努力があるからこそということをまず理解することが大切だと改めて感じました。






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(1)キーワード「学級経営」36

◇説教より反省を
  
□ある子がある子を殴ったら

 × 説教


 ◎ 教室の前に出し
 一人一人に「女の子を殴ったことをどう思いますか」と尋ねる



  クラスの子一人一人が批判

   原理 「子供集団には教育力がある」








□学級づくり(最初の一週間)
 
(1)

 ① 全員座らせて
    

 ② 短い挨拶(2分程度)
    

 ③ 全員の名前を読み上げる


 ④ 教室・靴箱確認   名前を覚える

 


(2)

 ① 背の順を決め座席決め(連休明けまで)
    

 ② 靴箱を決める(背の高い順に最上段から)
    

 ③ ロッカーを決める
    

 ④ 持ち物確認 
   ア 小物袋 
      セロテープ・ホチキス・色紙・のり・ボンド・三角定規・傷絆創膏   
      ・ちり紙・ハンカチ・色鉛筆・マーカー 

   イ 自由帳 

      忘れ物 → 正規のノートに必ず転記


 ⑤ 係


 ⑥ 当番


 ⑦ 日直


 ⑧ 質問を受ける 全員の前で

欠席児「○○君○○さんに伝えて」
 



(3)

 ① 漢字・計算テスト 

   前学年総練習


 ② 国語  

   漢字練習「指書き・うつし書き・なぞり書き」


 ③ 算数  

   どのページか一目で分かる

正答の時は問題番号でチェック

線は短い定規


 ④ 理科・社会 見開き2ページ 一つの作品のように
 



(4)

 ノートの使い方・教科書のチェック印



小さな部分をやらせてみてできたらノート・教科書をもってこさせる


 名前「君・さん付け」
 



(5)クラスづくりのしん 百人一首








◇新学期こんな持ち物を
 
□小物袋  

 セロテープ・ホチキス・色紙・のり・ボンド・三角定規・傷絆創膏・ちり紙・ハンカチ
 ・カラー鉛筆・マーカー



□自由帳



□国語辞典



□「作文君」 200円 新学社
 


□B5版 透明ファイル







◇学級組織
  
 ① 挨拶


 ② 担任紹介


 ③ クイズ


 ④ 座席決め


 ⑤ 靴箱の整理


 ⑥ ロッカーの鞄の位置


 ⑦ 教科書配布


 ⑧ 並ぶ練習 番号順

   <休み時間> 
守ることができた子を褒める


 ⑨ 並ぶ練習 

   小さい順


 ⑩ 宿題 

  「ハマコウ担任へのお手紙」


 ⑪ 明日の持ち物確認


 ⑫ 各種たより配布


 ⑬ 宿題提出システム
 
   ア B4ノート開いて入れられるかごを二つ用意

   ノートを開いてふせて入れる

   イ 自分で黒板に○

   ウ 忘れたら学校でやる


 ⑭ 忘れ物対策

   「ノート君」名前・日付・教科名・用紙印刷















(2)「宮本常一著作集43 自然と日本人」 未来社 ① 2003年【再掲載2013.9】

2.jpg

◇日本人にとって自然とは


 日本人は自然を愛し、自然を大事にしたというけれど、それは日本でも上流社会に属
する一部の、自然に対して責任を持たぬ人たちの甘えではなかったかと思う。


 自然の中に生きた者は自然と格闘しつつ第二次自然を作りあげていった。


 たとえば、武蔵野は徳川吉宗の勧農政策によって畑にひらかれたが、それがかえって、
この野を砂漠同様にしてしまい、干ばつによる飢饉が相つぎ、多くの農民の離散があった。



 それを屋敷の周囲、畑の周囲に木を植え、畑の区切ごとに茶を植えて、風を防いで作物
の成育をたすけ、玉川上水からいくつもの分水路を作って人の住み得るところにしたので
あって、ただ単なる自然ではなく、人の手によって出現した自然である。



 海岸につづく松原なども、自然に生えた木はほとんどない。



 その初めは、潮風を防ぎ、砂を防ぐために苦労して植えたもので、そうしなければ、そ
こに住み、そこに生きられなかったのである。                  


 山にしぜんに木の生えているようなところでは、山の木はむしろ無雑作に伐られて薪炭
材とされた。



 歩いてみるとよくわかることだが、バスで通過するほどの山地で、樹齢100年をこえ
る木の茂っているところはほとんどない。木は伐ってもまた茂るからというので、皆が平
気で伐った。



 とくに昭和30年(1955)年頃から林道の開発がすすむと、奥地に残っていた原始
林がパルプ用材として乱伐され、その生産額は建築用材をこえたことがある。



 そのあとへ杉などの植林されたものもあるが、大半は放置された。里人の眼につかぬ所
であるから誰も気がつかなかった。



 木の育ちにくい所では木を大切にするが、ほったらかしておいても育つような所では、
いたって粗末にする。



 山に木が青々としているから大切にしているのだと思ってはいけない。



 自然愛護などとロにしつつ、空閑地や道ばたに進んで木を植えようとする人はほとんど
いない。



 むしろ都会人たちは木をきらっている。その証拠は、武蔵野の古い街道の両側に植えら
れたケヤキのほとんどが伐られてしまった。日かげになるとか、風が吹いて枝が折れると
危険だからというようなことが理由で。



 それは決して武蔵野だけではない。街道の松並木なども大方姿を消した。交通の障害に
なると言って。




 最近、西日本はマツクイムシの被害が甚しいが、その防衛策のようなものがたてられて
いるとは聞いていない。むしろ、松が枯れてしまったら伐って宅地造成ができると、ひそ
かに喜んでいる者もあるという。


 もともと、その地に住む者にとって風景のよいというのは重荷であった。


 そういうところは真直ぐな道も平坦な道も少なく、生活をたてるには、その山坂をのぼ
りおりして働かねばならなかった。



 だから風景のよいといわれるところに住む人はどこでも貧しかった。



 観光会社がホテルを作ったり遊び場を作ったりしても、地元の人には何のかかわりあい
もなく、むしろ都会人にうすぎたない姿で働く姿を見られることをはじた。


 最近になって民宿の発達したところでは、何かほっとしたものがあるようである。


 地元の人にとっては、そこにある自然が、そこに住む人にゆたかな生活をたてさせてく
れるものがよい自然なのである。しかもその自然から奪いつづけなければ生きてゆけない
人生があった。


 生活をたてるために造りだした第二次自然すらが、風景をたのしむようなものではなか
った。



 そういう中へ、昔の上流階層の自然観賞的な態度が、一般人の間にひろがって、観光開
発になってきた。


 昔はただ個人でこれを観賞したが、今は大ぜいで押しかける。

 
 そしてそれのできる身分になることを誰ものぞんでいる。


 すべて自然への甘えである。


 しかも今日では、自分たちの生活を守るために自然を利用することも少なくなった。口
で自然を守れといってみてもどうしようもないことで、もう一度、日本人自体の自然に対
する態度を問いなおしてみることからスタートしなければならない。




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