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キーワード「新津」⑪-「土のいろ」「新津村の地名伝説」(三影)(2)「西行さん」 / 「地域住民から福祉・教育関係者等への無理難題要求をどう読み解き対応するか」~イチャモン研究の到達点~  大阪大学教授 小野田正利 2008年 ③【再掲載 2015.10】 [読書記録 郷土]

今回は、10月20日に続いて、わたしの教育ノートから、
キーワード「新津」11回目の紹介です。


浜松で西行さんが生まれた?
おばあさんの語り口は、いかにもこの地域の言葉です。



鈴木実さんは、元新津小学校の教員。
この話が書かれたのは、半世紀以上前のことです。


真偽はともかくも、なんとものんびりとしていいなあと感じました。




もう一つ、再掲載となりますが、小野田正利さんの、
「地域住民から福祉・教育関係者等への無理難題要求をどう読み解き対応するか」~イチャモン
研究の到達点~ ③ を載せます。
支援もなく、孤軍奮闘、とにかく難しい状況になっています・・・。




<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト



☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」




ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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☆キーワード「新津」⑪-「土のいろ」「新津村の地名伝説」(三影)(2)より

◇西行さん           鈴木 実

 浜名郡新津村倉松に,九十近くのおばあさんがある。



 そのおばあさんの話によると,


「ちんちんしゃららと一条の杖をついて日本国中を歩きまはって」


うたがたいへんうまかった西行さんは,この倉松に生(ま)れたのだと言ってゐた。
 


「今から凡そ七十年前に,倉松字まつり川に西行さんの墓の跡があって,其処には松が一
 本たってゐた。跡といふのは田の中の周囲(まわり)五,六間ぐらいの島で,おしめがはってあっ
 た。西行さんは大へんうたがうまかったげな。それでこの倉松に来て死んで,ここに埋
 けたと言ふことだ。」


それから又,そのおばあさんは,まつり川についても説明して呉れた。


「もとは松振川,松振川といったさうで,或時,大へんお天気のよい時に何処からともの
 う,一羽の大きな鶴がまって来て,西行さんのお墓のそばで,小さな松を振り振り,何
 処に落(と)さうかと思ってゐたが,たうたうお墓のすぐそばに落(と)して,又どっ
 かにまって行ってしまった。つるが松を振って来たから松振り川と言ふのださうだ。そ
 の松も,わしらが少しは知ってゐるが,大きな松ではなかった。「松ふり」の「ふ」を
 ぬかしてしまって,今では「松り」「祭(り)」といって,お祭りの様な名になってしま
 った。今はもうその松もなく,みんな田んぼになってしまった。」


と,おばあさんは話してくれた。そこで私は聞いてみた。


「それなら生(ま)れたのはどこですか。」


「こんなうたがありますよ。
 西行の生(ま)れ故郷は堤村
 身のなれはては松振川ばた」


「新津村の堤ですか。」  


「さういうことですよ。」  


「どの辺りか知って居ますか。」


「その歌だけで他は何も知りませんよ。」


「…さんはいろいろの学問のことを知ってゐなさるから,西行さんのことを教えておくん
 なさい。」


と歯のない口をもぐもぐさせた。













☆「地域住民から福祉・教育関係者等への無理難題要求をどう読み解き対応するか」~イチャモン研究の到達点~  大阪大学教授 小野田正利 2008年 ③【再掲載 2015.10】

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(2)「ウチの子はこけません」


 高級住宅地とまではいいませんが、一戸建ての中流家庭の多い地域にある公立小学校で
こんなこともありました。


 運動場を走っていた子どもが転んで、額にちょっとした擦り傷をつくりました。


 よくある光景です。


 ただ、今の時代は保健室で手当てをするだけでは足りず、どこでなぜケガをしたのかを
親に連絡をすることが常になっています。


 それは親が知りたいという願望があるだけでなく、連絡がなかったことだけでトラブル
に発展していくことも稀ではないからです。



 電話に出られた母親はいきなり

「うちの子はこけません!こけるように育ててはいません。誰かに押されたのではないで
 すか?」

と。



 これには養護教諭もビックリで、二の句が告げない状態になったといいます。
  


 とんでもない応答のように思いますが、背景には「閉塞する子育て」があると思います。


 単に少子化ということだけでなく、他との関係の中で「わが子をどう育てるか」が難し
くなっていることです。


 父親は「子どもの世話はお前(母親)に任せたから間違いがないように」とプレッシャー
をかけます。


 母親は失敗のないように、細心の注意を払います。擦り傷を作ったこと自体さえも「落
ち度」として受け止める傾向がでてきますから、「責任はどこにあるのか」を問いただす
姿勢が強くなります。
  


 親の前で振舞う子どもの姿は、一面でしかありません。


 他の場面で、つまり同一世代の子どもたちが集う学校のような場所で見せる姿も、また
子どもの本当の姿です。



 子どもを多面的に見るチャンスが、いま急速に失われていますから、親は学校でのわが
子の姿が分かりにくいし、学校側も家庭でその子がどのように振舞っているかが見えない
部分かあります。



 家で極めて品行方正でも、ストレスのあまり学校では相当にやんちゃをする子であった
り、学校ではクラス全員が友達のような明るくひょうきんな子が、家庭では「友達がいる
のかしら」と思えるようなおとなしい子だったりすることもあります。
  


 だからこそ、学校と家庭の両方で見せる子どもの姿を確認しあうことが必要なわけです。



 その機会が失われつつあることから、行き違いが生まれ、やがて壁となり、学校と親が
「対立」していくようになることもあります。



 学校は、無節操で場当たり的な「教育改革」への対応で、体力(子どもと向き合う時間)
と体温(思いを受け止める感受性)を奪われています。



 保護者も、他の同世代の親だけではなく、善意の関係にある近所のおじちゃんや、おば
ちゃんとの関係が希薄になる中で、「子どもの様々な行動」をめぐって、また「わが子を
守ろう」として、他者との関係でトゲトゲしい物言いになることもあります。



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