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参観会・懇談会資料 ⑬ / 「遠い山びこ」佐野眞一 文藝春秋【再掲載 2012.1】 [読書記録 教育]


☆学校休業中の子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」





今回は、わたしの教育ノートから、5月 9日に続いて、
キーワード「参観会・懇談会資料」13回目の紹介です。



懇談会資料として使えるなと思ったものをに
教育雑誌、教育書籍より、ノートに要約したものです。




今回も前回に続き、草柳大蔵さんが書かれたものからの要約です。

ちょっとどうかなと思うところもありますが、

「あいさつは心の定期預金」

分かりやすい言葉ですね。




もう一つ、再掲載となりますが、佐野眞一さんの
「遠い山びこ」を載せます。

無着成恭さん、わたしが子どもの頃にはよくメディアに登場していました。
かつてのベストセラー「やまびこ学校」を書いた方だとは知っていましたが、
学生になるまで読んだことはありませんでした。
「生活綴り方」、「綴り方運動」の言葉を聞かなくなって、大部経ちますが、
いきいきとした言葉に驚いたものでした。
丁寧に「やまびこ学校」以後の、担任と子供たちを追った本書を読み、
深く考えさせられました。





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☆参観会・懇談会資料 ⑬ 


◇草柳大蔵


□挨拶は心の定期預金

 熊本の「慈愛園子供ホーム」の園長さんで、潮谷愛一さんという方のお話をしたいと思
います。


 妻の潮谷義子さんは、熊本県知事でいらっしやいますが、この方と名刺を交換したとき
に、私はあっ、と驚きました。


 職業柄、1年間に1万人くらいの方から名刺を頂きますが、潮谷さんの名刺には、名前
の横に点字が打ってあったんですね。


 そのご主人の潮谷愛一さんは、こんな話をしています。学生のころ、お父さんの本棚か
らデミアンという神父さんの話を書いた本を引き出して読みました。


 デミアンという人は、イギリスからハワイのモロカイ島に、宣教師として派遣された牧
師さんなんですね。モロカイ島は、ハンセン病のための施設があり、隔離された患者さん
が集団で暮らす島です。


 デミアンさんはそこへ行って、ハンセン病の患者さんたちに、神様の話、信仰への道、
人を愛すること、世の中を美しく生きることなど、いろいろなお話をされるんです。


 ですが、全く受け入れてもらえないんですね。


 ところがある夜、焚き火を囲んで、みんなで話をしていた。すると、パチパチッと薪が
はねて、火の粉がデミアンさんの手に掛かるんです。


 しかし、熱くも何とも感じないんですね。


 要するに、デミアンさんもすでに感染していて神経が麻痺し、熱さを感じなかったんで
す。


 デミアンさんは、そのときからハンセン病の患者さんたちに対する説き方を変えました。


「あなた方は…」という言い方から、「私たちは…」という言い方にしたんですね。


 それによって一気に、患者さんたちの間にとけ込めるようになつたんです。


「あなた方は…」から「私たちは…」への変化。


 実に簡単なことなのですが、人間の心と心が重なるとは、まさにこういうことですよね。





 中村諭先生という方がいらっしやいます。


 この先生は教員生活31年のうちの23年間を、崩壊寸前の学校ばかりに教諭、教頭、
学校長として派遣されました。


 中村先生は、「組織や集団の秩序を回復したいと思ったら、一番最初にすることは挨拶
じゃないか。当たり前のことだ」といって、学校で生徒の顔を見るたびに、「おはようご
ざいます」「こんにちは」「さようなら」「元気?」などと言い続けるんですね。



 最初は、生徒の方が変な顔をして、そっぼを向いて足早に去っていきます。


 そのときに「こら、待て。おまえは何で挨拶をしないんだ?」と言ってはいけないとい
うんですね。


 そうではなく、それでもニコニコして「おはようございます」と言い続ける。「挨拶は
心の定期預金だ」と言うんですね。

「必ず相手の心に積み重なっていく。相手は気持ちの負担を感じて、小さい声で『おはよ
 うございます』と応えるようになる」

というんです。

















☆「遠い山びこ」佐野眞一 文藝春秋【再掲載 2012.1】
 
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◇プロローグ  

 高度経済成長 → 農業の崩壊

← 教育の崩壊





◇野口肇   元「日本評論」編集長

□國分一太郎のもとへ

 戦後日本共産党に入党 ~昭和24年 党文化部員

 「きかんしゃ」一本で

 他のが社会科教育臭が強かったのに対して日本土着の現実認識



 労働を「しんどい」「イヤだ」と思いながら,「働かなければならない」ことをはっき
り知って一生懸命に働く子供たち

 

□青銅社 
  無着(のつけたタイトルは)「雪の子の記録」
  → (出版社の)佐和(が)「山びこ学校」(に)



□青井虹二 
  ジャーナリストとして初めて山元村に入った 

全学連結成の陰の立て役者



□佐和
  評論家・作家に200冊の本を送り続けた
 




◇江口江一

「母の死とその後」

 無着
「作文はうまく書くためにあるんじゃない。考えをまとめる力を付け,自分の生活を少し
 でも進歩させるためにあるんだ。」





◇無着成恭  
昭和2年3月31日生 
   山形県南村山郡本沢村菅沢 沢泉寺長男
 
曹洞宗 俗名は成雄 → 10歳 成恭 得度
        

山形中学 
   昭和15年 勤労動員
        

山形師範 
   一級下には藤沢周平(鶴岡中夜間部から)も  

  青年団活動・文化活動



 決定的影響 
   神保良太郎(本沢村青年学校長)
山形新聞   須藤克三 國分一太郎を紹介 



地元小学校赴任希望するが心ならずも中学校に
 




◇翻弄される山村

「山びこ学校」43人 

昭和9年東北大冷害の年に母親の胎内に
→ 満州 6%の山形人-満州開拓で大きな被害
         
金融大恐慌  
   東北大冷害による必然的出稼ぎ
         
国策による満州入植,国内未開宅地への移住
 




◇谷間の英雄  

山元入村 臼見吉見 


永井萌二「週刊朝日」記者
早大童話会出身 岡本良雄 前川康男 神宮輝夫 古田足日 山中恒 山元護久


野口 … 社会科学的


永井 … ヒューマニズム + ニュースストーリー +風俗ルポ

教育における逆コース



※ 無着は確かに戦後の谷間が生んだ英雄だった。全国から脚光を浴び,それが原因でや
 がて村から追放されることになる一人の不幸な英雄だった。
 




◇舞台挨拶 

「日本の土地は戦争中に荒れ果ててしまいました。百姓がその土地を立派な肥えた土にす
 るためには,堆肥などの肥料をたっぷり懸けても5年は待たねばなりません。教育も同
 じです。まして,教育は人間が相手ですから,20年もかからなければ成果は出てきま
 せん。私はそういう仕事をするつもりです。教育の百姓になって頑張るつもりです。」
 



◇村からの追放 

□タブー
 「おひかり様」と「やみ」の問題が白日の下に



「無着は村を食い物にした,作文を教えるといって子供に親や親戚の悪口を書かせた」

 無着の意志と無関係な政治的党派制を帯びた動き
 




◇その後の43人

山形県内 29名 離県者 14名(首都圏11名)


□佐藤藤三郎 
   上山農業高校 再入学

教育と生活,理想と現実の根元的問題 対無着 



 「山びこ学校」を乗り越える実践
  別々の場所で個人攻撃



  農民以外の人がつくった「農業基本法」

  昭和45年 
   減反政策が誇りと意欲を奪った


子供を2人とも大学に 娘を「山形大付属中」に



※ 山びこ学校を代表する生徒が,その批判を出発点に評論活動に入り,それが農業外収
 入の源泉となった。

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