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「宮本常一 伝書鳩のように」石川直樹 平凡社 2019年 ② / 欲ばり過ぎるニッポンの教育」苅谷剛彦・増田ユリヤ 講談社現代新書 2006年 ②【再掲載 2012.8】 [読書記録 民俗]

今回は、8月15日に続いて、石川直樹さんの
「宮本常一 伝書鳩のように」の紹介 2回目です。



歩く民俗学者と呼ばれた宮本常一さん、
いまでもファンが数多くいます。
宮本さんに関しての本が、没後40年近くたっても出版され続けています。




出版社の案内には、


「日本各地を歩き、漂泊民や被差別民、歴史の表舞台に姿を現さなかった無名の人々の営
 みや知恵に光を当てた『野の学者』宮本常一。膨大な著作のエッセンスを一冊に集成。」



とあります。





今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「いったんそこが通路になると、人はそこを通り、次第に踏み固められる」


・「木を焼いて灰をつくった
 五斗一俵の灰で二斗一俵の塩を変えた」


・「日本山間の住民は何らかの意味で海につながりをもっていた」


・「民衆の世界では技術は秘密ではなかった
  それとともにまた一つの技術を発展させていくことも心得ていた」






もう一つ、再掲載記事となりますが、苅谷剛彦さん、増田ユリヤさんの
「欲ばり過ぎるニッポンの教育」②を載せます。
社会教育学者の苅谷さんが14年前に心配していたとおりの状況、
「家庭の文化的な環境の違いによって,学ぶ意欲にも学ぶ力を身に付けるための準備段
 階に於いても差が生まれる」
が、コロナ禍の中、生じているのではないかと恐れます。






☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」




ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。

浜松ジオラマファクトリー









☆「宮本常一 伝書鳩のように」石川直樹 平凡社 2019年 ②

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◇塩の道  1964年 57歳
 
□ウサギ道、シシ道、ウチ・ウジ道(奈良・熊本・宮崎の山中)
 
           ↑

 京都・宇治ももとは獣の通る道のあったところだろう
    「粉河寺縁起絵巻」ウジまちのさまが描かれている

 


□古い道         
   
 野獣の往来の道を利用した
 
   ↑↓

 人間のつくった道
    鉈や斧で一人通れる道を開いた 
  
 ◎ いったんそこが通路になると、人はそこを通り、次第に踏み固められる
 
     ↑

 ◎ いつまでも道が残るためには、人がそこを通り続けなければならない
 



□宮崎県南郷村 ~ 槙鼻峠 ~ 椎葉村・大河内
   
 塩道(海岸から直線で入った)他の物資は球磨から
 



□奈良県吉野山中
   
 多くの消費物 大秤の上市・下市・五条などから
   
 塩      熊野から(海岸から直線的に)
 



□海と山をつなぐ大事な道は塩の道だったといえる
   
  山中から海へ出て塩をつくる者も少なくなかった
  
  後に薪を売り、塩を買った → 薪木を塩木と呼んだ
 



□山中に造船材も 「船(舟)木」と言った
   
  長生きを横に背負って歩く ― 横歩き  → 船木道
  
  一人で背負える20貫程度の材木にした
 



□塩を入手するために灰をもって出たという
   
  よい灰 → 紺野で染色の色留め、麻皮のあく抜き
  
         ↑
 
  木を焼いて灰をつくった
  
  五斗一俵の灰で二斗一俵の塩を変えた

     ↑      
 
  専売制になって風習がぷっつり消えた


◎「塩の交易のあり方によって、人がその山中にどのような過去をもって住み着いたので
  あろうかということを探り当てることができるようにと思う」


◎「日本山間の住民は何らかの意味で海につながりをもっていた」








◇石垣と民衆  1984年73歳

□石工の世界  
  旅先で若い石工の話 

  石垣づくり




□職人の技術と本音
   
  田舎の昼は本当にひっそりとしたもので音がみんな聞こえた
  

◎「石垣積みは仕事をしているときはやはりいい仕事をしたくなる。結局いい仕事をして
  おけば、後から来る者もその気持ちを受け継いでいい仕事をしてくれるものさ」 
 



□田畑の石垣を築いた人々
   
 地主も家族も一緒になって  


 目的は一つ = 上部で生産性の高い石垣をつくる


 広島県倉橋島の鹿島の段畑 100段近い
  ほとんど島の人たちが積んだもの - 貧乏

  
 自力で築いたものは石が小さい




□黒鋳大師の拓いた景観

 山を切り崩す人々 ― 黒鋳大師(もと百姓―農閑期に砂鉄堀)

 次々に山を切り崩し砂を流していくものだから、川の下流地方にはおびただしい砂が流
出して海を埋めていった

      ↓

 しばしば洪水

 |



□石工の活躍

 明治30(1897)年過ぎから
     
 明治32年耕地整理法施行
 
   畦畔をまっすぐに 「マチタオシ」-石垣にした
   

 明治22(1889)年 十津川大水害
   大和十津川の復旧に力を注いだものがものが濃尾平野の黒鍬師
 
       |

   黒鍬師たちの協力によって山中が人の住めるところになった

   また、村人に石垣を積むことを教えた
 



□民衆の技術とその伝播
   
 


□民衆の世界では技術は秘密ではなかった
 
  それとともにまた一つの技術を発展させていくことも心得ていた

       |

 仲間の中の優れた技術を受け継ぎ、応用し、仲間を増やし、発展させていった
 
  → 蓄積

  → 国民全体の財産に

















☆「欲ばり過ぎるニッポンの教育」苅谷剛彦・増田ユリヤ 講談社現代新書 2006年 ②【再掲載 2012.8】

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◇絶対評価と相対評価

□日本の教育制度は絶対評価の厳しさを無視している

 受験は相対評価の厳しさ


 日本の絶対評価は「個別評価化」→序列化へとつながる

 


□絶対的な基準で変わる「自分らしさ」 

 ←→ 日本:心情的優しさ




□親はテストの点数ではかる評価を選ぶ




□国際的な評価は絶対評価




□21世紀型社会では、さまよう若者が増える




□日本人的生きやすさを生み出してきた制度




□子どもを導く力量が総合学習には必要だった

 


□教育改革は修得主義を目指したものではなかったか? 

「新しい学力観」 - 評価論から入った

 ※ 絶対的な基準がないまま観点別評価という名の絶対評価にすり替わってしまった







◇徹底した修得主義を貫くフィンランド 増田ユリヤ
 
□教員養成の現場を訪ねる 

 大学 - 教員養成学部は10倍の競争率



教師の質を維持していくためのシステムが何重にも準備されている

   
 ※ 小学校の教師になるには 312時間の現場実習を要する
  
 


□すべての場面で修得主義を貫く 

 高校卒業資格検定試験

 


□難易度の高い入学試験 




□教師になってからも続く研修 

 平均年8日程度の研修




□人気の高い校長研修プログラム




□他業種から歓迎される教育学部出身者

 フィンランドでは教師に「人間としての幅」を求めている






◇欲張りがもたらす教育格差 - 学ぶ力が資本となる社会 苅谷剛彦

□学習資本主義社会の実現
   
 偏差値 

 -  勤勉さ,我慢強さ,知識の習得能力,要領の良さなどの潜在能力を反映している
   ものとして見ることができた
 


※ 学習者自身の自己責任に基づき学ぶ機会と自分で進んでいくことが求められる社会
 が出現した 
      
  = 学習資本主義社会 


 ※ 過去に習得した知識や技術よりも学習能力が人的資本形成の中核になる
      
   
 学習能力が「資本」となる社会  

「自ら学ぶ力」

   =「学習資本」を個人が自分の判断でいかに身に付けるかが社会の在り方や人間
    関係に広く深く関わるようになる
    
   ~ 社会現実とのギャップ 


 ◎ 教育予算,一学級あたりの子どもの数には、一切、手を付けずに,「望ましさ」だ
  けに引っ張られて教育改革が全国一律で行われることになった

  
     ↓


 しかし,教育予算は最低限    
OPEC平均3.5% 日本は2.7%



 ※ 子ども一人あたりに目を向けることが必要とする教育を求めておいて,そのための
  基盤整備にはお金を出さないし,時間的余裕も与えない
  
 


□格差というしわ寄せと近未来の改革路線
 
※ 家庭の文化的な環境の違いによって,学ぶ意欲にも学ぶ力を身に付けるための準備段
 階に於いても差が生まれる


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