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谷昌恒さんはこんなことを⑭-「ひとむれ」第6集 谷昌恒 評論社(7) / 「浜松の城と合戦」城郭遺産による街づくり協議会 サンライズ出版 2010年 ①【再掲載 2015.7】 [読書記録 教育]

「何よりも大切なことは私たちがいつも素直で柔和で寛容であること
~ 私たちの開かれた態度が相手の心を私たちの方に開かせることになる」






今回は、9月22日に続いて、わたしの教育ノートから、
「谷昌恒さんはこんなことを」の紹介 14回目です。




出版社の案内には、


「家庭からも地域からもはじき出された少年たち相手の教護院・北海道家庭学校の三代目
 校長として四半世紀。『焼け石に水かもしれない。でもね,そこに火傷をしている子が
 いるなら,やっぱり水をかけてやらなくては…』『心の扉は内側からしかひらかれない』
 『人の痛みを知ろうよ…』温かいまなざしで少年たちと共に生きる日々を語る。」


とあります。



今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「子育ては闘い  闘いの後に初めて深い理解があり救いがある」


・「教師が積み上げた勉強の量だけ子供たちの授業が深まる」


・「教えることは学ぶことだ」


・「政治とはお金の使い方」






<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト




☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。








☆谷昌恒さんはこんなことを⑭-「ひとむれ」第6集 谷昌恒 評論社(7)

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<心に残ること>

◇ある写真集を読んで

□写真集 『風のあしあと』黒田幸夫



□子育ては闘い

 嘗て一体であった母と子が身二つになり以後一日一日遠ざかっていく
  
 旅立ち = 愛着と自立の相克



※ 闘いの後に初めて深い理解があり救いがある






◇授業

□伊藤功一『魂にうったえる授業』

 教師が積み上げた勉強の量だけ子供たちの授業が深まる



教えることは学ぶことだ






◇映画を見る

『遠き落日』野口英世

相手のせいでないことを知っていてわざと相手を責める



 子供っぽいツッパリ、意地、こだわり、そんなものから一日も早く卒業できたらどんな
にか穏やかな人生が始まるだろうか…






◇内なる声を聞く

□政治とはお金の使い方

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 ※ 私たちも自分のお金の使い方によって私たちの生き方を示す


 
□ザアカイ - イエスによって内なる声を聞く






◇本を読もう

□岩波文庫


□田辺元『哲学通論』木村久夫氏の話

 読書は感動を共有し思いと願いを一つにすることができる






◇少年の自覚

 何よりも大切なことは私たちがいつも素直で柔和で寛容であること

~ 私たちの開かれた態度が相手の心を私たちの方に開かせることになる






















☆「浜松の城と合戦」城郭遺産による街づくり協議会 サンライズ出版 2010年 ①【再掲載 2015.7】

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◇戦国時代の遠江の城  中井均
  
□全国には3万から4万の城
   
 石垣のない土の城が多い~砦のような城


 
□全国の大字は6万6千
 
   → 2村に1つ、1村に1つの城

     

□9割以上が戦うことなく終わっている     


   
□一辺が30~50m位の小さな

- 数十人程度の軍事的な拠点については城としているが、数百の的が攻めてくると
   籠城などせず「自焼」して逃げた。



領地のステータス
     

   
□戦国時代の城は土からなるものであり石からなるものではない
 
  ~ 石垣未使用


   
□初の石垣使用は、天正4(1576)織田信長の安土城


   
□戦国時代
 
  → 山の土を削って平坦にする

山を削って平坦にするー曲輪 兵が駐屯できるところ 普請

削った土で曲輪縁辺部に土塁を築く



 土で作られた防御施設が今でも残されているのが戦国時代のおもしろさ


   
□静岡県
  669箇所確認 一県一千程度の城が確認




□村の城

  1村1城、2村1城 どんな山奥の十戸二十戸の村にも戦国時代の領主がいた

     
  しかし、後に改修を受けている

→ 注目は横地城(菊川市)戦国時代初期
  



□今川・徳川の抗争と武田信玄の遠江侵攻

元亀3年(1572)の武田信玄による遠江・三河侵攻戦は信濃・遠江間の街道を確保するこ
とが目的だった

 = 信濃からの増大な補給ルート


 → 城の改修  
    光明城、中尾生城、高根城


 家康は合戦を想定して 
     犬居城、社山城(豊岡村)、真田山城(森町)改修  



 天正3年(1575)長篠合戦で破れた武田勝頼はついに二俣城放棄
    

   
□高天神城(掛川市)の攻防戦
 
 小笠原長忠
   1560年 今川方から徳川方に     

  1571年 信玄に包囲されるも信玄退去

1574年 勝頼により攻められる → 落城

  1581年 家康による奪還戦


  曲輪の急斜面

   ~ 最も敵を寄せ付けないのは土塁でも堀切でもなく切崖





□最近の発掘調査から

 高根城(天竜区)  16世紀前中  奥山氏が最初に造った後、武田氏に移った


 諏訪原城(島田市)  丸馬出は武田流の築城  武田→家康



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