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戸田唯巳さんはこんなことを ③ /「遠州っ子」ひくまの出版 1980年【再掲載 2012.12】 [読書記録 教育]

今回は、1月29日に続いて、わたしの「教育ノート(要約)」から
「戸田唯巳さんはこんなことを」の紹介 3回目です。

戸田唯巳さんは、教育界では知られた教育実践者です。
多数の御著書から、わたしは、たくさんのことを教わりました。


今回紹介する『子どもの求めているもの』は1977年に出版された本です。


出版社の案内には、


「こんなことがしたい,こんなにしてほしい,という子どものこころの願いを浮き彫りし,
 その願いに応えてやることの大切さを親や教師に訴える。」


とあります。


今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「母親も教師ももっと無心に話を聞かせてやらなければならない」


・「小さな子どもには具体的な表現が大切」


・「手伝わせる手を借りるというのではなく,家族の一員としての分担をきちんとさせる
 構えが苦情を言うより前に必要」


・「『くどくど言うな』分かったかわかりましたでよい」



もう一つ、再掲載となりますが、およそ40年前に、ひくまの出版から出された
「遠州っ子」を載せます。
「浜松まつり」の変遷、「土のいろ」誌のことがよくわかります。



<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」




ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。





☆戸田唯巳さんはこんなことを ③



◇「子どもの求めているもの」明治図書 1977年 (1)
 
□のけものにしない

 夫婦げんか

 … のけ者にしない 安心感を

「親はもっと素直でなければならない。子供に素直さを求める前に,まず自分が素直であ
 りたい。その素直さが,子どもを安心させる一言を生むもとになる。しかし、それは,
 子供に素直さを求めるほどには,易しくはなさそうである。」
 


□お話が聞きたい

 母親も教師ももっと無心に話を聞かせてやらなければならない

 - 楽しそうに
 


□お母さんの弁当

 小さな子どもには具体的な表現が大切



 弁当は母親の心を伝える
◎ 黙っていても忘れたようにしていても親と子の間に通い合うものがきっとある。   
              |

以前の子どもにはそれが毎日あった
今の子どもにはそれを味わう機会が少なくなった



◎弁当がなくなっても親の愛情には変わりがないが子どもに分からなければしょうがない

              |

 変わる何かがあるか?
<弁当・繕い・継ぎ当て> = 欠けてゆくもの

 具体的な表現の手だてが必要
 


□わたしにさせてほしい

 小1・2 
  「余計なことをするからよ」
  「変なことばかりしたがる」



 苦情 
  小4 「子どもが家のことをしない」

 子ども
「怒られてもいい。大声を浴びせられてもいい。その時はどんなに言われようと、されよ
 うとそれはいい。けれども,わたしはしたい,してみたいんだ。少しずつでもさせてほ
 しい。それだけは奪わないでほしい。」


     
 ◎ 子どもがしないのか親がさせないのか

「したいしてみたい」という子の欲を親自らが摘んでしまった



※ 手伝わせる手を借りるというのではなく,家族の一員としての分担をきちんとさせる
 構えが苦情を言うより前に必要

 

□びくびくしないでほしい

 「よい話し相手,相談相手になる」

 = 構えない 
   
 

□ものを書く時間

 朝の10分間で
  ◎黒板に質問

 

□二つのうそ

「先生は先生だけでない 地域が友達が先生だ」

 

□黒板で質問

 大きな字で「お母さんの留守の時、茶碗を割ってしまったので…」

 → 続きを求める

 
□いじめられたくない

「そのことを叱れ」

「くどくど言うな」分かったかわかりましたでよい











☆「遠州っ子」ひくまの出版 1980年【再掲載 2012.12】

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◇ふるさと賛歌 鎌田久子(成城大教授) 

天竜川沿いの村生まれ 



◇鈴木幸作物語・明治の遠州っ子たち  御手洗清

成子町 ヤマヤ商店 初代・鈴木幸作

鈴木幸作 
  安政2(1855)年9.2 白羽生 
  
  父・弥助 → 成子町へ

弥助の「ヤ」→ヤマヤ 

  幸作18才で家督を譲られる 明治5.11

資産 成子町の店,醤油工場,負債6千円

※(「浜納豆」で知られます。わたしは大好きです。-ハマコウ註)
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◇中村陸平物語

 中村陸平物語 天神町 
 
  中村陸平 明治7(1874)年8.9 天神町100番地



◇椿姫と凧(浜松まつりの-ハマコウ註)とわたし  山崎源一

飯尾豊前守の墓 
   お田鶴の方  
   
   永禄11.12.24. 18人の侍女と共に
  
 明治43年 
   大米屋旅館・鶴見信平町長 
   
    東伊場鉄工場建設埋め立て地5万坪会場 


 明治44年7月 市制 
   名優森三之助が共に太鼓 笛 → お囃子に 


 明治44年
   浜松歩兵第67連隊長・高野大佐 
   
   進軍ラッパ + 合戦 5日間


 大正期   竹山平八郎 5/1~5/5正式に


 昭和4年  中村陸平市長 
   野口・八幡に御殿屋台 700円


 昭和5年  特別凧揚げ会


 昭和13年~ 中止


 昭和22年 旧浜松師範グラウンドで復活 30余町


 昭和23年 中田島にて


 昭和25年 凧揚げ会 
   
     → 浜松まつり・中田島で

     → 和地山公園で


 昭和38年 5/3~5/5の3日間に 中田島で(現在も行われている中田島海岸)



◇幻の土俗・伝説土俗誌「土のいろ」のことなど  渥美実

大正デモクラシーの中から

飯尾哲爾
   高林の飯尾家生 浜松中学(5番で卒) → 師範

浜松子ども協会を作った → 伝説・童話の語り聞かせ

   中道朔爾 - 綴り方雑誌「花火」  木下恵介の文も


 開明堂から青年雑誌

   ~ 主宰して柳田国男講演会 於:元城小の国光館

    飯尾哲爾参加し,終了後,大米屋旅館に柳田を訪ねた

  ※ 郷土民俗誌「土のいろ」発刊について語り,柳田先生は「やるなら十年はやりな
   さい。わたしも応援しよう」

 
 同人に 中道朔爾  
      元城小 → 積志小「遠江積志村民俗誌」
日本民俗体系・第5巻

    
 久保田閲次 紙芝居活動

  
 大正12年 
   野口雨情の講演会も 
   
   元城小・国光館

宿舎・浜松駅前 大米屋旅館


※「土のいろ」
 
  飯尾氏命名 

  表紙・茶紙 ガリ版・飯尾氏一人で印刷

  色刷りも(凧会) 100~150部

  柳田国男 - 「蟷螂考」カマキリ呼称寄稿



◇浜松子供協会と信行社のこと 吉沢純道(法林寺住職)

信行社 我を捨て新たによみかえる法を説く団体

| 明治30年代~ 童話会

「浜松子供協会」
木全大孝(大厳寺) 渥美実 久保田閲次



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