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(1)「論語人気」の意味するもの  加地伸行大阪大学名誉教授 (出典不明) ③(最終) (2)「一生に一度の学び」八ツ塚実 光雲社 ① 1994年【再掲載 2012.4】 [読書記録 一般]

今回は、4月9日に続いて、加地伸行さんの
「『論語人気』の意味するもの」の紹介 3回目 最終です。




もう一つ、再掲載となりますが、八ツ塚実さんの、
「一生に一度の学び」①を紹介します。
東井義雄さんが薦める本、
教員としての姿勢を教えてくれます。



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庭の桜が今年もきれいに咲きました。
いつもより遅くなりました。
40年前、ようやく大学入学が決まったときに、通った河合塾からいただいた桜。
毎春、あの浪人時代のころを思い出します。


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(1)「論語人気」の意味するもの  加地伸行大阪大学名誉教授 (出典不明) ③(最終)




◇古典から知恵を学ぶ

 では、「論語」のどこにその魅力があるのだろうか。


 多くの人は、「論語」がてきぱきと明確に事の本質を読んで、すかっとするという。


 例えば、「辞は達するのみ」。

 これは、「辞しすなわちことばは、言いたいことをズバッと音うべき美という意味。世
に「達意の文章(あるいは文)」ということばがある。


 実によく言い表わしている文章(文)ということであるが、そこにつながる。



 近ごろのことで例を引くと、「民主党の輿石参院議員会長は、小沢幹事長の左大臣」こ
れはなかなかの達意の文である。

 左大臣の「左」とはもちろん左翼のこと。

 しかもまもなくひなまつりの季節、それもひっかけている。

 ごたごたとした説明はなく、ただこの文を読むとすべてがパッと分る。

 そういう文を書け、そういう話しかたをせよ、というのが「辞は達するのみ」である。



 あるいは「論語」に「先ず行う」とある。

 これも明快ではないか。

 あれこれ言いわけしたり屁理屈をこねる必要なとはない。とにかく実行する。まずそれ
だ、ということば。

 世の中、見るがいい。

 できない原因を他人に、あるいは周囲になすりつけて言いわけしが多い。

 それはおかしい。自分がとにかくまず実行してみることである。それがリーダーの条件
ともなる。



 という風に、「論語」-には活きた知恵がたくさんある。


 古典を読むの年なにも物知りになったり、難しい漢字をたくさん覚えたりすることでは
ない。

 古典から知恵を学ぶことに意味があるのだ。


 世の中には、やたらと漢字の知識を試す検定とやらがある。

 それを受検するのは勝手だが、そんな受験をしたからといって古典が読めるわけでもな
んでもない。

 バラバラの知識を貯めこんでいるだけであって、それを活かして使うといったことはな
い。

 あんなものは知識が増えたというだけのことであって、知恵が増えたわけではない。
 


 人生、大切なのは知識ではなくて知恵なのである。

 知恵はいろいろな機会に覚えることができるが、最も多く得られる機会は、古典を通じ
てである。

 その意味では、「論語」はどの章を読んでも知恵を身につけることができる。

 ここが「論語」を読む楽しみの最大のものと言えようか。


 しかしそれだけではない。

 「論語」には劇的なシーンがある。

 私にとっては、次の一節は「論語」の中の最高シーンであり、心が折れたときは必ず読
むようにしている。それはこういうシーンである。



 孔子に伯牛という弟子がいた。俊秀な弟子であり孔子の愛弟子の一人であった。

 ところが、不幸なことに伯牛はハンセン病にかかったのである。

 ハンセン病は、現代では完治可能な病気であるが、以前は不治の病であった。しかも皮
膚が崩れる病であったので、その崩れた顔を他人に見せたくない。

 しぜんと家の中で過して淋しい一生を終える。

 その上、病が病だけに差別も激しかった。


 この伯牛を見舞いに孔子はその家へ行った。

 しかし、伯牛は崩れた己れの顔を師に見せたがらず、師の面会を拒否するのであった。


 すると、孔子は窓から手を入れて伯牛の手を握ったのである。

 私はこの個所を読むと、いつも涙がにじむ。

 ハンセン病の伯牛の手をしっかと握ったのである。そして二度言うのである。


 「この人(このようなりっばな人物)にしてこの病あり。この人にしてこの病あり」と。



 人生においてはいろいろなことがある。


 良いこともあれば悪いこともある。


 楽しいこともあれば悲しいこともある。


 その河の中でわれわれは漂って頼りなく生きている。


 それならば、なにか一つ浮き袋を持とう。


 その浮き袋として「論語」はわれわれにとって最も親しい、そして頼りになるものでは
ないだろうか。


















(2)「一生に一度の学び」八ツ塚実 光雲社 ① 1994年【再掲載 2012.4】

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◇八ツ塚さんの記録から私たちが学ばなければならないもの 東井義雄

「この人に触れると、どんなに世間が手を焼いている生徒たちも『人間』が『人間』とし
 て生きると言うことがどういうことであるかに目覚めて、必ず輝きだした」



□中途退職

・米寿母堂介護のために中途退職された八ツ塚氏


・退職の日、生徒に…

「人間には生涯に一度くらいは自分の一番やりたいことをやめなくてはならないこともあ
 る」


・ヒョウが野生の豚を狙うアフリカ大陸のテレビ番組

「捕まったのは脚の弱い子豚ではなかったようです。体の重いお母さん豚でもなかったよ
 うです。一番脚の速い力の強いお父さん豚が、ヒョウの餌食になってみんなを逃がして
 やったということのようです」



※ いざというとき、どのように生きるべきか


・「親孝行」?
  → 人間を大切にする人間になりたかった
 
 現在

 「老人ホーム」  →  厄介者の捨て場になりつつある

「保育所」  →   子捨て場にする母親も現れ始めている



 ※ 福祉の施設が「人でなし」を育てる危険を生み始めている





◇はじめに

□八ツ塚氏の口癖「みんな生きているんだ」 

1989年 53歳で退職 9ヶ月間の介護





◇学びの教室

 人間いつも学びのとき

人間どこも学びの場

人間なんでも学びの対象





◇姑の値打ち

□女性の社会進出と老人の介護

・解決策 早い時期から老若が共に生活すること



□いざというとき助け合うから家族

・家庭内ギブ・アンド・テイク

 ・母の利用 ←→ 母の存在理由と生きがい保証





◇男の介護

□男も女も大変なことには変わりはない

・男にとって有難い「世の中」 → 介護の押しつけ




◇看護婦さんに学ぶ

□しわ寄せを他の誰かに担わせている



□看護婦 ~ 見事な手つき(理にかない無駄がない)



※ 学校で一番大切な教育内容 「生命を守る技術」



□主治医 家庭介護を勧める

「今一番大切なことは穏やかな日を一日でも多くしてあげることです」





◇お返し  老人介護は「お返し」



◇人間学  

 ユージン・スミスの写真

 郷土玩具は語り部





◇学びの場

□表面的な明るさは家庭の条件としてはたいしたものではない



□苦しいときにどうする家庭集団かが問題

快くないときの生き方を学んでいないことが家庭内事件の主原因



□生き方の基本 

・自慢してはならない

・落ち込んではならない

・弱い立場の人に温かくなくてはならない

・礼儀正しくなくてはならない



 ※ どんな状況になろうと家族は家族


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