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「教師の資質」諸富祥彦 朝日新聞出版 2013年 ③ / 「幸せになるための学校」松崎運之助 ひとなる書房 1996年 ②【再掲載 2011.5】 [読書記録 教育]


☆学校休業中の子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」





「『真面目に頑張ること』それ自体に価値がないとなると、学校教育そのものの価値も
 相対化され、教師の権威や価値も自ずと相対化されていく」

「学校の30数名の個が同時に自分のわがままを言い始めたら教師は振り回されるのみ」





今回は、5月6日に続いて、諸富祥彦さんの
「教師の本質」3回目を紹介します。


諸富祥彦さんの本も、お話もおもしろく、
また、現場をよくご存じの方だと分かります。




出版社の案内には、


「教師の不祥事が取りざたされる今、本当に優れた教師は何をしているのか?いじめへの
 ずさんな対応、体罰、暴言…教師の問題が注目されている現代で、本当に求められる
 資質とは何なのか。『教師を支える会』代表として、全国の学校の問題に取り組んで
 きた著者が、最先端の教師像を説く。」



とあります。





今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「第Ⅰ期 真面目ガンバリズムの時代
  第Ⅱ期 快楽主義の時代
  第Ⅲ期 脱力主義の時代」


・「失われた『真面目に頑張ることの価値』」


・「価値観の変化と友達親子の増加」


・「どの保護者も教師に厳しい視線
辛らつな言葉をストレートに…」


・「親のクレームから身を守るためのアドバイス」




もう一つ、再掲載となりますが、松崎運之助さんの
「幸せになるための学校」②を載せます。
映画「学校」のモデルといわれるだけに、夜間学校の様子を教えてくれます。
受験のための「学び」ではなく、本当の「学び」とは何かを考えさせてくれます。






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☆「教師の資質」諸富祥彦 朝日新聞出版 2013年 ③

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◇教師を取り巻く過酷な現状 - 壊れていく教師(2)

□教師の権威はなぜ廃れたのか

 第Ⅰ期 真面目ガンバリズムの時代

  ~ 1978年「真面目に頑張っている者は報われる」日本社会

    「親の言うこと」と「先生の言うこと」が同じで、
    「とにかく先生の言うことを聞きなさい」



 第Ⅱ期 快楽主義の時代 

  「面白ければそれでいい」  

      人気者~面白い子

      1980年代 
        1986年中野富士見中「葬式ごっこ」

      失われた「真面目に頑張ることの価値」
   


 第Ⅲ期 脱力主義の時代

1990年代 「脱力文化」の移行期

頑張ること・耐えることの価値は相対化

     協調 → 個 個人主義 快楽主義 → 脱力主義
       
     失われた「真面目に頑張ることの価値」
     
            ∥

※「真面目に頑張ること」それ自体に価値がないとなると、学校教育そのものの価値も
 相対化され、教師の権威や価値も自ずと相対化されていく    

     価値観  「先生の言うことを聞きなさい」

「教師といえども1人の人間、間違ったことも随分やるものだ」
     友達親子の増加

  |

※学校の30数名の個が同時に自分のわがままを言い始めたら教師は振り回されるのみ


 

□保護者からのクレームが教師を追い込んでいく

どの保護者も教師に厳しい視線

   20代には 「子供を産んだことのない若い先生に担任が務まるのか」

  50代には 「もうあんな年なのに小学校担任なんて体力が持つのか」

辛らつな言葉をストレートに…

 

□親のクレームから身を守るためのアドバイス

 まずは信頼関係づくりに徹すること
  ・ チームで対応する

   ・ できないことはできないと明確に伝える

   ・ 謝罪すべきは明確に謝罪する

   ・ 時間の枠を設定する

   ・ 教師の個人情報を守る
















☆「幸せになるための学校」松崎運之助 ひとなる書房 1996年 ②【再掲載 2011.5】

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◇人は何のために学ぶのか

 たくさんの人がいらっしゃって、たくさんの通すじがあるなかで、縁があってその人
たちと学校という場で出合っているわけです。


 そして、その人たちと毎日毎日をまったく新しい出会いとして過ごすわけです。


 本当に、毎日毎日がそうです。


 それを、いやまだ未熱だから、まだスピードが遅いだの、まだ形が悪いだの、という
ことで過ごしていると、それでは、いつまでたっても、たぶん永久に充実感というか、
自分自身をまるごと認めるというふうにはなっていかないと、そんな気がします。



 クラス目標に「明るく元気よく」「強くたくましく」という言葉をよく見ます。



 一日中「明るく元気よく」ですと疲れると思いますから、「時に明るく、時にボーッ
と」くらいがよいと思います。



「明るく元気よく」は人間の一面で、「暗く悲しく」なるのも人間で、それなのに「明
るく元気よく」だけが目標になると非常におかしいわけです。


 学校では無理して明るく元気よくふるまって、疲れはてて家に帰ってすぐ寝てしまう、
そういうのでは意味をなさないと思うのです。


「強くたくましく」という目標を掲げている先生が、それで強くたくましくない子を排
除しているということになにも気がつかないのは、それもさみしいですよね。


 見かけだけでなく、心の目、まなざしというものをもっと考えていかなければならな
いと思います。





◇だれが主人公なのか

 夜間中学というのは1時間目(5時30分)、「こんばんは」と、教室に入っていって
も生徒さんがだれもいないことがあります。


 いろんな事情でしようがないんですが、教員というのは生徒がいて初めて教員になれ
るわけで、生徒がいなければ教師でも何でもないわけです。


 生徒がいないとどうしようもなく、まさか一人芝居するわけにもいかないから、うろ
うろしながら待っているんです。


 そんなとき教室は2階にありますから、下から階段を上ってくる足音が聞こえてくる。


 すると、足音とともに胸が高なって、嬉しくて仕方がないんです。


 その足音が2階にたどりついたら、心臓がはれつしそうになるんです。



 だけど、油断できない。 教室は4つ並んでありますから。


 その人が4倍の競争を突破して、自分の教室に入ってきたときは、嬉しくて、思わず
入口まで出迎えて、


「いらっしゃいませ」


と、言ってしまう。

 そして席までご案内する。年配の人だったら、


「お疲れになったでしょう。肩をおもみしましょうか」


と、心からそんな気持になります。



 これが、昼間の中学に転勤した時、初めての日、体育館で紹介があったんですが、い
や驚いたのなんのって、黒い集団、黒い学生服とセーラー服、それはもう威圧感がすご
いんです。


 真っ黒けの色が追ってくるんです。非常に不気味な感じがしました。


 そして教室に行ったら、驚いたことに1時間目なのに全員がそろっていました。40人
もいて全員です。


 ところが、さらに驚いたことに、次の日も、次の日もみんな飽きもせず来ているんで
す。


 いや-、たいへんだろうね。教員だって、授業の合間には職員室では、


「あ-つかれた」


といって深いためいきをついたり、お茶飲んだりして、落ち着いたりしているわけです。


 それで自分の心理的なバランスをととのえて、また次の授業の前に深呼吸して出て行
くという感じでしたからね。


 生徒はお茶飲んで、気分転換というのは、校内ではできないわけですから。といって、
廊下でギャーギャー騒いでいれば、


「うるさい、静かにしろ」


と、叱られます。だからストレスもけっこうたまるだろうと思います。


 しかも、授業はテンポが早く、1時間目の国語に慣れてきた頃、チャイムがなって、
次は英語に切り替えなければなりません。


 そして、また慣れた頃に次の数学に切り替えていく、それにみんなついていかなけれ
ばならないわけです。いや、ほんとに苦労が多いなと思いましたね。



 夜間ではたとえば制服なんてないわけですし、できるだけリラックスした状態でゆっ
くりと勉強します。


 夜間中学の常識が昼間の中学では非常識です。


 私自身も一日でぐったり疲れました。それで、生徒に同志的な感情がめばえて、


「お互いたいへんだね」


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