SSブログ

(1)参観会・懇談会資料 ⑨ (2)「心に染みた、すき焼きの味」 鈴木おさむ 『ベストエッセイ2012』光村図書より【再掲載 2014年3月】 [読書記録 教育]

「節のない竹はない。どの竹にも節はある。悪さしてそこで気付いてパッと膨らむ。また
 何かをしてパッと膨らむ。そんなことがいっぱいあっていい。いくら失敗してもいい、
 そこで何かに気付かせてやることが重要であって、大人がはじめから『あれをやっては
 いかん』『これをやってはいかん』というような教育では、成長の芽も個性も感性すら
 も摘んでしまっているようなものだ。それでは子供たちは全部あてがいぶち、指示待ち
 になってしまう。」









今回は、わたしの教育ノートから、4月1日に続いて、
キーワード「参観会・懇談会資料」9回目の紹介です。




教育雑誌、教育書籍より、書き抜いたものをノートにまとめたものです。
出典が不明なものがほとんどです。


今回は、自分が懇談会の折りに参考としたのでしょう、
元伏見工ラグビー部監督山口良治さんの資料です。




今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「もっともっと愛を込めなさい」


・「叱った次の日に優しい語りかけをする」


・「人生はデッドポイントの繰り返し」


・「失敗や壁を乗り越えられないとき必要なのは、自分に『矢印』を向ける勇気」





もう一つ、再掲載となりますが、『ベストエッセイ2012』より、
放送作家鈴木おさむさんの「心に染みた、すき焼きの味」を紹介します。
『ベストエッセイ2012』に載せられた理由がほんわかと漂ってきます。




<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。

浜松ジオラマファクトリー





(1)参観会・懇談会資料 ⑨ 



◇素直な自分を取り戻す

□タイミングとアフタケア

「もっともっと愛を込めなさい」 
    理論はただのマニュアルだ



 ① いつも生徒の心の痛みを思いやる


 ② 叱った次の日に優しい語りかけをする

「こいつらと一生つき合うぞ!」
  




□本人の気付きを引き出す 

 「子供の問題行動は必ず愛を求めているシグナルだ」





□過ちをステップに

 「すまない」という気持ちを引き出すことの大切さ


「節のない竹はない。どの竹にも節はある。悪さしてそこで気付いてパッと膨らむ。また
 何かをしてパッと膨らむ。そんなことがいっぱいあっていい。いくら失敗してもいい、
 そこで何かに気付かせてやることが重要であって、大人がはじめから『あれをやっては
 いかん』『これをやってはいかん』というような教育では、成長の芽も個性も感性すら
 も摘んでしまっているようなものだ。それでは子供たちは全部あてがいぶち、指示待ち
 になってしまう。」





□今耐えれば、もっとすてきな自分に会える

「今、子供の意思尊重とよく言われる。だが意志というのは見えない不確かなものだ。大
 人が簡単に聞いてしまって、鵜呑みにしてよいものなのか。それは子供のわがままに合
 わせるだけであって、子供を大切にしていることでは断じてない。もちろん、子供の意
 志のすべてが曖昧というわけではない。だから、その子の置かれている状況、その子の
 発言の背景、将来の予想など大人の洞察が欠かせない」



 人生は平坦な道ばかりあるわけではない。必ずでこぼこの道もあればぬかるみ道もある。
子供の発育過程においてはそれらを踏ん張らせて歩かせなければならない、そういうとき
がある。



 マラソンのデッドポイント

人生はデッドポイントの繰り返し



 子供たちは、大人の社会の荒波に飲み込まれることなく、大波小波を一つ一つ克服して
いってほしい

   |

 失敗や壁を乗り越えられないとき必要なのは、自分に「矢印」を向ける勇気














(2)「心に染みた、すき焼きの味」 鈴木おさむ 『ベストエッセイ2012』より【再掲載 2014年3月】

1.jpg

 うちは自営業をしている。


 スポーツ用品と自転車を一緒に売っている田舎のお店。


 母はずっとそこで父を支えてきた。明るくておしゃベりでパワフルなおばさんだ。


 僕はどちらかと言えば母に似たのかもしれない。そんな母との思い出と言われて、なぜ
か最初に思い出しだのが、なんか心に染まっている小さな思い出。





 僕は中学でサッカー部に入っていた。


 3年間サッカー部だ。練習は厳しくほとんど休みなし。そのサッカー部で僕はずっと補
欠だった。

 試合に出たことは1回もなかったと思う。

 気まずかった。

 
 1年のうちはいい、補欠が基本だから。


 だけど、2年になり、試合に出る人が出始める。


 そして2年の夏になると、3年生か抜けて、いよいよ自分達が一番上になるわけだ。



 こうなると言い訳が出来ない。

 一番気まずくなるのはこの時だ。

 そう、後輩がレギュラーになり始めた時。切ない。



 母は何でも明るくいじってくるタイプ。

「好きな子、出来たのか?」とか、そんな感じで。

 部活のことも最初は明るく聞いてきた。「試合出れたのか?」とか。


 だけど、僕が2年になると、部活のことはほぼ聞いてこなくなった。


 僕と親とはよく喋るし、周りから見ればいい親子関係だったと思う。


 だけど、この部活のことだけは自分のコンプレックスであり、親に聞かれたくないこと
だった。




 3年の夏。最後の試合があった。


 それも出られなかった。


 レギュラーメンバーの3年生け負けて悔しくて泣いていた。自分は泣けなかった。


 正直、安心している自分さえいた。


 自分の一番のコンプレックスである部活が今日をもって終わるという思いがあった。


 だけど、友達の前では悲しいフリをした。




 その夜、家に帰って来た。親には、最後の試合だってことも伝えてなかった。

「最後まで結局出られなかった」

って思われたくないし、一番怖かったのは

「最後どれくらい出られたの?」

と聞かれること。




 家に入ると、母は「おかえり」と,言って夕食の準備をしていた。


 居間のテーブルに座ると、母は


「3年間、レギュラーになれなかったけど、がんばったね。お疲れ様」


とだけ言って、すき焼きを出してくれた。



 食べている時に部活の話は一切聞かなかった。


 なんだろう。あのすき焼きは甘く僕の胃袋と心に染みた。


 もし自分が親になって、子供が3年間の部活を終えてコンプレックスを抱えたまま家に
帰ってきたら、なんて言ってあげられるか? 



 あの時の母の一言に凄く感謝している。
 
             すずき・おさむ(放送作家)「文藝春秋」2012年10月号



nice!(171)  コメント(4) 
共通テーマ:学校