SSブログ

「ヒキコモリ漂流記完全版」山田ルイ53世 角川文庫 2018年 ① / 「浜松古跡図絵」神谷昌志 明文出版社 ③【再掲載 2011.11】 [読書記録 一般]

今回は、山田ルイ53世さんの
「ヒキコモリ漂流記完全版」の紹介 1回目です。


お笑いタレントの山田ルイ53世さんが、かつてひきこもりの生活を送っていたこと、
ラジオ番組で知りました。


苦しさから、よく抜けられたものだと感じましたが、本書を読み、
ひきこもりから抜け出すことができるには何が大切なのか改めて考えました。
そのヒントがこの本の中にあるのではないかと思います。




出版社の案内には、


「早くから神童と呼ばれ、いやらしくも巧みに自分を演出、見事名門中学に入学した無敵
 秀才少年は、なぜ突然引きこもり、望遠鏡で街を眺め、成人の日にテレビで夢を語る同
 級生を、部屋で見つめることになったのか。「なんにも取りえがない人間が、ただ生き
 ていても、責められへん社会、が正常です」と優しく語るお笑い芸人が、文才をスパー
 クさせ綴る挫折と再生の半生。七転び八起き、人生はやり直せる!日本一笑えて泣ける
 生き方指南。」


とあります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「壊れたパソコンの画面のように僕の人生が固まって動かなくなった」


・「もともとの原因 
   友達との経済格差、それを埋めるための猛勉強
   長距離通学 睡眠不足 が積み重なって・・・・」


・「『キチンとしないとだめだ』が化け物化」


・「厳しい家庭   高学年までテレビなし 見せ本 」
「頑固で厳格な父」






もう一つ、再掲載となりますが、神谷昌志さんの
「浜松古跡図絵」③を載せます。
木船廃寺の名から、浜北区の白鳳期の遺跡、篠場瓦窯の発掘を思い出しました。






☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」







ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
2.jpg








<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。


















☆「ヒキコモリ漂流記完全版」山田ルイ53世 角川文庫 2018年 ①

1.jpg

◇山田ルイ53世

 兵庫県出身

 六甲学院中学校中退 → 大検 → 愛媛大法文中退 → 芸人

 2018「一発屋芸人列伝」




◇ひきこもりの朝

□中学校2年の夏
   
 壊れたパソコンの画面のように僕の人生が固まって動かなくなった
   

 もともとの原因 
   ○ 友達との経済格差、それを埋めるための猛勉強
           
   ○長距離通学 睡眠不足 が積み重なって・・・・
   

「学校を休む」は悪だった
 


□無駄な段取り
  
「本当にやらないと駄目なこと」にたどり着く前に疲れさせてしまう
  

 段取がエスカレート化
   最初は机上の整理から
 
   ルーティンが多すぎるといけない
    

 「ルーティンで大忙し」
   ― 「キチンとしないとだめだ」が化け物化
 


□夏休みが明けた
   
 芋虫はさなぎとなりそして蝶になる
   カフカの「変身」の世界
   

 父が起こす
   が、寝たふり ← キック
  
   でも起きず
    「お前みたいな親の言うことを聞かん奴はもう知らんからな」
 





◇神童の季節
 
□姑息な朝顔のツル
   
 幼稚園 勝手に行った朝顔のトレード

    「○○ちゃんの朝顔が突然小さくなってしまいました。」

    「皆さん、どう思いますか。」

    「山田君はどう思いますか。」

    「山田君の朝顔は急に大きくなりました。どう思いますか。」
   
 姑息なやり方は失敗する                                                
 

□産地偽装の詩 

  新聞に載った言葉 ~ 計算ずくの詩 意図的
 


□やらしい悪癖
   
 策士策に溺れる
 


□謎の見せ本
   
 厳しい家庭
   高学年までテレビなし
   見せ本 


 漫画本禁止(偉人伝・学習漫画を除く) 


 流行のゲーム&ウォッチ、ファミコン、筋けしから隔離 
 


□志賀君ライラライ♪
   
 父 キャッチボール 
   しかし、野球部入部は邪魔くさいからダメ
     
 クラシック
   しかし寝るときは「ボクサー」ライラライ洋楽BGM
  
   歌詞は自分そのまま
 


□頑固で厳格な父
   
 神戸税関職員 公務員 ビデオ見たさにビデオとビデオデッキ
 


□玉虫色のスーツ 父が緑のスーツ
   
 他人を「主役」と「脇役」に分けて考えるくせ
   
 細野君 中学受験
 


□カピバラと中学受験
   
 エキストラの細野君が赤本と向き合える男 

 ― 「中学受験ってかっこいい」
 

 しょうもない塾
  「良い子の仮面」をつけていた子が初めてのおねだり
 
   日能研ではなく「しょうもない塾」
 
    ― 親「どうせ落ちるのに高額な塾に通わせるのはばからしい」
 


□優越感ハイ
   
  睡眠時間3時間 - 勉強に励んだ
 


□神童の予感
   
 先生を上回って 大人のスルーする力 都合の悪い時は目をつぶる手法 
   



□六甲中学に合格

 → 僕の中に神童感 → これがのちの禍につながったのだが



















☆「浜松古跡図絵」神谷昌志 明文出版社 ③【再掲載 2011.11】

1.jpg

◇天文方・伊能忠敬の佐鳴湖測量

 享和3(1803)年 遠州灘海岸線
         
 天竜川河口~浜松市南岸線


 文化元(1805)年 佐鳴湖・浜名湖の実地測量 
        
 3月17日~28日 11日間14人

 「天文方御急回状」




◇唐船漂着の瓦版と黒船来航
 
 遠州灘海岸 

 ① 寛政12(1800)年12月4日 唐船
    山名郡湊村漂着(浅羽町) 

   全員助け出されて唐の国へ


 ② 安政6(1859)年11月
    米国船 掛塚沖で台風のため座礁

  8名 ボートで掛塚に向かう途中転覆

   
 ③ 文政9(1826)年 
    唐船  相良沖に - 漂着

   
 ※黒船 嘉永・安政年間 

  → 浜松・米津海岸に砲台(台場)





◇江戸時代に著された遠江地誌 主に国学者によるもの

 内山真龍 『遠江国風土記伝』

 山下照庵 『古老物語』

 杉浦国頭 『曳馬拾遺』

 斎田茂先・山本忠英 『掛川誌稿』
 
 八木美穂 『郷里雑記』南遠地方





◇兵藤庄右衛門の『遠江古跡図絵』

 井伊大老を討死 - 彦根藩士沢村軍六之文
             
 沢村勝男氏(大正10生)
   大久保町在住
  
 沢村家伝来の阿弥陀如来像





◇浜松に定住した新撰組隊士中島登
 
 利町 鉄砲店・中島登さんの家 
  4代目の直径子孫  


 浜松宿神明町の魚屋「魚惣」の娘 を妻に


 明治17(1884)年 免許うけて紺屋町で鉄砲店





◇勤王の豪商池田庄三郎の事績
 
 池町 芳鮮寺(浄土真宗) 浜松・御用商人 池田庄三郎の墓 


 勝定の子勝光
  国学 → 尊皇倒幕 → 遠州報国隊 資金援助





◇神官桑原真清(みすげ)の『報国隊顛末記』

 遠州報国隊 

 主導 津毛利神社(参野町)桑原真清

 明治元(1868)年 戊辰之役 
  勤王の民兵隊306名 神官280余名

90名余が江戸に向かった 駿河赤心隊と共に

= 真淵を頂点とする国学思想の流れ
  
 
 利町五社公園の一角に「戊辰之役報国隊祈念碑」

 



◇浜松の城下絵図について

 良質のものは 

「浜松御城下細見絵図」真上から
  故渥美静一氏旧蔵

「浜松御城下絵図」 鳥瞰図





◇白鳳期の寺院跡「木船廃寺」

 古寺  

  真言三か寺 頭陀寺、竜禅寺、鴨江寺



 和田町 木船 

  礎石と布目瓦 銅鐸出土地から30~40㎝
  
  白鳳期のもの 鐙(あぶみ)瓦 素弁蓮華文鐙瓦

  <浜松市が誇る浜北区の篠場瓦窯の瓦と同範と言われます-ハマコー註>





◇観音信仰拠点甲江山鴨江寺
 
 703年 行基開創 戦争で焼失





◇定額寺としての格式・青林山頭陀寺 

 703年草創 863定額寺私立ながら国の援助
 

 仁和寺の観音堂末寺





◇臨済宗の中本山 大通院と的伝和尚
 
 臨済宗 97か寺中77か寺が方広寺派  


 方広寺 1384年開創 → 77か寺 ほとんど的伝和尚と法弟
瑞雲寺(佐藤町)と大通院(新橋町)


 大通院 中本山 → 廃仏毀釈により衰退 

残るものは山門と戒壇石





◇曹洞宗普済寺とその末寺群

曹洞宗104か寺中ほとんどが普済寺の寺

1428年開創 吉良氏の帰依 500有余の末寺





◇歴史の禅苑西来院と名刹天林寺

西来院 天林寺

nice!(157)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

「恵みあれば」鈴木秀子  中央公論新社 1999年 ① / 「古代日本の発掘発見物語」玉利勲 国土社 1985年 ⑤【再掲載 2012.8】 [読書記録 一般]

今回は、わたしの教育ノートから、鈴木秀子さんの
「恵みあれば」1回目の紹介です。





出版社の案内には、


「自分だけが恵まれず、不幸だと感じたことはありますか? 満たされない、味気ない毎
 日だと思ったことはありますか? しかし、恵みはすべての人に訪れているのです。あ
 るがままの自分を見つめ、魂の奥深いところでの自分と他者とのあたたかいつながりに
 気づいたとき、新たな生がはじまる。」


とあります。



よい例え話が理解を助けてくれます。
人に話したくなってしまう話です。




もう一つ、再掲載となりますが、玉利勲さんの、
「古代に湾の発掘発見物語」⑤を載せます。
日本各地の遺跡の発見の様子を教えてくれます。
学術発掘もあったわけですが、
高度成長期、開発が進み遺跡の発掘が数多くあったことの証でもあります。
もし相沢忠洋さんや棚田嘉十郎さんの努力がなかったら…
多くの方の努力による遺跡だということがわかる本です。



大変長くなってしまいました。おつきあいに感謝します。






☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」




ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
2.jpg





<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。

浜松ジオラマファクトリー












☆「恵みあれば」 鈴木秀子 中央公論新社 1999年 ①

1.jpg

◇人は皆、ひび割れた水瓶である

 先日、友人の会社経営者の方から、次の話の出典を知らないかとの、問い合わせがあり
ました。


 彼は感受性豊かな深い心をもった方です。私のもとには英文で届きました。


 もし、この話が載っている元の本をご存じの方がありましたら、教えていただきたいと
思います。






 インドに水汲みの男がいました。


 水瓶を左右の肩にかついで毎日、川から丘の上のご主人様の館まで遠い道のりを運んで
いました。 


 館に着くころ、右肩にかかっている水瓶は水をなみなみと湛えているのですが、左側の
水瓶はいつも半分になっています。


 この左側の水瓶にはひび割れがあって、ポタポタと水がこばれていたのでした。


 水汲みの男がどんなに急いで丘を登っても水はずっと滴り落ちていき、丘に着いたとき
には左側の水瓶の水は半分になっていたのです。




 そういう日が何日も続いたあと、ひび割れの水瓶はたまらなくなって、自分の主人であ
る水汲み男の前に頭を下げて言いました。


 あなたはこんなに一生懸命働いて水を汲んでいく。


 けれど水瓶の私の脇腹にひびが入っているために水がこばれ、苦労して運んでも半分し
か水をご主人様に差し上げられない。

 自分なんていてもしょうがないようなものだ。

 苦労して水を運ぶあなたに迷惑をかけて、自分なんて壊れてくだけてしまったほうがよ
いくらいだと、嘆きました。


 水汲み男は


「いいんだよ、そんなことは心配しないで、君がいないと半分も水は汲めないのだよ」


と言って水汲みをずっと続けました。




 2年がたちました。


 息せききって丘を登っていく水汲み男のそばで、満杯の水を湛えた右側の水瓶は、いつ
も得意でルンルン気分でした。


 左側のひび割れの水瓶は、自分のおかげで水汲み男が辛い思いをしているのではないか、
苦労しても半分しか報われなくて申し訳ないという気持ちを、徐々に増していくのでした。



 ついに堪えられなくなり、水汲み男にまた頭を下げて、こんなひび割れたなり損ないの
おかげであなたの努力は報われない、あなたは一生懸命働いているのに申し訳ない、自分
は役立たずものだと謝りつづけました。



 水汲み男は瓶をかついで、黙っていつものようにリズムを取りながら、丘の上のお屋敷
の前に立ちました。


 2つの水瓶をおろし、前のほうにひび割れた水瓶を置きました。


 ひび割れた水瓶のところから登ってきた丘の道がずっと見えました。


 道の左側にずっと花が咲いていました。


 太陽があたたかい陽射しを花々に降り注いでいます。



 水汲み男は言いました。


 「ご覧、どっち側に花が咲いているかね」


 ひび割れた水瓶は自分が通ったほうですと答えました。


 いっばい水を湛えた完全な水瓶は憤然として口をつぐんで不機嫌になってしまいまし
た。



 水汲み男はひび割れた水瓶に向かって、


「そうだね、君が歩いてきた道だけに花が咲いているね」


と言い、それからも毎日今まで通り水汲みを続けていきました。



 しばらくするとまたまた、ひび割れた水瓶は自分のことが嫌いになり、がっくりして落
ち込んでしまい、ぼやきました。

 自分なんていてもしょうがない、役に立たない、取り替えてもらったほうがいいのじゃ
ないですかと、水汲み男にぼやき訴えかけました。



  水汲み男は黙って水瓶を丘の上におろしてひび割れた瓶に言いました。

「見てごらん、花がいっばい咲いている。今歩いてきた道の縁の花に水が滴り落ちている
 だろう。このたくさんの花を君が育てたんだよ」



 水瓶にはなんだか意味がわからないまま、日々が過ぎていきました。


 またまた水瓶は落ち込みました。


 ひび割れ水瓶の隣には、完全と見える水瓶があります。


水汲み男がなんと言っても、ひび割れ水瓶は、自分なんてだめですと言いながら、謝るの
でした。


 男は水瓶に向かって言いました。


「君がいなかったらこんな見事な花は咲かなかったんだよ、初めて水を入れて丘の上まで
 たどり着いたときに、君の水は半分になっている、ひび割れていることに気がついた。
 私は君のひび割れを役立てよう、そしてご主人様を喜ばせようと考えたのだ。だから君
 が通るところに花の種をまいたのだよ。雨の降らない土地で君がいなかったら花は咲か
 ない。種のまま掛れた地面に落ちていく。それなのに左側に種をまいていったところ、
 君が毎日水を与えてくれてこんな見事な花が咲いた。
 ご主人様はこの2年間、水だけでなく新鮮なきれいに咲き誇った花をテーブルの上に
 飾ってもらって、とても喜んで毎日を過ごされた。これこそ君のひび割れなしには成し
 得なかったことだ。君のひび割れがあったればこそ、ご主人様は花を喜び水を飲むこと
 ができたのだ」



 ひび割れ水瓶は咲いている花の列を見たときに、花の美しさに生まれて初めて目が覚め、
世の中にこんな美しいものがあるのか、そしてそれに自分が少しでも貢献しているのかと
いう喜びでいっばいになりました。


 そして、ひび割れがあるから自分なんてだめなんだと思いつめた馬鹿さかげんに気づき、
ひび割れだからこそ見事な花を咲かせることのできる自分を、大変いとおしく感じました。





 この物語ほ、次の言葉で結ばれています。



「私たちはそれぞれ自分だけのひび割れを持っています。私たちは皆、ひび割れた水瓶で
 す。神の摂理のもとに、必要でないものはなにもないのです」




 そう、私たちは皆、ひび入りの水瓶なのです。


 水をいっばい運ぶことのできる水瓶は、花を咲かせることのできたひび割れ水瓶に向か
って、しみじみ言いました。



「自分は君のように水を撒くことはできない。満杯の水を運ぶことはできたけれども、花
 を咲かせることはできない。君はなんてすばらしいのだ。自分は花を咲かせることので
 きないひび割れ水瓶なのだ」




 完全な人間などはいず、どの人もひび割れを持っています。


 そのひび割れをどのように役立てるか、これが生きるということの意味です。



 私たちが生きていくうえで完全に幸せという日が永久に続くことはありえません。


 天気と同じように、雨の日、曇りの日もあり、また晴れの日も来ます。


 いろいろなことが起こります。



 生きているということはいろんな課題を持ち、それに対してどのような視点を持ち、そ
れをどのように解決していくか、生きるとはそこに尽きていると思うのです。



 この話は、ひび割れこそ恵みであることを教えてもらった、友人からのプレゼントでし
た。


















☆「古代日本の発掘発見物語」玉利勲 国土社 1985年 ⑤【再掲載 2012.8】

1.jpg

◇一個の石器が歴史を変えた -相沢忠洋

□ついに石器を見つけた

 昭和24(1949)年7月群馬県新田郡笠懸村 23歳 崖から黒曜石の石器発見



□一家団欒を夢見て

両親が離婚 

  東京浅草履物屋に奉公

  → 夜学の小学校 休日に帝室博物館



□赤土の謎

  敗戦で桐生に

  ~ 行商 
    ついでに土器石器集め
地図に遺跡を記す



赤土の崖では石器や石片のみ

  - 一個の土器も発見されず



□幸運な出会い

昭和24年7月末  
    東京で芹沢長介と会うチャンス(明治大学院)

      9月8日
         明大・杉原荘介助教授のもとへ

9月10日 予備調査

10月と翌4月 本調査 

     → 岩宿遺跡 


日本列島には3万年前から人類






◇よみがえる奈良の都 - 百年以上続く平城京宮跡の発掘

□掘り出された宮跡

  平城宮 元明天皇 和銅3年(710) 一万人の役人

  → 784年長岡京に移ると80年後には都大路も田畑に


  昭和34(1959)年7月 本格的発掘調査(奈文研)奈良市佐紀町 



□正方形ではなかった

幕末国学者 北浦定政 図面化

明治末・奈良県技師 関野貞(のち東大教授)

平城宮 一辺1㎞の正方形と推定(古地図 地形・地名を手がかりに)


昭和41(1966)年42(1967) 南北750m 東西250m 東側へ張り出している
東院『続日本紀』

宮域 濠+築地塀(大垣) 厚さ底辺3m高さ5m
大垣に門3つ 正門は南の朱雀門25m×10m

内裏      - 掘立柱 白木づくり 屋根は檜の皮

  太極殿・朝堂院 - 石造り基壇 礎石 屋根瓦

正殿 - 礎石づくり

  その他の役所施設は掘立柱



□木簡発見 

  昭和36(1961)年1月24日 田中琢 木簡発見
  2月1日までに41個の木簡 年号入りも4点
~ 3万点以上

木簡 ①文書 請求書や伝票類 勤務評定も 習字用木片も

②荷札 各地名産品



□地下の正倉院

 平城宮跡 = 「地下の正倉院」

 いろいろのものが ~ 資料館で見られる



□国民が守った平城宮跡

遺跡整備の工夫 2010年の完成を目指す

 128ヘクタールの平城宮跡 ~ 遺跡博物館

  国有地化 棚田嘉十郎の献身的な努力







◇ベールを脱いだ海の正倉院 - 沖ノ島の調査

□神秘に覆われた神の島 

福岡県宗像郡大島村沖ノ島 4世紀後半から600年間神を祀った遺跡の島

出土品はすべて国宝・重要文化財

宗像大社三の宮の一つ沖津宮 

   古くから神の島 ~ 孤島で暮らすのは宗像大社の神官一人
二週間毎に交代 女性禁制

昭和29(1954)~昭和46(1971)3次にわたる調査



□岩陰にひそむ貴重な遺物の数々

4世紀後半~6世紀
    島の祭りの跡 出土遺物は21000点超



神の島として守り続けた漁民たちの厚い信仰と宗像大社の厳しい掟



□金銅製竜頭と唐三彩の発見

4世紀後半~10世紀 3次調査のみで30000点超
金銅製竜頭 20㎝ 1.6㎏ 5号遺跡

唐三彩   5号遺跡



□最高最大の収穫

23箇所の遺跡 出土品50000点超

第一段階 4世紀後半~5世紀  祭の場が巨岩の上 岩上遺跡

第二段階 5世紀後半~6世紀  岩陰遺跡

第三段階 7世紀  ~8世紀 岩陰だけ → 露天部分
半岩陰・半露天遺跡

第四段階 8世紀中頃~10世紀 露天遺跡

沖ノ島 <海の正倉院> 当時の一流品







◇ブームを呼んだ明日香の美女 - 高松塚古墳壁画

□戦後最大の発見

  昭和47(1972)年3月26日夜 NHK7時のニュース
末永雅雄指揮 橿原考古学研究所+関西大学+龍谷大学

  3月1日より発掘
 
  3月21日  網干善教 正午頃壁画発見

  22日~ 調査 + 写真撮影 徹夜の作業

  26日  発表 → 石室密閉(壁画保存)

  文化庁に任せる



□星と四神と人物群

盗掘受けて副葬品は殆ど持ち去られていた - 鎌倉時代末の盗掘

残された遺物 海獣葡萄鏡・太刀の飾り物・柩も

天皇或いは皇族クラス



□様々な保存対策

国の特別史跡に指定 壁画~国宝 副葬品~重要文化財



保存が課題  写真撮影 + 模写(前田青屯 + 8人の日本画家)

昭和51(1976)年8月~ 保存作業 ~昭和56(1981)3月







◇装飾古墳の謎 - 虎塚古墳の赤い壁画

□赤い壁画があった

  茨城県勝田市虎塚古墳 

昭和48(1973)発掘 赤い壁画

大塚初重(明大)7世紀初め



□様々な図形

 全体として九州の装飾古墳の壁画と似ている点が多い



□謎に包まれた装飾古墳

  全国で300 ~ 分布を巡る西と東の問題

「もがり」の小屋の内部と描いた画?



□実現した科学的調査

昭和49 国の史跡に指定

 昭和55 保存施設完成


nice!(144)  コメント(2) 
共通テーマ:学校