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谷昌恒さんはこんなことを⑲(最終)-「ひとむれ」第6集 谷昌恒 評論社 1991年(12) / 「昭和30年代」 塩田潮 平凡社新書 2007年 ①【再掲載 2013.2】 [読書記録 教育]

今回は、12月2日に続いて、わたしの教育ノートから、
「谷昌恒さんはこんなことを」の紹介19回目 最終の紹介です。


19回にわたって細々と紹介してきましたが、
谷さんから多くのことを学ぶことができました。




出版社の案内には、


「家庭からも地域からもはじき出された少年たち相手の教護院・北海道家庭学校の三代目
 校長として四半世紀。『焼け石に水かもしれない。でもね,そこに火傷をしている子が
 いるなら,やっぱり水をかけてやらなくては…』『心の扉は内側からしかひらかれない』
 『人の痛みを知ろうよ…』温かいまなざしで少年たちと共に生きる日々を語る。」


とあります。



今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「怒るときは真剣に怒ってほしい。震え上がっている子供に父親の胸の痛みを隣人
  がそっと告げる。そうありたい。」


・「人間は素直さが何より」


・「私たちはしきりに子供たちに自己主張を奨め、実はこの臆病犬ばかりを育ててきたの
  ではないか」


・「人の喜びを我が喜びとすることが至難
~ この人生、人の喜びを素直に喜ぶことができたら盤石」






もう一つ、再掲載となりますが、塩田潮さんの
「昭和30年代」①を載せます。
わたしが生まれた昭和30年代、ほんのわずか残っている記憶を探りました。





<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト




☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。








☆谷昌恒さんはこんなことを⑲(最終)-「ひとむれ」第6集 谷昌恒 評論社 1991年(12)

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◇社会全体の教育力

 85名の定員 年間約40人の出入り 在校は平均約2年


 課題 「家族関係をよくする」


 ※ 怒るときは真剣に怒ってほしい。震え上がっている子供に父親の胸の痛みを隣
  人がそっと告げる。そうありたい。



◇人間は一人一人違う

 子供の間の友情を信じる 
 
  ~ 世の中は不公平で不平等にできている



 この世に生きていくことはその不平等に耐えていくこと



 ※ 人間は一人一人違うという事実をそのまま受け入れること

 ※ 人間は素直さが何より
  

 自己主張 
   私たちはしきりに子供たちに自己主張を奨め、実はこの臆病犬ばかりを育ててきた
  のではないか


 ニーバー(米国・心理学者) 
・変えることのできないものを素直に受け入れる心の落ち着きがほしい

・変えることのできないものは、敢然と変えていく勇気がほしい

・変えることのできるものを、できないものとを見分ける懸命さがほしい

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 ※「天国についてのすべて」
天国は平等ではありません。平等の世界は退屈です。

    振り仰ぐことも励むこともない世界では死の退屈が支配します






◇人の喜び、我が喜び
  
 生活が陶冶する
   ペスタロッチが教え留岡幸助が敷衍した原理

生活の実体、協働し共同する生活の事実


 教育とは感化すること


 善意は冷徹な論理にまことに弱い
  

 人の喜びを我が喜びとすることが至難
 ~ この人生、人の喜びを素直に喜ぶことができたら盤石

私たちの失意、焦燥、不平の多くは人の喜びと関わっているから
  

※報徳主義
 「私たちは天と地と人の、有り余る恵みを受けている。私たちは全力を尽くして、そ
  の万分の一にも報いなければならない」














☆「昭和30年代」 塩田潮 平凡社新書 2007年 ①【再掲載 2013.2】

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◇昭和34年春の4つの出来事

□1955年体制 
  
 昭和30.11.15 自由民主党 対 左右社会党の統一

 

□もはや戦後ではない 
  
 植木等と石原兄弟 S31.1芥川賞
   
 

□ピークの昭和39年 
  
 池田勇人の広島演説 - 所得倍増

 

□ミッチーブーム 
  
 東海道新幹線起工式 

 東京オリンピック招致決定 - 東龍太郎都知事1959年


 
□黄金の1960年代 
  
 対決の岸 → 寛容(?=ハマコウ)と忍耐の池田 経済にシフト

 「黄金時代」の4つの代表選手

 昭和34年 
  ① 池田所得倍増論 

  ② 皇太子成婚 

③ 東海道新幹線起工

  ④ 東京オリンピック招致 






◇池田勇人の選択 所得倍増という実験

□月給二倍論 
  
 → 「月給二倍」から「所得倍増」へ 
    中山伊知郎の賃金倍提唱

 

□2つの所得倍増プラン 
  
 不運から強運へ 

 池田前半生は不運 当選一回で蔵相

 

□所得倍増政策の産みの親 
  
 下村治 マルクス経済学では説明がつかない

 

□下村と「在庫論争」 
  
 高橋亀吉 
   → 木曜会の「七人の侍」経済で日本を変える





◇プリンス明仁の恋-「心の師」小泉信三

□「皇室に新しい血を」 
  
 小泉信三(東宮職御教育参与)

 

□軽井沢のテニス 
  
 S33.7.23葉山 天皇2人の結婚に同意

 

□「仲人役」小泉信三  
  
 テニス仲間郁沃会
   8.15天皇のゴーサイン

 東宮職御教育参与 小泉信三 S21.4.1~
S20.5.25 空襲で顔面と右手に大やけど 6ヶ月入院

両まぶたは動かなくなった
寝るときは手ぬぐいで目隠し
 
    
 近代経済学の立場からマルクス批判

→ スター学者 
     昭和天皇が小泉を望む
昭和天皇は皇太子を小泉の手に託した

 

□「アメリカの民主主義」に負けた

 小泉信三 明治21.5.4 芝区三田生

 父・信吉
   紀州藩下級武士→明治20慶應義塾塾長
 
 6歳で父を失う
   → 母親共々諭吉に引き取られ邸に移り住む

 大卒後、独・英に3年余留学
  → 27歳で慶大教授

 昭和8年 45歳で塾長

 

□皇室にとっての羅針盤

 文部大臣を蹴って東宮職御教育参与に就任

S22.4.27 初めて皇太子と会った

 ※ 戦争で一人息子の小泉信吉を失い、自身も重傷を負いながら、なお無私の心で皇室
  に尽くそうとした

 整えられた結婚 恋愛結婚問題 
  小泉信三「恋愛ではないがアレンジド・マレッジだ」

 菊のカーテンの向こう側 
  学習院・常磐会の反対 → 婚約成立後は「美智子妃いじめ」

 美智子妃の「心の師」


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