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キーワード「新津」①-新津の地名 角川・静岡県の地名辞典(1) / 「子どもの民俗学」大藤ゆき 草戸文化 1982年 ④【再掲載 2012.8】 [読書記録 郷土]

今回は、わたしの教育ノートから、
キーワード「新津」1回目の紹介です。



浜松市、新津地区。
かつては、浜名郡新津村。浜松市南部海岸沿いの地区です。







今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「新津村 - 第2次大戦頃までは農業地域で,砂地を利用しサツマイモ・スイカ・蔬
  菜を栽培した。遠州灘沿岸では引網・かうたせ網によるアジ・カツオ・サバ・イワシ
  漁が盛んであった」


・「こざわたり 小沢渡<浜松市>
  佐鳴湖の南、遠州灘に面して位置する。地名の由来は当地北部に池・沼などの小沢が
 多く,それらを渡って往来したことにあると伝える。」
- なかなか読めません。「おざわわたり」と読む人が多いようです。






「子どもの民俗学」④を載せます。
田舎に育ったわたしには、この本を読むと、懐かしさに浸ることがせできます。









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☆キーワード「新津」①-新津の地名 角川・静岡県の地名辞典(1)

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◇しんづむら 新津村く浜松市>

〔近代〕

 明治22年~昭和26年の自治体名。はじめ敷知郡,明治29年からは浜名郡に所属。

 遠州灘に面した馬込川河口右岸に位置する。

 小沢渡・新橋・倉松・堤・米津・田尻・法枝の7か村が合併して成立。大字は旧村名を
継承。役場を大字新橋に設置。

 第2次大戦頃までは農業地域で,砂地を利用しサツマイモ・スイカ・蔬菜を栽培した。
明治24年の戸数591・人口3287,厩86,船110。

 遠州灘沿岸では引網・かうたせ網によるアジ・カツオ・サバ・イワシ漁が盛んであった
(浜松市史3)。

 世帯・人口は大正9年689・4496、昭和25年927・5733。

 昭和26年浜松市に合併。各大字は同市の大字として存続。






◇こざわたり 小沢渡<浜松市>
  
 佐鳴湖の南、遠州灘に面して位置する。

 地名の由来は当地北部に池・沼などの小沢が 多く,それらを渡って往来したことにあ
ると伝える。


〔中世〕小沢渡郷

 戦国期に見える郷名。

 遠江国敷智郡のうち。永禄10年8月5日の今川氏真判物写によれば、氏真から鈴木重
時・近藤康用らに三河の吉河の替地として充行われた村の1つである。

 翌年暮れ氏真は武田信玄によって駿府に追われ、掛川城に入るが,徳川家康はこの機に
乗じて遠江に進攻し,当地は家康の支配に入る。

 同年のものと推定される12 月12日付徳川家康判物では鈴木重時・近藤康用・菅沼忠久の3人に同じく安堵されている(鈴木氏旧蔵文書/茨城県史史料中世1)。


〔近世〕小沢渡村

 江戸期~明治22年の村名。

 敷知都のうち。慶長6年からは浜松藩領。村高は,「元禄高帳」154石余,「天保郷帳」302石余、「旧高旧領」304石余。

 慶長年間の「浜松藩郷村帳」では小佐渡村と見え村高152石余、うち舟役1隻分5石
余・野銭1石6斗,反別は田方8町余・畑方13町余。

 慶長15年「浜松領御知行割」では高152石余(浜松市史史料編4〕。

 延宝5年「浜松町村帳」では高154石余,家数65(う ち役家54)。

 東海道舞坂宿の定助郷を勤める(浜松市史2)。

 元禄4年高塚川の漁業をめぐって高塚村と当村ほか3か村が川論を展開したが,裁許で
は,高塚村の漁権が保護されたのに対してほか3か村は藻草の入会採取権を得たにすぎな
かった。

 しかし,正徳2年当村は小網役を勤め、遠州灘沿岸では地引網や鰯の漁労も行われた(浜
松市史2)。 

 天保15年の漁船は4艘(東京都立大学所蔵水野家文書/浜松市史2)。

 文化6年紀伊国海士郡大河浦の孫左衛門の船(650石積)が清水湊から帰航する際に
当村海岸の浅瀬に乗り上げ民の救援を得て出帆した(渥美家文書/浜松市史2)

 江戸後期には遠州灘沿岸に小沢渡新田が開発された(浜松市史2)。

 寺社には臨済宗富春院・六所神社がある。

 また松の名木音羽松(小沢松・浜松の松)は八幡村にある八幡宮の神輿の御旅所であるという(旅篭町平右衛門記録/浜松市史史料編1・風土記伝)。

 この松は幕末の画家で渡辺華山にも師事した福田半香によって描かれたりしたが(浜松市史2),明治10年頃には枯死した(浜名郡誌)。

 明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称)同4年静岡県,浜松県を経て同9年再び静岡
県に所属。明治22年新津村の大字になる。


〔近代〕小沢渡 

 明治22~昭和26年の大字名。はじめ,新津村,昭和26年からは浜松市の大字。明
治24年の戸数112・人口622,厩18,船11。昭和26年小沢渡町となる。


〔近代〕小沢渡町

 昭和26年~現在の浜松市の町名。もとは大字小沢渡。

















☆「子どもの民俗学」大藤ゆき 草戸文化 1982年 ④【再掲載 2012.8】

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◇幼年期としつけ(2)

□手代わり

  祖父母 

 

□祖父母と孫 

 「年寄りっ子(ばばっこ)は三文安い」

 「じいさま育ちは人間があまい」

  幼児期-祖父母,少年期-父母
  
 

□父と子 

  親の働く姿をまねて見習う 


  思春期の頃から父親の役割

 

□手伝い 
    
 手伝いは、人がみんなと一緒に生きていくための基本的な生活習慣を身に付けさせてい
くことが必要

 

□ことわざとしつけ

 ことわざ = 耳で聞いてもすっと心に入ってくる耳の文芸


    |

 分かりやすい短い言葉の中に的確で痛切な意味を含め,しかもユーモアというかおかし
さ,笑いが含まれている 

 = 笑いの教育


※ 耳言葉 - ことわざには善悪二面性

※ 人生は一方的に決めつけられない
  
 

□おんぶとだっこ 

 負い紐・ネンネコ おんぶ 
   鎌倉室町時代 → 江戸中期以後一般化
   

 子守 = 一年契約の年季奉公 
      モリと赤ん坊はその後親子のつきあい 

モリとモリッコ  子どもを背負う
   
※ イヅミ・ユリカゴ
   
※ ダッコ






◇言葉と遊び  

□耳言葉 

 耳言葉とは? 
   メンコメンコ,オカタラマンチン,ウメ,テモチ,スカンスカン


 おさな言葉
   アンマ,ポンポン,タンタン


※ことばとこころ ~ 言葉をかけることの大切さ

 赤ちゃんの不安 - 一人で放っておかれること

 

□遊ばせ歌 

  イナイイナイバー,  ニンギニンギバー,  チョキチョクアババ

 

□遊び,手遊び

 

□遊び方 

  一人遊び, 軒遊び, 外遊び, 辻遊び





◇少年期から成人へ

□群れのしつけと自治

 子ども組 = 地域の年齢集団 正月道祖神祀り,二月初午,三月五月節句

   七夕,盆釜,十五夜,亥の子,村祭り



自治的行動


※ 子ども自身に任せるコツ
地の人


※三九郎仲間 

   信州ー道祖神信仰

三九郎仲間 7~15歳男子   14歳で親方・親玉・大将として行事主宰
  
 

□年中行事と子ども 

  年中行事と農事暦


  成木責め = 正月果物のなる木に談判して豊熟を誓わせる古風な呪法


  嫁祝い 
   「嫁の尻叩き」


  正月の訪問者


  公認されたいたずら
    十五夜


  だんごつき
    ハレの日のあいさつ イキミタマ
  
 

□性教育 - オバクレフンドシ 女の祝い(初潮) 

 

□成年式 

  一人前 

  現代の成人式 - 児やらい


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