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「常民教育論」長浜功 新泉社 1982年 ③ [読書記録 民俗]

今回は、3月31日に続いて長浜功さんの
「常民教育論」の紹介 3回目です。


わたしに民俗学と教育との大きなつながりを教えてくれた一冊です。


興味をもたれた方は、ぜひ、本書をお読みください。
面白い本です。




出版社の案内には、


「柳田国男は戦後日本の混乱と低迷を憂い、監修者となって国語と社会の教科書をつくっ
 た。しかし教育界からは無視されて、この教科書は短命に終わった。この柳田の『常民
 教育』が教育に生かされていたならば今日の教育の混乱はなかった、と教育学から柳田
 に挑戦する。」



とあります。







今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「教育学分野は見るも無惨に権力にひれ伏した = 皇道翼賛の理論」


・「以後教育学は権力からさほど怖がられる存在ではなくなった」


・「柳田国男
  戦争にある部分では肯定的 底辺BC論」


・「民俗学 ~ 日本の未来に関わった学問=教育学と同じ」




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☆「常民教育論」長浜功 新泉社 1982年 ③


◇戦争と柳田学の位相

□炭焼日記から

 戦争時
  - 教育学分野は見るも無惨に権力にひれ伏した = 皇道翼賛の理論

  = 学問であることの放棄

  以後教育学は権力からさほど怖がられる存在ではなくなった


 『炭焼日記』
   昭和19.元旦~翌20.12.31 70~71歳


 戦況と柳田 - 戦局に一喜一憂


 戦争への関わり
昭和14(1939) 「国民学術協会」中央公論-民間科学研究補助団体

  昭和15(1940) 『学術の日本』

  昭和16(1941)12.23 日本少国民文化協会顧問に 政府のガキ対策

『少国民文化』

  昭和17(1942)  日本文学報国会理事

『愛国いろはカルタ』昭和18(1943)

          『愛国百人一首』





□ある疑念

 復刻版『特高月報』 - 『昭和特高弾圧史』(太平出版社)

 代議士・坂本勝

 協力も 隣組長も
 




□戦争の肯定

 「未来を愛すべきこと」


 清水幾太郎 
  1939『現代の精神』
戦争はしばしば基礎的社会の改新を実現することがある。戦争を通じて基礎的
    社会が新しいものになり高いものとなることがあるのである。


 柳田国男
  戦争にある部分では肯定的 底辺BC論
 




□包みの姿勢

 柳田の戦争観 - 部分肯定



 日本の知識人 - 足並み揃えて権力に迎合・便乗 ~ 昭和初期から

     太平洋戦争以後雪崩的に



 戦中
  『日本の祭』『村と学童』『先祖の話』

『村と学童』1945.9-4月に出版社
・子供たちへのきわまりない愛情

・学問的良心



  『先祖の話』
若者たちへの鎮魂譜

    - 家の継続 = 国家への痛烈な批判



反省の科学を唱えつつ未来を凝視することをやめなかった柳田の学風
 




□敗戦と発念

 敗戦の原因観 
   ① 国民が疑問を持たないこと

② 原因拡散説



予言力と学問、それ以外に同じ誤りを防ぐものはない


 民俗学 ~ 日本の未来に関わった学問=教育学と同じ
 




□「歴史の一回性」説の欠落



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