「ユーミン・陽水からみゆきまで」富沢一誠 廣済堂新書 2015年 ② /「心からのごめんなさいへ」品川裕香 中央法規 2005年 前半【再掲載 2019.9】 [読書記録 一般]
今回は、1月12日に続いて、富沢一誠さんの
「ユーミン・陽水からみゆきまで」2回目の紹介です。
今回は、「吉田拓郎」「井上陽水」の項の要約です。
出版社の案内には
「かつてフォーク・ニューミュージックの時代があった。反体制の英雄・岡林信康の時代、
若者を熱狂させた吉田拓郎、かぐや姫の時代、『ニューミュージック』という言葉を生
んだユーミン・陽水の時代。さらには、さだまさし、アリス、松山千春、小田和正…そ
して今絶大な存在感を見せる中島みゆき。ユーミンや陽水のデビューに立会い、『彼ら
とともに生きてきた』と語る富澤一誠氏が『あの時代』を『あの熱気』満載で綴る。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「『反体制の英雄』と『若者の英雄』」
・「岡林の連帯感と拓郎の共感」
・「拓郎 - 河合楽器に内定していたがレコード化の話」
→ 河合楽器? もしかしたら浜松にも?
・「『甘くせつない』井上陽水の罠」
・「拓郎はサドで陽水はマゾ」
もう一つ、再掲載となりますが、品川裕香さんの
「心からのごめんなさいへ」前半を載せます。
教育の大切さを改めて思います。
奈良少年刑務所は旧奈良監獄。
現存する日本最古の監獄建築として知られています。
2024年に星野リゾートによって、重要文化財を生かしたホテルに生まれ変わるそうです。
コロナ感染拡大の影響はないのでしょうか。
なお建物の保存運動の中心になったのがジャズピアニストの山下洋輔さん。
奈良監獄を設計した山下啓次郎のお孫さんにあたるそうです。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「ユーミン・陽水からみゆきまで」富沢一誠 廣済堂新書 2015年 ②
◇「若者の英雄」吉田拓郎のタブー破り
□新たなるリーダーの誕生
1971(昭和46)年 第3回中津川(全日本)フォークジャンボリー
フォークの神様 岡林信康 最後の表舞台
↑
武蔵野タンポポ団の山本コウタロー 文章にまとめた
ソルティシュガー解散後、高田渡らと武蔵野タンポポ団結成
□「反体制の英雄」と「若者の英雄」
ベトナム戦争を一つの契機として関西フォークの歴史は始まった
70年安保を境にして、外に向いていた目(意識)が内に向かい始めた
→ 自己主張の歌
岡林のフォーク
「今俺たちが歌わねばならない」 = わたしたちの歌 集団
↑↓
拓郎のフォーク
「俺は歌いたいから歌うんだ」 = わたしの歌 個人
岡林の連帯感と拓郎の共感
□「人間らしく」より「自分のやりたいように」生きる
1946(S21).4.5鹿児島県生 → 小5で広島
兄のいた立教大学を目指すが、失敗し広島商科大学に進学
「ザ・バチュラーズ」でドラムス
広島フォーク村
拓郎
- 河合楽器に内定していたがレコード化の話
レコーディング エレックレコード
エレックレコードの契約社員という形
→ 全国を回る 身体に鞭当てて
□「プロポーズに挑発」というタブー破り
1972(S47)
1月「結婚しようよ」
7月「旅の宿」シングルチャートトップ
生き様と歌が一致していた
1972.6.26
軽井沢で六文銭のメンバー四角桂子と結婚式
パックインミュージックで放送
□破り続けた芸能界のタブー
テレビ出演拒否
「ゴールデン歌謡速報」(司会:井上順 由紀さおり)
30分間独占
マスコミへの取材拒否
富澤一誠 フォーク評論家に
拓郎が歌手を「芸能人」から「文化人」へと導いた
フォーク黄金ブームへ 1972~
あがた森魚 泉谷しげる 五輪真弓 古井戸 ガロ 佐藤公彦 井上陽水
◇「甘くせつない」井上陽水の罠
□メッセージソングの時代に現れた「甘くせつない」歌
1972年
吉田拓郎 「結婚しようよ」「旅の宿」
泉谷しげる 「春夏秋冬」
あがた森魚 「赤色エレジー」
古井戸 「さなえちゃん」
※ しかし陽水は甘くせつない歌(ポップスのリズミカルな歌)
□「頭がよかったら歌手にはなっていない」
井上陽水(あざみ) 1948(S23)8.30福岡県田川郡糸田町歯科医
西田川高校 3年間浪人 歯科医を諦めて
「カントレマントレ」福岡でヒット
□相手にされなかった夢を語る歌
1971.10
「夢の中」で現れた自己主張
1973.3.1「夢の中へ」 1973.7「心もよう」
拓郎はサドで陽水はマゾ
☆「心からのごめんなさいへ」品川裕香 中央法規 2005年 前半【再掲載 2019.9】
<出版社の案内>
人の痛みや気持ちなんか、全然わからない。わかりたくもない。そう平然と言い放ってい
た非行少年たちが自分の犯した罪を自覚し、猛省し、変わっていく…。教育者や親の視察
・講演依頼が全国から殺到する宇治少年院。その指導の実態と関係者の思いが今、初めて
明らかにされる。
◇宇治少年院の日々
「宇治方式」
宇治少年院 … 黄檗駅より徒歩15分
最初の行動訓練
バランスがとれずしっかり立てない少年達
具体的指示が少年達の理解を促す
宇治少年院
平成17年1月末現在 149名
公開ワークショップ
スキル・トレーニング
◇ぼくは少年院に入った
□タダシの場合(ADHD)
漢字が覚えられない,忘れ物が多い,やられる前にやれ
単独室の効果
→ 自分にも将来があることを知らなかった
「自由にしゃべらないことの効果」
大縄跳びの成功
<行動変容のきっかけ>
① 自主的に(自ら進んで)
② 先生の全体指導によって
③ 人の失敗を見て
④ 先生に1日注意を受けて
⑤ 単独寮に入って
⑥ 処分によって
⑦ 出席停止でみんなの幸せを壊して
□ナオヤの場合
休みの意味が分からない
どうせ自分は変わらない
分数の計算が分かった
健全な大人になると決めた
□イナモトの場合
窃盗で再逮捕
少年鑑別所から宇治少年院へ
信頼する先生を裏切った自分
自分の将来なんて見えない
徹底改革が始まった宇治少年院
私語厳禁
イナモト君の葛藤
前向きな話題での話し合い
思考実験と重なる日々
心からのごめんなさいとありがとう
信頼できる人がいること,そういう人間になること
◇キーマン達とその特徴
注目を浴び始めた「発達障害と非行」
一般的な少年鑑別所の視点と宇治少年院
日本LD学会での発表に驚いた参加者達
「大事なことは深い受容だ」
なぜ矯正教育は発達障害の勉強を始めたのか
向井義広氏
法務教官・向井義広と発達障害との出会い
茨城農芸学院での最初の実践
ライフコース論
法務教官と法務技官(教育らしくない)
□非行少年の中に発達障害をもった子どもがいる?
LD
~ 忘れ物が多い,人の話が聞けない,じっとできない,ルールが分からない
友達関係を築けない,読み書きが苦手,九九が覚えられない
□イバノウの反省と共に大阪矯正管区に異動になった向井
竹田契一大阪教育大学教授(当時)
心理的なアプローチの限界がLD/ADHD支援に駆り立てる
板垣浪速少年院長と共に日本生活指導学会へ
浅野誠(沖縄大)のワークショップ
□浅野型ワークショップとの出会い
ランドマークスクール(ボストン郊外 特異性LDのための学校)
アメリカ中から生徒
オープン型ワークショップ LD(視覚型,聴覚型,モータースキル型)
□民主的な集団をつくることによって効果的な指導を目指した板垣院長
インタパーソナルな関係の中でしかリアリティを持った社会性は身に付かない
□浅野教授からヒントを得た浪速少年院での取り組み
LD ADHD ~ ショートメモリー(短期記憶)の弱い子が多い
□ふざけまくる少年達を目前に原点を見直す
□向井が指導した教育環境作りのための構造化戦略
統制・参加・委任の3段階シリーズ
「ユーミン・陽水からみゆきまで」2回目の紹介です。
今回は、「吉田拓郎」「井上陽水」の項の要約です。
出版社の案内には
「かつてフォーク・ニューミュージックの時代があった。反体制の英雄・岡林信康の時代、
若者を熱狂させた吉田拓郎、かぐや姫の時代、『ニューミュージック』という言葉を生
んだユーミン・陽水の時代。さらには、さだまさし、アリス、松山千春、小田和正…そ
して今絶大な存在感を見せる中島みゆき。ユーミンや陽水のデビューに立会い、『彼ら
とともに生きてきた』と語る富澤一誠氏が『あの時代』を『あの熱気』満載で綴る。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「『反体制の英雄』と『若者の英雄』」
・「岡林の連帯感と拓郎の共感」
・「拓郎 - 河合楽器に内定していたがレコード化の話」
→ 河合楽器? もしかしたら浜松にも?
・「『甘くせつない』井上陽水の罠」
・「拓郎はサドで陽水はマゾ」
もう一つ、再掲載となりますが、品川裕香さんの
「心からのごめんなさいへ」前半を載せます。
教育の大切さを改めて思います。
奈良少年刑務所は旧奈良監獄。
現存する日本最古の監獄建築として知られています。
2024年に星野リゾートによって、重要文化財を生かしたホテルに生まれ変わるそうです。
コロナ感染拡大の影響はないのでしょうか。
なお建物の保存運動の中心になったのがジャズピアニストの山下洋輔さん。
奈良監獄を設計した山下啓次郎のお孫さんにあたるそうです。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「ユーミン・陽水からみゆきまで」富沢一誠 廣済堂新書 2015年 ②
◇「若者の英雄」吉田拓郎のタブー破り
□新たなるリーダーの誕生
1971(昭和46)年 第3回中津川(全日本)フォークジャンボリー
フォークの神様 岡林信康 最後の表舞台
↑
武蔵野タンポポ団の山本コウタロー 文章にまとめた
ソルティシュガー解散後、高田渡らと武蔵野タンポポ団結成
□「反体制の英雄」と「若者の英雄」
ベトナム戦争を一つの契機として関西フォークの歴史は始まった
70年安保を境にして、外に向いていた目(意識)が内に向かい始めた
→ 自己主張の歌
岡林のフォーク
「今俺たちが歌わねばならない」 = わたしたちの歌 集団
↑↓
拓郎のフォーク
「俺は歌いたいから歌うんだ」 = わたしの歌 個人
岡林の連帯感と拓郎の共感
□「人間らしく」より「自分のやりたいように」生きる
1946(S21).4.5鹿児島県生 → 小5で広島
兄のいた立教大学を目指すが、失敗し広島商科大学に進学
「ザ・バチュラーズ」でドラムス
広島フォーク村
拓郎
- 河合楽器に内定していたがレコード化の話
レコーディング エレックレコード
エレックレコードの契約社員という形
→ 全国を回る 身体に鞭当てて
□「プロポーズに挑発」というタブー破り
1972(S47)
1月「結婚しようよ」
7月「旅の宿」シングルチャートトップ
生き様と歌が一致していた
1972.6.26
軽井沢で六文銭のメンバー四角桂子と結婚式
パックインミュージックで放送
□破り続けた芸能界のタブー
テレビ出演拒否
「ゴールデン歌謡速報」(司会:井上順 由紀さおり)
30分間独占
マスコミへの取材拒否
富澤一誠 フォーク評論家に
拓郎が歌手を「芸能人」から「文化人」へと導いた
フォーク黄金ブームへ 1972~
あがた森魚 泉谷しげる 五輪真弓 古井戸 ガロ 佐藤公彦 井上陽水
◇「甘くせつない」井上陽水の罠
□メッセージソングの時代に現れた「甘くせつない」歌
1972年
吉田拓郎 「結婚しようよ」「旅の宿」
泉谷しげる 「春夏秋冬」
あがた森魚 「赤色エレジー」
古井戸 「さなえちゃん」
※ しかし陽水は甘くせつない歌(ポップスのリズミカルな歌)
□「頭がよかったら歌手にはなっていない」
井上陽水(あざみ) 1948(S23)8.30福岡県田川郡糸田町歯科医
西田川高校 3年間浪人 歯科医を諦めて
「カントレマントレ」福岡でヒット
□相手にされなかった夢を語る歌
1971.10
「夢の中」で現れた自己主張
1973.3.1「夢の中へ」 1973.7「心もよう」
拓郎はサドで陽水はマゾ
☆「心からのごめんなさいへ」品川裕香 中央法規 2005年 前半【再掲載 2019.9】
<出版社の案内>
人の痛みや気持ちなんか、全然わからない。わかりたくもない。そう平然と言い放ってい
た非行少年たちが自分の犯した罪を自覚し、猛省し、変わっていく…。教育者や親の視察
・講演依頼が全国から殺到する宇治少年院。その指導の実態と関係者の思いが今、初めて
明らかにされる。
◇宇治少年院の日々
「宇治方式」
宇治少年院 … 黄檗駅より徒歩15分
最初の行動訓練
バランスがとれずしっかり立てない少年達
具体的指示が少年達の理解を促す
宇治少年院
平成17年1月末現在 149名
公開ワークショップ
スキル・トレーニング
◇ぼくは少年院に入った
□タダシの場合(ADHD)
漢字が覚えられない,忘れ物が多い,やられる前にやれ
単独室の効果
→ 自分にも将来があることを知らなかった
「自由にしゃべらないことの効果」
大縄跳びの成功
<行動変容のきっかけ>
① 自主的に(自ら進んで)
② 先生の全体指導によって
③ 人の失敗を見て
④ 先生に1日注意を受けて
⑤ 単独寮に入って
⑥ 処分によって
⑦ 出席停止でみんなの幸せを壊して
□ナオヤの場合
休みの意味が分からない
どうせ自分は変わらない
分数の計算が分かった
健全な大人になると決めた
□イナモトの場合
窃盗で再逮捕
少年鑑別所から宇治少年院へ
信頼する先生を裏切った自分
自分の将来なんて見えない
徹底改革が始まった宇治少年院
私語厳禁
イナモト君の葛藤
前向きな話題での話し合い
思考実験と重なる日々
心からのごめんなさいとありがとう
信頼できる人がいること,そういう人間になること
◇キーマン達とその特徴
注目を浴び始めた「発達障害と非行」
一般的な少年鑑別所の視点と宇治少年院
日本LD学会での発表に驚いた参加者達
「大事なことは深い受容だ」
なぜ矯正教育は発達障害の勉強を始めたのか
向井義広氏
法務教官・向井義広と発達障害との出会い
茨城農芸学院での最初の実践
ライフコース論
法務教官と法務技官(教育らしくない)
□非行少年の中に発達障害をもった子どもがいる?
LD
~ 忘れ物が多い,人の話が聞けない,じっとできない,ルールが分からない
友達関係を築けない,読み書きが苦手,九九が覚えられない
□イバノウの反省と共に大阪矯正管区に異動になった向井
竹田契一大阪教育大学教授(当時)
心理的なアプローチの限界がLD/ADHD支援に駆り立てる
板垣浪速少年院長と共に日本生活指導学会へ
浅野誠(沖縄大)のワークショップ
□浅野型ワークショップとの出会い
ランドマークスクール(ボストン郊外 特異性LDのための学校)
アメリカ中から生徒
オープン型ワークショップ LD(視覚型,聴覚型,モータースキル型)
□民主的な集団をつくることによって効果的な指導を目指した板垣院長
インタパーソナルな関係の中でしかリアリティを持った社会性は身に付かない
□浅野教授からヒントを得た浪速少年院での取り組み
LD ADHD ~ ショートメモリー(短期記憶)の弱い子が多い
□ふざけまくる少年達を目前に原点を見直す
□向井が指導した教育環境作りのための構造化戦略
統制・参加・委任の3段階シリーズ