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「学校見聞録」佐藤学 小学館 2012年 前半 / 「宮本常一著作集43 自然と日本人」 未来社 2003年 ①【再掲載 2013.7】 [読書記録 教育]

今回は、わたしの教育ノートから、佐藤学さんの
「学校見聞録」前半の紹介です。





出版社の案内には、


「これまで国内7500教室、海外1400教室を訪ね、独自の『学びの共同体』づくり
 を主唱し、多くの学校改革を実現してきた現代教育界の第一人者・佐藤学氏(学習院大
 学教授 前日本教育学会会長)。日本および海外で『教師の教師』として絶大な信頼を
 得ている佐藤氏が、東日本大震災、経済不況による地域の崩壊など幾多の危機と困難に
 直面した日本各地および世界各国の学校現場を訪問し、『学びの共同体』の子どもたち
 と教師たちの挑戦を取材。その現状と課題を伝えます。学校のあるべき姿と教育の未来
 を考える、すべての教育関係者必読の1冊です。」


とあります。





今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「…全体をして穏やかで静かな学校、表情も柔らかく自然で子どもらしい笑顔が見られ
  ればその学校の教育は優れているし前進している」


・「近年どの子どももつぶさない学校、どの教師もつぶさない学校をつくることがいっそ
 う厳しくなっている」


・「学校は内側からしか改革できない、しかしその改革が持続するためには学校の外か
  らの支援が必要である」

- 予算もとらずに現場任せでは、現場はただ疲弊するばかり…


・「荒れる生徒に対する教師の熱心な対処が生み出す授業崩壊のパラドクスについてはど
  の中学校でもまっとうに議論されるべきであろう」





もう一つ、再掲載となりますが、宮本常一さんの
「宮本常一著作集43 自然と日本人」①を載せます。



わたしの地域は、農業地域であり、20年前には専業農家も近所に何軒かありました。
しかし、専業で頑張っておられた方が亡くなられ、専業は大変少なくなっています。
かわりに、それらの農地を使ってのNPO、企業が外国人を使っての農業が目立ちます。
農地で農作物がなってはいるのですが、周りが草まるけところもあり、
栽培途中、除草剤をまいている姿も見られます。
20年前、稲の実る頃の夕方の風景は大変美しいと感じたものでしたが、
今では耕作放棄地も目立つようになり…
「自然と日本人」を読み返し、考えています。


昨日は休みを取って免許更新に出かけました。
受付時間の30分前に免許センターについたのですが、すでに長い列。
感染予防のため、二人がけの机に一人、暑い日にもかかわらず窓は全開。
思っていたより時間がかからず新しい免許証を受け取ることができました。
安全運転に気をつけなくてはと改めて思います。



☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」




ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。

浜松ジオラマファクトリー










☆「学校見聞録」佐藤学 小学館 2012年 前半

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〈内側からの改革を求めて〉

◇学校を訪問し教師と協同する
 
1 学校を訪れる

 2009年9月20日 新潟県五泉市立五泉小学校

革新市長英断  
      センター給食 → 自校方式

各学校教員研修予算増額





2 内側からの改革

「明るく元気な学校は最も問題のある学校であり、子どもたちの声や身のこなしが柔らか
 く全体をして穏やかで静かな学校、表情も柔らかく自然で子どもらしい笑顔が見られれ
 ばその学校の教育は優れているし前進している」


 声や身振りの柔らかさ

 



3 拠点校を創る

 富士市岩松中学校  中2の数学の授業 斎藤十朗校長

 長岡市・川西小学校 4年分数の授業

   ↓

「新潟自分探しの会」合宿研究会









◇教師も子どもも学び育ち合う学校へ

1 危機の中の学校

  近年どの子どももつぶさない学校、どの教師もつぶさない学校をつくることがいっそ
 う厳しくなっている

 


2 柔らかな優しさ 

 「学びの共同体づくりの改革しか道はない」

 


3 希望の連帯









◇学校は内側からしか変わらない

1 内側からの改革

 「学校改革の弁証法」

   学校は内側からしか改革できない、しかしその改革が持続するためには学校の外か
  らの支援が必要である


2009.2 岩手県奥州市立水沢中学校 佐藤孝守校長
  



2 希望への挑戦

 共有の学び合い  +  ジャンプの学び合い






◇ベテラン教師の授業改革に魅了される

1 学校が変わる 授業が変わる 

山口県常磐中学校(白石千代校長)

コの字型机配置 男女混合4人グループでの学び合い

富士市立岳陽中学校元校長・佐藤雅彰スーパーバイザー




2 改革を持続する難しさ

  荒れる生徒に対する教師の熱心な対処が生み出す授業崩壊のパラドクスについてはど
 の中学校でもまっとうに議論されるべきであろう

↑↓

  荒れた生徒と熱血教師は共犯関係

 


3 熟練教師から学ぶもの

  言葉や物腰の柔らかさ ~ 安心と信頼の息づかい

 「日本の学校は古谷さんのようにもの静かなすばらしい教師たちによって支えられてい
  る」














☆「宮本常一著作集43 自然と日本人」 未来社 2003年 ①【再掲載 2013.7】

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◇日本人にとって自然とは

 日本人は自然を愛し、自然を大事にしたというけれど、それは日本でも上流社会に属す
る一部の、自然に対して責任を持たぬ人たちの甘えではなかったかと思う。



 自然の中に生きた者は自然と格闘しつつ第二次自然を作りあげていった。



 たとえば、武蔵野は徳川吉宗の勧農政策によって畑にひらかれたが、それがかえって、
この野を砂漠同様にしてしまい、干ばつによる飢饉が相つぎ、多くの農民の離散があった。



 それを屋敷の周囲、畑の周囲に木を植え、畑の区切ごとに茶を植えて、風を防いで作物
の成育をたすけ、玉川上水からいくつもの分水路を作って人の住み得るところにしたので
あって、ただ単なる自然ではなく、人の手によって出現した自然である。



 海岸につづく松原なども、自然に生えた木はほとんどない。



 その初めは、潮風を防ぎ、砂を防ぐために苦労して植えたもので、そうしなければ、そ
こに住み、そこに生きられなかったのである。                  



 山にしぜんに木の生えているようなところでは、山の木はむしろ無雑作に伐られて薪炭
材とされた。



 歩いてみるとよくわかることだが、バスで通過するほどの山地で、樹齢100年をこえ
る木の茂っているところはほとんどない。


 木は伐ってもまた茂るからというので、皆が平気で伐った。



 とくに昭和30年(1955)年頃から林道の開発がすすむと、奥地に残っていた原始
林がパルプ用材として乱伐され、その生産額は建築用材をこえたことがある。



 そのあとへ杉などの植林されたものもあるが、大半は放置された。



 里人の眼につかぬ所であるから誰も気がつかなかった。



 木の育ちにくい所では木を大切にするが、ほったらかしておいても育つような所では、
いたって粗末にする。



 山に木が青々としているから大切にしているのだと思ってはいけない。



 自然愛護などとロにしつつ、空閑地や道ばたに進んで木を植えようとする人はほとんど
いない。



 むしろ都会人たちは木をきらっている。その証拠は、武蔵野の古い街道の両側に植えら
れたケヤキのほとんどが伐られてしまった。


 日かげになるとか、風が吹いて枝が折れると危険だからというようなことが理由で。



 それは決して武蔵野だけではない。街道の松並木なども大方姿を消した。


 交通の障害になると言って。



 最近、西日本はマツクイムシの被害が甚しいが、その防衛策のようなものがたてられて
いるとは聞いていない。


 むしろ、松が枯れてしまったら伐って宅地造成ができると、ひそかに喜んでいる者もあ
るという。


 もともと、その地に住む者にとって風景のよいというのは重荷であった。そういうとこ
ろは真直ぐな道も平坦な道も少なく、生活をたてるには、その山坂をのぼりおりして働か
ねばならなかった。


 だから風景のよいといわれるところに住む人はどこでも貧しかった。



 観光会社がホテルを作ったり遊び場を作ったりしても、地元の人には何のかかわりあい
もなく、むしろ都会人にうすぎたない姿で働く姿を見られることをはじた。


 最近になって民宿の発達したところでは、何かほっとしたものがあるようである。



 地元の人にとっては、そこにある自然が、そこに住む人にゆたかな生活をたてさせてく
れるものがよい自然なのである。


 しかもその自然から奪いつづけなければ生きてゆけない人生があった。生活をたてるた
めに造りだした第二次自然すらが、風景をたのしむようなものではなかった。



 そういう中へ、昔の上流階層の自然観賞的な態度が、一般人の間にひろがって、観光開
発になってきた。


 昔はただ個人でこれを観賞したが、今は大ぜいで押しかける。


 そしてそれのできる身分になることを誰ものぞんでいる。



 すべて自然への甘えである。


 しかも今日では、自分たちの生活を守るために自然を利用することも少なくなった。


 口で自然を守れといってみてもどうしようもないことで、もう一度、日本人自体の自
然に対する態度を問いなおしてみることからスタートしなければならない。

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