(1)「知って役立つ民俗学」福田アジオ ミネルヴァ書房 2015年 後半 (2)江戸時代の「津波避難タワー」 磯田道史(『歴史の愉しみ方』中公新書 2012年より)【再掲載】 [読書記録 民俗]
今回は、1月23日に続いて、福田アジオさんの
「知って役立つ民俗学」後半の紹介です。
出版社の案内には、
「『民俗学って何だろう?』という初学者のために、これから民俗学を学び始める大学生
アイを主人公にした物語に沿って、テーマごとに民俗学の基本や考え方を丁寧に解説。
『あたりまえ』と思っている日々の生活を、民俗という新たな視点でとらえ直すきっか
けを提供する。民俗学を身近なものとしてとらえ、おもしろさを感じながら学べる入門
書。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「出る杭を打つ平等主義 = ムラ社会における共同性の保持と平等主義」
・「なぜユニフォームを着るのか? 衣服で感じる一体感」
・「日本の伝統的コモンズ 入会(入り会い)」
・「丙午って何 - 誕生と俗信
1966年に生まれた女性たち → やっぱり気が強い?」
・「本来の季節感を伴わない多様な周期に行事-違和感
① 新暦に移行
② 旧暦のまま
③ 新旧両方
④ ずれをおよそ1か月とみなす」
二週続けて「ブラタモリ」浜松の探訪を楽しみました。
一週間前の番組にチラッと初詣に伺った神社の付近が映りました。
過去記事を再掲載します。
歴史の楽しみ方を具体的に教えてくれる『歴史の愉しみ方』中公新書 2012年 はお薦めの本です。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
(1)「知って役立つ民俗学」福田アジオ ミネルヴァ書房 2015年 後半
◇横並び志向の心理
□出る杭はどうして打たれるのか - 個性の発現とムラ社会
出る杭を打つ平等主義 = ムラ社会における共同性の保持と平等主義
日本人と事大主義
時代を変える革新力
□渡る世間は鬼ばかり
世間と空気
□なぜユニフォームを着るのか?
衣服で感じる一体感
入学式と学生服 制服・礼服・標準服 そろいの法被に
□なぜきちんと行列をつくるのか? - 秩序の文化
逐次性と秩序
自立する秩序
◇第6章 暮らしと自然環境
□自然資源は誰のものか - コモンズの思想
日本の伝統的コモンズ
入会(入り会い)
□自然災害はどう伝えられてきたか 災害伝承の背景
□鯨を捕るのは悪いことか? 捕鯨と自然保護
鯨一頭七浦を潤す
鯨はエビス
□もののけ姫のメッセージは何?
草木国土悉皆成仏
日本文化論としてみる「もののけ姫」八百万の神
里山と水田
草木供養塔
自然・人・カミの共生
◇神と自然
□パワースポットはなぜ流行る
□猫はなぜ化けるのか
- 妖怪の多様性と変遷
□花見はいつから始まったのか
- 花を愛でる心と季節感
日本文化としての花見
農村の花見
近世都市の花見
近現代社会の花見
□盆と彼岸に祀る御先祖様は誰か
- 祖先祭祀の主流
家と先祖
融合する先祖
◇くらしと信仰
□丙午って何 - 誕生と俗信
1966年に生まれた女性たち
やっぱり気が強い?
□月遅れって何
- 暦と行事
月遅れ
- 本来旧暦で行っていた行事で新暦の1か月遅れの周期で行うこと
□旧暦から新暦へ
明治5.12.3
太陰太陽暦(旧暦) → 太陽暦(新暦)
本来の季節感を伴わない多様な周期に行事-違和感
① 新暦に移行
② 旧暦のまま
③ 新旧両方
④ ずれをおよそ1か月とみなす
民間暦・公の祝日と行事
□正月にいっせいに歳を取るって本当?
- 年齢の民俗
年取りに介入する国家
□なぜお守りをもっているのか?
- 祈願とまじない
◇ウチとソト
□押すべきか引くべきか?
- 引き戸からドアへ
戸とドア 戸の内と外
□縁側って何?
- 曖昧と両義
□地蔵や道祖神はどこに立っているのか?
- 教会と神仏
民俗における境界
□なぜウチの会社ではと言うのか
- ウチの意識・ソトの意識
「身内」と「仲間内」
日本人にとってのウチとソト
◇日本文化の多様性
□正月の雑煮に入れる餅は丸か四角か?
- 列島の地域性
□ゴーヤチャンプルーは沖縄料理か?
□なぜ日本人はラーメンとキムチが好きなのか?
- 食文化の近代へ
日本に帰化したラーメン
□「県民性談義」はなぜ盛り上がるのか?
- 地域差と地域性
テレビ番組に取り上げられる県民性や郷土色
県民性とお国柄 幻の県民性 地域と民俗学
◇民俗学が読み解く現代
1 民俗と民俗学
2 起源から変遷へ
3 研究と調査の分離から統合へ
4 危機意識と使命感からの民俗学
5 形成過程の民俗学
(2)江戸時代の「津波避難タワー」 磯田道史(『歴史の愉しみ方』中公新書 2012年より)【再掲載】
<高塚 熊野神社 - 周りよりだいぶ高くなっています>
次に大津波のきそうなところで、しばらく歴史津波の古文書をさがそうと思って、2012
年4月から静岡文化芸術大学にうつり、歴史上の津波の講義をはじめたら、授業後、女子
学生から悲痛な質問メールがきた。
「自分は海岸から2キロの場所に住んでいる。震災後、津波避難所ができたが、たいてい
2階建ての屋上です。想定される最大11メートルの津波が来た場合、それに上がって
助かるものでしょうか。」
私には「武士の家計簿」やら「忍者の履歴書」やら発見困難な古文書をみつける運があ
るらしい。
震災後ためしに地震津波の古文書をさがしてみたらいくつも新出史料がみつかった。
平時なら忍者の古文書だけ研究して楽しく歴史に遊んでもいい。
しかし列島が地震活動期にはいってしまった以上、そうもしていられない。
「磯田さん。あんた古文書捜査がそんなに速いなら地震津波の古文書をみつけなよ」。
天に則ればその声が聞こえる。それで津波常襲地の大学にうつることにした。
歴史事例から津波の怖さを学生にさんざん講義したら
「東海地震の怖さは小学生の頃からずっといわれてきたが、先生ほど具体的な話をする人
はいなかった」
と件の質問がきた。
内閣府の有識者会議が最大級の南海トラフ連動地震がおきたときの津波の高さを公表。
女子学生の住む町は11メートル超、私の住む浜松は14メートル超の津波が予想されて
いる。
人命のかかった質問だ。私はこう答えた。
「3月3日付の『日本経済新聞』(電子版)に『津波は対抗せずやり過ごせ』という記事が
ある。浜松に地形がよく似た名取市閖上(ゆりあげ=宮城県)の事例だ。閖上の海岸には
8.5メートルの津波が襲来。沿岸から2キロ内陸にいた人は高さ約5メートルの歩道橋
にあがってギリギリ助かった。しかしこれが11メートルの津波であったら助からなか
ったと考えるのが自然。貴君が心配するように2階建ての屋上は6メートル前後。最大
級の津波には最低でも高さ8メートル以上の建物屋上への避難が必要ではないか」
いま、津波避難タワーの建設がさけばれている。
海岸ぞいで高台のない人口密集地ではまさに命綱だ。
ふと考えた。江戸時代に津波避難タワーはなかったのか。
ところが1か月もたたず、私は史料調査中にその現物をみつけてしまった。
浜松駅の西に高塚という駅がある。
近くの熊野神社に高い塚があるから高塚だ。
神社の案内板をみて驚いた。
「此の地の神主さんが高い丘を作って人びとを救えと云う不思議な夢を見たので、村人と
はかって神社の裏山に土を盛りあげた」。
それは最古かもしれない津波避難タワーだった。
高塚地区は海岸から2.2キロ。海抜約5メートル。巨大津波が来れば危ない。
だからだろう。周囲の地面から高さ8メートルの砂山を作っていた。
高塚の地名は江戸初期にはすでに見られる。
砂山の麓には樹齢500年のシイの大木があった。
「大津波のため住んでいた人達が殆ど死んでしまった。村人は津波の犠牲者を此の地に葬
り沢山の砂を浜から運んで高い塚を作った」。
これはおそらく明応の超巨大津波(1498)の時のことだろう。明応津波は安政地震津波
(1854年)の3~4倍の高さとされる。
巨大津波で高塚集落は一度壊滅したらしい。
しかし
「安政の大地震が起り津波のため多くの死者が出たが、高塚の人達は此の丘に避難して被
害を免れた」。
このタワーは機能したのだ。
この集落は、神の声、神主の発案でこの避難タワーを作り「維新頃に至るまで毎年正月
元旦に氏子が土砂を盛」っていた(『入野沿革誌』)。
しばらくして例の女子学生からメールがきた。
「近くに8メートル以上の4階建てがあるからそこに逃げるようにします」。
<熊野神社の由来書き>
「知って役立つ民俗学」後半の紹介です。
出版社の案内には、
「『民俗学って何だろう?』という初学者のために、これから民俗学を学び始める大学生
アイを主人公にした物語に沿って、テーマごとに民俗学の基本や考え方を丁寧に解説。
『あたりまえ』と思っている日々の生活を、民俗という新たな視点でとらえ直すきっか
けを提供する。民俗学を身近なものとしてとらえ、おもしろさを感じながら学べる入門
書。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「出る杭を打つ平等主義 = ムラ社会における共同性の保持と平等主義」
・「なぜユニフォームを着るのか? 衣服で感じる一体感」
・「日本の伝統的コモンズ 入会(入り会い)」
・「丙午って何 - 誕生と俗信
1966年に生まれた女性たち → やっぱり気が強い?」
・「本来の季節感を伴わない多様な周期に行事-違和感
① 新暦に移行
② 旧暦のまま
③ 新旧両方
④ ずれをおよそ1か月とみなす」
二週続けて「ブラタモリ」浜松の探訪を楽しみました。
一週間前の番組にチラッと初詣に伺った神社の付近が映りました。
過去記事を再掲載します。
歴史の楽しみ方を具体的に教えてくれる『歴史の愉しみ方』中公新書 2012年 はお薦めの本です。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
(1)「知って役立つ民俗学」福田アジオ ミネルヴァ書房 2015年 後半
◇横並び志向の心理
□出る杭はどうして打たれるのか - 個性の発現とムラ社会
出る杭を打つ平等主義 = ムラ社会における共同性の保持と平等主義
日本人と事大主義
時代を変える革新力
□渡る世間は鬼ばかり
世間と空気
□なぜユニフォームを着るのか?
衣服で感じる一体感
入学式と学生服 制服・礼服・標準服 そろいの法被に
□なぜきちんと行列をつくるのか? - 秩序の文化
逐次性と秩序
自立する秩序
◇第6章 暮らしと自然環境
□自然資源は誰のものか - コモンズの思想
日本の伝統的コモンズ
入会(入り会い)
□自然災害はどう伝えられてきたか 災害伝承の背景
□鯨を捕るのは悪いことか? 捕鯨と自然保護
鯨一頭七浦を潤す
鯨はエビス
□もののけ姫のメッセージは何?
草木国土悉皆成仏
日本文化論としてみる「もののけ姫」八百万の神
里山と水田
草木供養塔
自然・人・カミの共生
◇神と自然
□パワースポットはなぜ流行る
□猫はなぜ化けるのか
- 妖怪の多様性と変遷
□花見はいつから始まったのか
- 花を愛でる心と季節感
日本文化としての花見
農村の花見
近世都市の花見
近現代社会の花見
□盆と彼岸に祀る御先祖様は誰か
- 祖先祭祀の主流
家と先祖
融合する先祖
◇くらしと信仰
□丙午って何 - 誕生と俗信
1966年に生まれた女性たち
やっぱり気が強い?
□月遅れって何
- 暦と行事
月遅れ
- 本来旧暦で行っていた行事で新暦の1か月遅れの周期で行うこと
□旧暦から新暦へ
明治5.12.3
太陰太陽暦(旧暦) → 太陽暦(新暦)
本来の季節感を伴わない多様な周期に行事-違和感
① 新暦に移行
② 旧暦のまま
③ 新旧両方
④ ずれをおよそ1か月とみなす
民間暦・公の祝日と行事
□正月にいっせいに歳を取るって本当?
- 年齢の民俗
年取りに介入する国家
□なぜお守りをもっているのか?
- 祈願とまじない
◇ウチとソト
□押すべきか引くべきか?
- 引き戸からドアへ
戸とドア 戸の内と外
□縁側って何?
- 曖昧と両義
□地蔵や道祖神はどこに立っているのか?
- 教会と神仏
民俗における境界
□なぜウチの会社ではと言うのか
- ウチの意識・ソトの意識
「身内」と「仲間内」
日本人にとってのウチとソト
◇日本文化の多様性
□正月の雑煮に入れる餅は丸か四角か?
- 列島の地域性
□ゴーヤチャンプルーは沖縄料理か?
□なぜ日本人はラーメンとキムチが好きなのか?
- 食文化の近代へ
日本に帰化したラーメン
□「県民性談義」はなぜ盛り上がるのか?
- 地域差と地域性
テレビ番組に取り上げられる県民性や郷土色
県民性とお国柄 幻の県民性 地域と民俗学
◇民俗学が読み解く現代
1 民俗と民俗学
2 起源から変遷へ
3 研究と調査の分離から統合へ
4 危機意識と使命感からの民俗学
5 形成過程の民俗学
(2)江戸時代の「津波避難タワー」 磯田道史(『歴史の愉しみ方』中公新書 2012年より)【再掲載】
<高塚 熊野神社 - 周りよりだいぶ高くなっています>
次に大津波のきそうなところで、しばらく歴史津波の古文書をさがそうと思って、2012
年4月から静岡文化芸術大学にうつり、歴史上の津波の講義をはじめたら、授業後、女子
学生から悲痛な質問メールがきた。
「自分は海岸から2キロの場所に住んでいる。震災後、津波避難所ができたが、たいてい
2階建ての屋上です。想定される最大11メートルの津波が来た場合、それに上がって
助かるものでしょうか。」
私には「武士の家計簿」やら「忍者の履歴書」やら発見困難な古文書をみつける運があ
るらしい。
震災後ためしに地震津波の古文書をさがしてみたらいくつも新出史料がみつかった。
平時なら忍者の古文書だけ研究して楽しく歴史に遊んでもいい。
しかし列島が地震活動期にはいってしまった以上、そうもしていられない。
「磯田さん。あんた古文書捜査がそんなに速いなら地震津波の古文書をみつけなよ」。
天に則ればその声が聞こえる。それで津波常襲地の大学にうつることにした。
歴史事例から津波の怖さを学生にさんざん講義したら
「東海地震の怖さは小学生の頃からずっといわれてきたが、先生ほど具体的な話をする人
はいなかった」
と件の質問がきた。
内閣府の有識者会議が最大級の南海トラフ連動地震がおきたときの津波の高さを公表。
女子学生の住む町は11メートル超、私の住む浜松は14メートル超の津波が予想されて
いる。
人命のかかった質問だ。私はこう答えた。
「3月3日付の『日本経済新聞』(電子版)に『津波は対抗せずやり過ごせ』という記事が
ある。浜松に地形がよく似た名取市閖上(ゆりあげ=宮城県)の事例だ。閖上の海岸には
8.5メートルの津波が襲来。沿岸から2キロ内陸にいた人は高さ約5メートルの歩道橋
にあがってギリギリ助かった。しかしこれが11メートルの津波であったら助からなか
ったと考えるのが自然。貴君が心配するように2階建ての屋上は6メートル前後。最大
級の津波には最低でも高さ8メートル以上の建物屋上への避難が必要ではないか」
いま、津波避難タワーの建設がさけばれている。
海岸ぞいで高台のない人口密集地ではまさに命綱だ。
ふと考えた。江戸時代に津波避難タワーはなかったのか。
ところが1か月もたたず、私は史料調査中にその現物をみつけてしまった。
浜松駅の西に高塚という駅がある。
近くの熊野神社に高い塚があるから高塚だ。
神社の案内板をみて驚いた。
「此の地の神主さんが高い丘を作って人びとを救えと云う不思議な夢を見たので、村人と
はかって神社の裏山に土を盛りあげた」。
それは最古かもしれない津波避難タワーだった。
高塚地区は海岸から2.2キロ。海抜約5メートル。巨大津波が来れば危ない。
だからだろう。周囲の地面から高さ8メートルの砂山を作っていた。
高塚の地名は江戸初期にはすでに見られる。
砂山の麓には樹齢500年のシイの大木があった。
「大津波のため住んでいた人達が殆ど死んでしまった。村人は津波の犠牲者を此の地に葬
り沢山の砂を浜から運んで高い塚を作った」。
これはおそらく明応の超巨大津波(1498)の時のことだろう。明応津波は安政地震津波
(1854年)の3~4倍の高さとされる。
巨大津波で高塚集落は一度壊滅したらしい。
しかし
「安政の大地震が起り津波のため多くの死者が出たが、高塚の人達は此の丘に避難して被
害を免れた」。
このタワーは機能したのだ。
この集落は、神の声、神主の発案でこの避難タワーを作り「維新頃に至るまで毎年正月
元旦に氏子が土砂を盛」っていた(『入野沿革誌』)。
しばらくして例の女子学生からメールがきた。
「近くに8メートル以上の4階建てがあるからそこに逃げるようにします」。
<熊野神社の由来書き>