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谷昌恒さんはこんなことを⑥-自分でやる以外にない(出典不明) [読書記録 一般]

今回は、7月3日に続いて、わたしの教育ノートから、
「谷昌恒さんはこんなことを」の紹介 6回目です。


「自分でやる以外にない」。出典は不明です。




北海道家庭学校礼拝での、生徒たちに向けての、講話ですが、大変こころに残ります。


椋鳩十の「大造じいさんとガン」を思い出しました。


「自分でやるしかない」、一生を後悔して苦しまないために。


考えさせられる話でした。



今日は父の命日です。
17年経ちましたが、歳を重ねる毎にありがたさを強く感じます。






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☆谷昌恒さんはこんなことを⑥-自分でやる以外にない(出典不明)

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 せんだっても私は、日曜日を控え、今度の礼拝にどういう話をしようか、そういうこと
を思案しておりました。


 たまたま町の古老が私のところに遊びに来ました。


 屯田兵という仕組みがありまして、まるで兵隊組織みたいに内地から人を連れてきて、
北海道を開拓したのです。


 私のところに遊びに来たその古老は、屯田兵から数えると三代目です。しかし屯田兵の
三代日ももう70を越えたじいさんですが。このじいさん、開拓の苦労話をいろいろ私に
語って聞かせる話好きのじいさんでした。


 「いや、昔はたいへんだった」というのです。


 たいへんな話のひとつが熊です。

 熊は自分たちの世界が人間に荒らされたものですからご機嫌が悪い。ときどき出てきて
は攻撃を仕掛けてくる。鶏をとり、豚をとり、馬をとっていく。はげしい熊との戦いだっ
たという、開拓の苦労話をしました。


 あの大きな馬を熊が襲うときには、いきなり首筋をはたく。馬は首が長いから必ずばっとここにきまる。

 一撃ですね、ぱっとはたく。


 馬は参っちゃうんです。馬が参ってしまうと、熊は馬の前足をたすきにかけて、すっと
立ち上がる。熊が立ち上がると、馬は後足でやむをえず立つわけです。熊が前に歩くと、
馬はしかたなしに後足で歩いていく。


 あの大きな馬を抱いたり担いだりして山に運ぶのはたいへんです。


 熊も考えて、馬の前足だけたすきにかけて、立って歩いていく。馬はしかたなしに後足
でついていく。


 ヒヒヒーン、ヒヒヒーンと、ほんとうに悲しそうな声をたてながら馬が熊に背負われて、
ずうっと山に引っぱっていかれた。そういう姿を何回も見たことがあった。そういう話を
この古老はするのです。


 その日のうちに熊は馬を食うわけじゃないみたいですね。


 その日に食っても、肉が軽くてあまりうまくないようです。

 持っていった馬を枯葉なんかをかき集めて隠ししておく。四日目か五日目になると馬の
肉が軟らかくなる。そうすると、枯葉を除けてその馬の肉をゆっくり味わいながら満足そ
うな顔をして食べるのです。


 熊が出てくるとみんな震えあがってしまうのですが、熊と戦う勇気をもっているのは種
牛です。体が大きくて気が荒くてね。    


 昔は農家一軒一軒みんな種牛を持っていました。家庭学校はいまでも酪農をやっていま
す。約30頭くらい飼っていて、年間100トンを超える搾乳をしているのですが、いま
は人工授精をしていますから、もう種牛は飼っていません。


 農家もこのごろはみんな人工授精で種牛なんかいない。


 しかし昔は農家の一軒一軒種牛を飼っていました。種牛は体が大きくて気が荒くて、ほ
んとうに世話のやけるものだったらしい。


 家庭学校の先生も、大きな体の種牛の世話にほんとうに苦労しました。この種牛だけが
果敢に熊に戦いを挑んだ。古老がそう言うのです。



 ある日、この古老の家の種牛が息をフーフーさせ、目をまっ赤にして山から帰ってきた。


 牛小屋に入ると、はめ板を蹴飛ばしたり床を踏み鳴らしたり、さんざん荒れ狂っている。
山で熊と戦って負けて帰ってきたのです。


 そのようすをじいっと見ていたおやじが「餅ついてやれ」と言ったというんです。


 さっと若い者が集まって、もち米を蒸かして餅をついた。


 たちまち大きな餅ができあがった。餅がつきあがったって、そんなに荒れ狂っている種
牛に、もっていくわけにいかない。


 ところがうちのかあちゃんだけは完全にこの種牛を手なずけていて、かあちゃんがその
餅を牛の前にもっていくと、牛は大きな舌を出して、ぺろ-りぺろりと端から食べていく。


 とうとう目の前でぺロリと平らげちゃう。


 餅を平らげると、いつの主にかグーッと体に力が出てくる。ブルブルッと武者震いをし
たかと思うと、すっと牛小屋から飛び出して、スタスタと山のほうに登っていく。



 「そら、やるぞ」と、おやじさんが牛の後を追いかけていく。


 若い衆が鉄砲をもってその後を追いかけてい。自分もその後を追ってついていった。


 山の中に行ってみたら、やっぱり熊がちゃんと待っていたそうです。「やあ、来たか」
というわけです。


 目の前で種牛と熊とお戦いが始まる。種牛はグーッやと頭を下げて突っかかっていく,


 「いや、すごいもんだよ」というんです。


 熊がバァッと前足ではらうと、まるですくい投げみたいに種牛はコロッと引っくり返る。


 また起き上がって突っかかっていく。ぱっとはらう。


 地響きをたてて熊と種牛の死闘が続く。



 気がついてみると、若い衆がピタリと鉄砲で熊を狙っている。


 若い衆は気が気じゃないですからね。


 大事なうちの種牛がやられるかもしれませんから、若い衆は鉄砲でピタリと熊を狙って
いる。


 おやじは若い衆の肘をおさえて、「やめろ、撃つな」という。


 なぜおやじは若い衆に鉄砲を撃たせないのか、自分はハラハラして見ている。


 目の前で熊と種牛の文字通りの死闘が続くのですが、とうとう勝てないんです。勝てな
いんですけれども、執拗に種牛が突っかかるものですから、熊はもうあきれて、クルッと
向きを変えて、山のほうにスタスタ歩いていく。


 それを見て種牛は立ち上がって、「ウォーッ」と勝ち鬨をあげるんです。しかしもう脇
腹はズタズタに掻き裂かれて、内臓も飛び出している。家に連れて帰るんですけれども、
残念ながらその晩、その種牛は死んでしまうのです。



 すると、かあさんが嘆くんです。


 あんたら鉄砲をもってついて行ったんでしょう、なぜ熊を鉄砲で撃ってくれなかった、
種牛が死んじゃったら、うちの家計どうなるんだ、と。


 ことにその種牛を愛していたかあさんはかき口説くのね。


 おやじは黙って一言もいわない。





 なぜおやじがあのときに一言もいわなかったのか、なぜ若い衆に鉄砲を撃たせなかった
のか、それは自分にとっては小さい時からの謎だった、と古老は言うんです。


 このごろになって少しおやじの気持ちがわかりかけてきた。


 おやじは、いまここで人間が熊を鉄砲で撃ってしまったら、この種牛は一生敗北感で苦
しむ。一生挫折感で苦しむぞ。「やれ! 自分でやる以外にないんだ」


 この種牛が死んだら自分の家計にどんなに響くか、それはおやじがいちばんよく知って
いる。知っているけれども、この場合、種牛は自分で戦う以外にないんだ、頑迷にも近い
おやじの気持ちだけれど、きっとおやじはそう思っていたのだ。


 古老はそんなことを言いながら、そのおやじさんを振り返って私に話をする。





 諸君、礼拝に熊の話だの牛の話をするなんておかしいよね。


 おかしいけれども、私は家庭学校に諸君を迎えて、いったい諸君に何をしてあげられる
のか、私の悩みのひとつです。


 普通の学校とちがうから、諸君はこの学校に平均して一年半ぐらいしかいない。


 いったい私たちは諸君に何を与えることができるのか。


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