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草柳大蔵さんはこんなことを43 [読書記録 教育]

今回は、12月26日に続いて、わたしの読書ノートから、
「草柳大蔵さんはこんなことを」43回目の紹介です。





今回も、「続午前8時のメッセージ」(静岡新聞社)からの紹介です。




出版社の案内には、


「評論家・草柳大蔵が送る待望の第2弾。家庭、学校、社会、さまざまな角度から子ども
 の心を見つめ、輝く未来のために祈りを込めて語る珠玉の99話。」


とあります。



昨夜は高校同級生の忘年会。
来年定年を迎えるわたしたち。
高校生の時にとった8ミリフィルムを見ました。
若い仲間の姿を見ながら友人と語りました。
昭和に学び、平成で働き、令和に定年後を過ごすわたしたち。
充実した年をつくっていこうと思いました。
今夜は、小中学校同級生の泊を伴う忘年会。
男ばかり15人ほどの会。
楽しみです。




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☆草柳大蔵さんはこんなことを43

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☆「続午前8時のメッセージ」草柳大蔵 静岡新聞社 2002年 (9)

◇長崎の原爆の日によせて

 8月9日、長崎は原爆の日を迎えます。長崎の原爆資料館にいらっしゃった方もおあり
になると思いますが、おそらくお見逃しになっているのではないでしょうか。


 かつての小倉や八幡や戸畑が集まって北九州市になりましたが、その北九州市の皆さん
が、長崎に大きな碑を贈っているんですね。



 長崎に原爆を落としにきたアメリカの飛行機は、実は最初は小倉に落とすはずだったん
です。


 小倉というのは、軍事工場が軒を並べていたところですから、アメリカ兵はここを叩く
予定でした。


 ところが、その日はどんよりと曇って、全然視界が利かなかったんですね。


 そこで長崎の造船所を攻撃しようと、小倉から長崎に機首を向け直します。


 長崎の上空に達したとき、長崎の上空も雲に覆われていたので、レーダーを頼りに攻撃
をかけようとした。


 すると、造船所の上だけポッカリと雲が切れていたんですね。


 そこで原爆を投下することになります。


 つまり、最初は小倉に落とすはずだったのに長崎に落とした。そのために、長崎の人た
ちは大変な目に遭うんですね。


 8万人余の人々が原爆の業火に焼かれ死んでいきました。



 そういうわけで小倉(今の北九州市)の人たちは、長崎は私たちの犠牲になったのでは
ないか、本当にすいません、お気の毒でした、ということを碑面に刻んでその碑を長崎に
贈りました。


 それを長崎市が原爆投下地のすぐそばに建てているんですね。



「惨憺たる災禍は、実は北九州市民が受けるはずのものでありました。地獄さながらの長
 崎市民の苦しみは、本来は、北九州市民のものであったはずです。多くの長崎市民が、
 多くの北九州市民に代わって亡くなっていかれたのです。お詫びとも慚愧ともお見舞い
 とも、何とも言いようのない、いてもたってもいられないこの気持ちを、長崎市民にお
 伝えしたくてこの碑を作りました」


というのがその碑面の内容です。


 北九州の皆さんが素晴らしい碑を長崎の皆さんに贈ったこと、それを地域の子どもたち
に聞かせて、


「人間同士というものは、こうやって心の橋渡しをしてきたんだよ」


という話をしてあげたらどうでしょう。


 私は、この碑文を読んだときにある言葉を思い出しました。


 おそらく皆さんもご存知の方が多いと思いますが、二行の短い言葉です。




 自分の幸せの日に、人の不幸を忘れない
 自分の不幸の日に、人の幸せをうらやまない




 私は随分と年をとってから、この言葉に巡り会いました。これは、人間の心の置き所と
でもいえるものではないでしょうか。


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