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「常民教育論」長浜功 新泉社 1982年 ⑦(最終) / 「土のいろ」集成 第六巻 60~62号 1932年【再掲載2011.10】 [読書記録 教育]

☆学校休業中の子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」









「日本の教育は、学べば学ぶ程『村を捨てる学力』を身に付けさせていると批判し、今こ
 そ『村を育てる学力』(明治図書1957)を培わなければならない」

「今教育は村どころか人間を捨てる学力を目指そうとしている。村を捨てても人間はまだ
 残る。しかし、その人間さえ捨てられたら…、その後に何が残るのか。」
                                   東井義雄




「どうして日本人はこういつまでも、わずかの人のいいなり放題に任せて、黙々と付
 いて歩くのであろうか?」  柳田国男












今回は、4月25日に続いて長浜功さんの
「常民教育論」の紹介 7回目 最終です。


わたしに民俗学と教育とつながりを教えてくれた一冊です。




出版社の案内には、


「柳田国男は戦後日本の混乱と低迷を憂い、監修者となって国語と社会の教科書をつくっ
 た。しかし教育界からは無視されて、この教科書は短命に終わった。この柳田の『常民
 教育』が教育に生かされていたならば今日の教育の混乱はなかった、と教育学から柳田
 に挑戦する。」


とあります。







今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「敗戦後 『民主的』であれば何でも取り入れた
糺すべきは矢川徳光、梅根悟、鈴木源輔
自己批判抜きで民主教育の仲間入りをした」


・「柳田国男 
   生涯を自己形成のために生き抜いた人間の一人

   自ら『無知の相続』を日常的に実践」


・「二回の神隠し体験 - 異常心理・変態心理」
- この経験が「遠野物語」に結びついたのかもしれません。


・「学問(は)経世済民、実用の学でなくては意味がない」


・「『友達学』の提唱
子供たちの文化的役割を評価 - サークル論 子供組」





もう一つ、再掲載となりますが、柳田国男さんの郷土誌ともつながる、
遠州の郷土誌「土のいろ」第六巻を紹介します。
「土のいろ」を支えたのは、地域の人びと。教員が多かったと聞きます。
およそ90年も前の研究家の熱を感じます。





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☆「常民教育論」長浜功 新泉社 1982年 ⑦(最終)

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◇柳田国語教科書の骨格(2)

□教育のゆくえ

 柳田国男 批判者・家永三郎の文章を高校教科書に取り入れた

    <柳田国男> ←→ <教育界>

  判断力   ←→  協調性(付和雷同性)

表現力   ←→  読解力


◎嘗て東井義雄が
「日本の教育は学べば学ぶ程『村を捨てる学力』を身に付けさせていると批判し、今こそ
 『村を育てる学力』(明治図書1957)を培わなければならない」



「今教育は村どころか人間を捨てる学力を目指そうとしている。村を捨てても人間はまだ
 残る。しかし、その人間さえ捨てられたら…、その後に何が残るのか。」

 
※ 敗戦後 「民主的」であれば何でも取り入れた

  糺すべきは矢川徳光、梅根悟、鈴木源輔

自己批判抜きで民主教育の仲間入りをした



  真と偽、正義と不実のすりかえ



※ 柳田国男 

「どうして日本人はこういつまでも、わずかの人のいいなり放題に任せて黙々と付い
 て歩くのであろうか?」






◇柳田国男の自己形成

□教育と自己形成


 教育 = 自己形成の過程



 柳田国男 
   生涯を自己形成のために生き抜いた人間の一人

   自ら「無知の相続」を日常的に実践



  実るほど頭を垂れる稲穂かな





□少年期の家

 1875(明治8).7.31 兵庫県神東郡田原村辻川(現神埼郡福崎町辻川)

 村岡家の六男 13歳まで

 「日本一小さい家」いたずら者

 11歳 同じ町の三木承太郎家に預けられる

 読書に熱中
  - 文字触発型 ~ 記憶力
 




□神秘性 

 神秘性と直観力
 




□体験と学問 

 二回の神隠し体験 

 - 異常心理・変態心理
 




□学問というもの

 学問

 - 経世済民、実用の学でなくては意味がない



 学者 ケチな学問が多い

「世のため人のため」が嘲笑される雰囲気
 




□旅と人生

「旅の良さはいつも人生を見るということにあるのを忘れてはならない」


 大名旅行 - 高級官僚


  菅江真澄を評価


 「学問は思いやりだ」

1901(明治34)大審院判事・柳田直平家に養嗣子 27歳



学問のため私的なことを排除
 




□読書と思索





□「友達学」の提唱

 子供たちの文化的役割を評価

 - サークル論 子供組
 




□集団・サークル

 自分から積極的にサークルをつくった















☆「土のいろ」集成 第六巻 60~62号 1932年【再掲載2011.10】


◇第11巻第2号 通刊60号 昭和9年8月

□浜名湖の出入り者  石岡直太郎    

 サヨリの先駆
   伝説のコノシロ(切腹魚として嫌われた)

コノシロ・コハク・ザッパ



 夏ハゼ・冬ハゼ  
   凍死するカタクチイワシ



 不可解なウナギ 
   都田川の鮎 ヒラメ・かれひ・こち



 長身のダツ 
   ボラの行方不明(出世魚 オボコ-イナ-ボラ)

ボラはカワウソになり海坊主になると言われている



 出世するスズキ
   (セイゴ-マタカア-オウマタ-コウチ・チウイオ-オウチウ -オウモノ)

   クロダイ・キチヌ・ヘダヒ



浜名湖の特質
複雑な地形 
     塩の濃さに違い - 淡水・汽水・鹹水生物

終年は   
     マハゼ・ウロハヤ・ウグヒ・クロダヒ・ワカサギ・ボラ・タナゴ・ドヂャウ等
    の数種 
    
    → 他の多くは 春~秋 
            去る者

         |

   冬 -  浅いため低温に耐えきれなくなり外洋に逃れる

   春 -  多くの魚の庇護所 産卵場,食堂,育児所
 
   4~10月 最もささやかな生物相





◇第11巻第3号 通刊61号 昭和9年9月

□西遠の民家 中道朔爾  

 棟から見る 
   積志村境に南北で区分
   
   南 … 棟に煙り出しの穴がない

北 … 棟に煙り出しの穴がある
北に行くと多くなる



 鞍骨 
  太い丸太を鞍のようにまたがせる 

  3~5本 = 風対策



 カマヤのある家
    積志村~北部

母屋の妻に付けた - 棟

南北二つに区切る~ 部屋は北に一室






◇第11巻第4号 通刊61号 昭和9年12月

□天龍川に於ける漁猟 高井笑酊    



□掻き出し 故神村直三郎

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