山本七平さんはこんなことを ④ / 「いまここに生きる智慧」Aスマナサーラ・鈴木秀子 サンガ 2007年 ①【再掲載 2015.5】 [読書記録 一般]
☆学校休業中の子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
今回は、4月30日に続いて、「山本七平さんはこんなことを」④、
山本七平さんの「宗教について」2回目の紹介です。
山本七平さんが、宗教について教えてくれます。
出版社の案内には、
「親鸞における『自然』、蓮如における『組織』、内村鑑三における『日常』。クリスチャ
ンであった著者が、永遠の視座に立ち鋭く考察。日本人の宗教観に新たな視点を与える、
単行本未収の10編を収録。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「『信仰』『信心』は阿弥陀如来からの授かりもの」
・「蓮如の人間的魅力とうさんくささ」
・「『信念-偏狭-嫉妬』 = 信念と包容・寛容のバランス」
もう一つ、再掲載となりますが、
宗教者として知られるお二人、Aスマナサーラさんと鈴木秀子さんによる
「いまここに生きる智慧」①を載せます。
池見酉次郎さんの言う、心の「実況中継」は、わたしの悩みを楽にさせてくれました。
また、要約にある「『here and now』いまここ」からブログタイトルをつけました。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆山本七平さんはこんなことを ④-「宗教について」PHP研究所 1995年(2)
◇「信じる」ということ 信頼関係成立
□「自然」の思想に見る他力の人間学
◎「自然」を学ぶ思想
親鸞「自然法爾」(じねんほうに)
在家主義への傾倒
「信仰」は阿弥陀如来からの授かりもの
「歎異抄」唯円
信心も阿弥陀により賜ったもの
|
信仰のみ しかし寛容の教え
□蓮如
◎人間的魅力とうさんくささ
5回の離婚
27人の子供 - 最後の子・実従は84歳の時の子
「食わせ物」「偽物」
農民を対象
面従腹背 ← 普通の寄り合いで話す
「飲食肉食」自由・レクリエーションをかねて
↑
親鸞を読み抜いて得た自らの言葉で
常識を内に備える
本願寺7代 留守職 存如の長男 母は下女
相続問題 - 用心深く
世の常の人とは逆の生き方
「狷介孤高」と「暗愚の宰相」
「信念-偏狭-嫉妬」 = 信念と包容・寛容のバランス
芸術家 常識人
「信念の魔術」はなぜ可能か
反面教師の効用
確固たる信念を持ちつつ偏狭-嫉妬-他への峻厳にならないためにどうすべきか
架空の価値は崩壊する
親鸞の長子善鸞「知識帰命」
阿弥陀 - 親鸞 - 師僧
∥
親鸞は否定
異安心を越える発想
「異安心」は極楽往生への空手形
異安心 基本は「知識帰命」
僧がその信徒野極楽往生を保証
名帳・絵系図の保証書
多額の寄附
↑
真の伝道者はリアリスト
「おれは門徒に凭れたり。ひとえに門徒にやしなわるるなり」
|
「信心を得た人は我御身の弟なり」
∥
権威は親鸞にあるのであり師僧にあるのではない
|
共産党の「裏返しの天皇制」
|
宗教問題と金
キリスト教 - 宗教改革2分
浄土真宗 - 蓮如
「親鸞に帰る」万人救済説
親鸞の教えを無償で伝道 無償の伝道
蓮如「物取り信心」「施物だのみ」を固く禁じた
「往生は一生なり」 命取り - 金の問題
「法施財施」往生は一生なり
「復古創新」1488年百姓の持ちたる国
名門・富樫家をつぶした
☆「いまここに生きる智慧」Aスマナサーラ・鈴木秀子 サンガ 2007年 ①【再掲載 2015.5】
◇はじめに
□スマナサーラ長老
初期仏教 瞑想
◇「いまここに生きる」という幸福
□ヴィパッサナーとの出会い
ヴイパッサナー瞑想
8日~10日間 沈黙で座る 頭の皮膚感覚の動き
最初の三日間 自分の口と鼻の周りに意識を向ける
□修道会
8年間 沈黙の戒律
身体の沈黙 - 自分の五感のコントロール
頭が走り出したとき → マントウ
□「実況中継」という言葉
実況中継 池見酉次郎(九州大学)
「自分の中にわっと感情がわき起こったら,それをもう一人の自分が見て『いま心に黒雲
がわき起こっています』というふうに実況中継しなさい」
□心は暴流
悩みや苦しみは自分自身の思考の度量次第
← コントロール(美しく穏やかに流れるようにする)必要有
すべてが苦
→ 苦以外何もないからこそ人間が幸福をめざす
幸福とは苦を乗り越えること
大事なのはそのときそのときに最善を尽くすこと
□この一瞬にできること
一瞬一瞬に唯一の選択をするために智慧を鍛える
↓
妄想と思考をしっかり監督しなければならない
□智慧は万人に開発できる
個人差 = 心の汚れ具合
「私」がないとき心は活発
ヴィパッサナー瞑想のねらいは心を完全に綺麗にすること
二度と汚れないようにする
×期待を持つ → ○期待を持たない
挨拶して挨拶が返らなくても当然だと考える
(~べき)はダメ
□キリスト教の真意
「実況中継(ヴィパッサナー瞑想)」の役立ち
→ 身体の動きを実況中継
□身体を動かすのは心
身体は物体であり,それを動かすのが「心」 → 心の汚れ落としを
心の汚れは思考から生まれる
心を澄ませて煩悩を消していくために一番実践的で役に立つのは身体への実況中継
□育った心は逆戻りしない
実況中継(ヴィパッサナー瞑想)を一週間なら一週間,一日に一回でもすればそれは
消えないで身に付いていく
→ 歩く瞑想から始めよう
□法則はシンプル
「自分」を片付けられない人へ
いつ使うか,何回使ったことがあるのかを自分ではっきりさせる
□悩みの種を探して生きる
雨が降る
← 「高い傘を自慢してさせるんだ」
電車に乗り遅れたら
← 「つぎの電車に乗れる,ああ得をした」
□今ここに生きる訓練
「here and now」いまここ
□人は誰でも過去や未来に生きる
「過去には悩まないで,将来には期待せず。今ここに生きているから…」
□幸せに生きるこつはシンプル
幸せになるこつ
=「いまこのときに,するべきことをする」
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
今回は、4月30日に続いて、「山本七平さんはこんなことを」④、
山本七平さんの「宗教について」2回目の紹介です。
山本七平さんが、宗教について教えてくれます。
出版社の案内には、
「親鸞における『自然』、蓮如における『組織』、内村鑑三における『日常』。クリスチャ
ンであった著者が、永遠の視座に立ち鋭く考察。日本人の宗教観に新たな視点を与える、
単行本未収の10編を収録。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「『信仰』『信心』は阿弥陀如来からの授かりもの」
・「蓮如の人間的魅力とうさんくささ」
・「『信念-偏狭-嫉妬』 = 信念と包容・寛容のバランス」
もう一つ、再掲載となりますが、
宗教者として知られるお二人、Aスマナサーラさんと鈴木秀子さんによる
「いまここに生きる智慧」①を載せます。
池見酉次郎さんの言う、心の「実況中継」は、わたしの悩みを楽にさせてくれました。
また、要約にある「『here and now』いまここ」からブログタイトルをつけました。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆山本七平さんはこんなことを ④-「宗教について」PHP研究所 1995年(2)
◇「信じる」ということ 信頼関係成立
□「自然」の思想に見る他力の人間学
◎「自然」を学ぶ思想
親鸞「自然法爾」(じねんほうに)
在家主義への傾倒
「信仰」は阿弥陀如来からの授かりもの
「歎異抄」唯円
信心も阿弥陀により賜ったもの
|
信仰のみ しかし寛容の教え
□蓮如
◎人間的魅力とうさんくささ
5回の離婚
27人の子供 - 最後の子・実従は84歳の時の子
「食わせ物」「偽物」
農民を対象
面従腹背 ← 普通の寄り合いで話す
「飲食肉食」自由・レクリエーションをかねて
↑
親鸞を読み抜いて得た自らの言葉で
常識を内に備える
本願寺7代 留守職 存如の長男 母は下女
相続問題 - 用心深く
世の常の人とは逆の生き方
「狷介孤高」と「暗愚の宰相」
「信念-偏狭-嫉妬」 = 信念と包容・寛容のバランス
芸術家 常識人
「信念の魔術」はなぜ可能か
反面教師の効用
確固たる信念を持ちつつ偏狭-嫉妬-他への峻厳にならないためにどうすべきか
架空の価値は崩壊する
親鸞の長子善鸞「知識帰命」
阿弥陀 - 親鸞 - 師僧
∥
親鸞は否定
異安心を越える発想
「異安心」は極楽往生への空手形
異安心 基本は「知識帰命」
僧がその信徒野極楽往生を保証
名帳・絵系図の保証書
多額の寄附
↑
真の伝道者はリアリスト
「おれは門徒に凭れたり。ひとえに門徒にやしなわるるなり」
|
「信心を得た人は我御身の弟なり」
∥
権威は親鸞にあるのであり師僧にあるのではない
|
共産党の「裏返しの天皇制」
|
宗教問題と金
キリスト教 - 宗教改革2分
浄土真宗 - 蓮如
「親鸞に帰る」万人救済説
親鸞の教えを無償で伝道 無償の伝道
蓮如「物取り信心」「施物だのみ」を固く禁じた
「往生は一生なり」 命取り - 金の問題
「法施財施」往生は一生なり
「復古創新」1488年百姓の持ちたる国
名門・富樫家をつぶした
☆「いまここに生きる智慧」Aスマナサーラ・鈴木秀子 サンガ 2007年 ①【再掲載 2015.5】
◇はじめに
□スマナサーラ長老
初期仏教 瞑想
◇「いまここに生きる」という幸福
□ヴィパッサナーとの出会い
ヴイパッサナー瞑想
8日~10日間 沈黙で座る 頭の皮膚感覚の動き
最初の三日間 自分の口と鼻の周りに意識を向ける
□修道会
8年間 沈黙の戒律
身体の沈黙 - 自分の五感のコントロール
頭が走り出したとき → マントウ
□「実況中継」という言葉
実況中継 池見酉次郎(九州大学)
「自分の中にわっと感情がわき起こったら,それをもう一人の自分が見て『いま心に黒雲
がわき起こっています』というふうに実況中継しなさい」
□心は暴流
悩みや苦しみは自分自身の思考の度量次第
← コントロール(美しく穏やかに流れるようにする)必要有
すべてが苦
→ 苦以外何もないからこそ人間が幸福をめざす
幸福とは苦を乗り越えること
大事なのはそのときそのときに最善を尽くすこと
□この一瞬にできること
一瞬一瞬に唯一の選択をするために智慧を鍛える
↓
妄想と思考をしっかり監督しなければならない
□智慧は万人に開発できる
個人差 = 心の汚れ具合
「私」がないとき心は活発
ヴィパッサナー瞑想のねらいは心を完全に綺麗にすること
二度と汚れないようにする
×期待を持つ → ○期待を持たない
挨拶して挨拶が返らなくても当然だと考える
(~べき)はダメ
□キリスト教の真意
「実況中継(ヴィパッサナー瞑想)」の役立ち
→ 身体の動きを実況中継
□身体を動かすのは心
身体は物体であり,それを動かすのが「心」 → 心の汚れ落としを
心の汚れは思考から生まれる
心を澄ませて煩悩を消していくために一番実践的で役に立つのは身体への実況中継
□育った心は逆戻りしない
実況中継(ヴィパッサナー瞑想)を一週間なら一週間,一日に一回でもすればそれは
消えないで身に付いていく
→ 歩く瞑想から始めよう
□法則はシンプル
「自分」を片付けられない人へ
いつ使うか,何回使ったことがあるのかを自分ではっきりさせる
□悩みの種を探して生きる
雨が降る
← 「高い傘を自慢してさせるんだ」
電車に乗り遅れたら
← 「つぎの電車に乗れる,ああ得をした」
□今ここに生きる訓練
「here and now」いまここ
□人は誰でも過去や未来に生きる
「過去には悩まないで,将来には期待せず。今ここに生きているから…」
□幸せに生きるこつはシンプル
幸せになるこつ
=「いまこのときに,するべきことをする」