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「源泉-あとがきにかえて」鈴木秀子 - 『仏教・キリスト教・死に方・生き方』玄侑宗久・鈴木秀子 講談社α文庫 2005年 より /「学校文化 その源流と課題」荒巻正六 福武書店 1990年 ②【再掲載 2012.5】 [読書記録 宗教]

今回は、鈴木秀子さんの
「源泉-あとがきにかえて」
(『仏教・キリスト教・死に方・生き方』玄侑宗久・鈴木秀子 講談社α文庫 2005年 )
の紹介です。


玄侑宗久さんとの対談の本、『仏教・キリスト教・死に方・生き方』のあとがきです。

後書きを見ただけで、本書を読みたくなります。

少年の話は、幾度か目にしたことがありますが、見事なあとがきだと感じました。




出版社の案内には


「泣いて笑ってやさしくなれる宗教&人生入門。異なる宗教に生きる2人が心をこめて贈る、 『死』と向き合い、『生』を充実させる智慧」


とあります。






もう一つ、再掲載となりますが、荒巻正六さんの
「学校文化 その源流と課題」を載せます。
学校文化の始まりを知ることができます。
「雀の巣立ち」「ボラの網越し」は、明治時代の運動会種目名ですが、
どのような種目か想像できるでしょうか。





<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」




ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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☆「源泉-あとがきにかえて」鈴木秀子 - 『仏教・キリスト教・死に方・生き方』玄侑宗久・鈴木秀子 講談社α文庫 2005年 より

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 この対談の直後,アメリカで聞いた話を鮮明に思い出した。


 それは,小学5年生の少年と受け持ちの女の先生の話である。










 先生はクラスの子どもたちに向かってよく言っていた。


「みなを平等に愛している」


と。



 しかし,心のなかではもう一つの声が響いていた。


「みな同じように愛するなんて不可能。


 特にあの一人の男の子は服装が汚いし,しつけもなっていない。だらしがないうえ,無気
力で勉強する意欲がない。あの子を見るたびにイライラしてしまう」


 5年生の中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入することになった。


 その後,少年の1年生からの記録が目にとまった。

「ほがらかで,友達が大好きで,人にも親切。勉強もよくし,きちんとしていて,優秀で将
 来が期待される」

と記されている。



「これは間違いだ。ほかの子の記録に違いない」

と先生は考えた。



 2年生になると

「母親が病気で,世話をしなければならず,学校に時々遅刻する」

と書かれてあった。



 3年生では

「母親の病気が悪くなり,疲れていて,クラスでも居眠りする」

とあった。



 3年生の後半の記録には

「母親が死亡。希望を失って悲しんでいる」

とあり,


4年になると

「父は生きる意欲を失い,アルコール依存性となり,子どもに暴力を振るう」

とあった。




 この記録を通して読んだとき,先生の胸に痛みが走った。


 クズと決めつけていた子が,突然深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前
に現れたのである。


 今まで目の前に見てきた世界が音をたてて崩れ,考えもしなかった世界が現実に存在して
いることに気づかされたのであった。


 先生にとって目の開かれた一瞬でもあった。
 




 その日の放課後,少年に声をかけた。


「先生はこれから教室で夕方まで仕事をするから,よかったらあなたも教室で勉強をしてい
 ったら?わからないところも教えてあげるから」
 

 少年は初めて笑顔を見せた。


 それから,毎日自分の机で熱心に予習復習を続けた。


 きちんと鉛筆を持っている。


 先生は

「何も言わずに一緒にいるだけでいいんだ」

と感じた。


 彼が教室で初めて手をあげて答えたとき,先生に大きな喜びがわき起こった。


 少年は自信を持ち始めていた。



 クリスマスの午後,学校は休みだったが,先生は気になって教室に行ってみた。


 いつもと同じように勉強していた少年は先生を見つけると飛んできて,しわくちやの紙に,
よれよれの紐で縛った小さな包みを先生の胸に押しつけた。

彼からのクリスマスプレゼントであった。
 


 家に帰って開けてみると小さな香水の瓶だった。


 これはきっと亡くなったお母さんが使っていた香水に違いないと感じた先生は,香水を一
滴つけて,日暮れ時に少年の家を訪ねていった。


 想像以上に汚く,雑然としている部屋で,少年はしょんぼりと本を読んでいた。


 先生が戸口に立つと驚いて飛んできて,先生の胸に顔をうずめて叫んだ。


 「ああ,お母さんのにおい! 今日はすてきなクリスマスだ」


 クリスマスの飾り一つない部屋だった。


 この少年に特に目をかけてくれるようにと頼み,先生は担任を6年生の受け持ちにゆずっ
た。



 小学校を卒業するとき,少年から一通のカードが届いた。


「先生は僕のお母さんのようです。そして,今までに出逢ったなかでいちばんすばらしい先
 生でした」


 それから6年後,先生のもとにまた一通のカードが送られてきた。


 次のように記されていた。


「明日は高校の卒業式です。先生,僕は5年生のときに先生に担任をしてもらって,とても
 幸せでした。教室に残って先生と一緒に勉強させてもらって,とてもうれしかったです。
 そのおかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」


 十年の年月を経て,またカードが届いた。


「先生は僕にとって最高の先生でした。先生は僕を人間としてよみがえらせてくださいまし
 た。生き返らせてくれました。今,僕は医者としてたくさんの人々の痛みや苦しみに直面
 しています。
 僕は父から叩かれたとき,今の患者と同じ痛みを感じたものです。この患者がどんなに背
 中が痛いか,どんなに頭が痛いかわかるのです。
 僕はよく5年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくだ
 さった先生を神さまのように感じます。大人になり,医者になった僕にとって,最高の先
 生はは5年生のとき担任してくださった先生です」



 その一年後,さらにもう一通,カードが届いた。結婚式の招待状であった。


 「母の席に坐ってください」


と一行,書き添えられていた。



 披露宴のとき,医師になったかつての少年は先生を「母以上の方」とみなに紹介し,先生
を抱くと,「ああ,ほんとうにお母さんのにおいがする!」とつぶやいた。


 先生は長い年月,蒸発しないように,大切に保存してきた香水の最後の一滴をつけて結婚
式に出席したのだった。










 対談の聞,私は不思議な体験をした。


 耳を傾け,言葉を出している問に,小さな水の流れをたどりながら,ふと気づくと清水の
わき出る源泉が目の前にある,というような体験であった。


 心の深みにいざなわれ,行く手がわからぬままに流れに乗って地下水をたどっていくと,
深い底から差し出る光に出逢うのであった。


「何か起こっているのだろう」


と思いをめぐらしたとき,対談中の玄侑氏の坐禅についての言葉が浮かんできた。


「坐禅の場合は,わざわざ焦点を二つに問時に合わせちやう方法もあるんですよ。要するに,
 目が見ている。目を開いているわけです。瞑想ではふつう,目を閉じるでしょう。でも坐
 禅の場合は,すみやかに瞑想状態に入るために目を利用する。目が開いていれば,ふつう
 は一点を凝視しますよね。それは,常に思考できる状態なわけです。ところが二点を同時
 に見たとたん,思考できなくなる。だから,目線の向かう中心点と,視野の輪郭を同時に
 意識する。
 この坐禅を続けていると,脳内にβ-エンドルフィンが出て,法悦を味わい,やめられな
 くなる」
 

 その後,日常で,私かほかの人と「ともにいる」という感じをもつときは,かすかながら,この坐禅の境地につながっているらしい。


 目に見える世界は厳然としてありながら,その現実とともに,その奥にさらに動かしがた
い現実が存在しているという感覚を味わう。


 そんなとき,私が改めて思い出すのは,5年生の担任であった先生の目が聞かれた瞬間の
ことである。


 先生は目が聞かれたとたん,


「一人の人間はかけがえのない価値のある存在であること。一人ひとりユニークな存在であ
 ること。変えていく力が底に潜んでいること」


に気づいたのであった。

 この気づきがなければ,少年の人生はもちろん,先生の生き方も,まったく違ったものに
なっていただろう。


 この先生の感じ取った大切なことへ,私はこの対談を通し,自然の流れのなかで導かれた
ような気がする。まさに恵みの時間であった。


 玄侑宗久氏との出逢いは,祝福に満ちた摂理であった。


 講談社の野間社長,古屋氏,増淵氏に心から感謝申し上げたい。














☆「学校文化 その源流と課題」荒巻正六 福武書店 1990年 ②【再掲載 2012.5】

<出版社の案内>

行事・校則からいじめまで、学校の全生態の水脈をたどり、新しい学校創造のヒントを与え
る画期的教育論。第三部にユーモアと迫力に満ちた講演「家庭教育の真髄」を収録。
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◇野外における子どもの行動特性 -遠足引率者の心得-

□野外行動特性 

 志向・接近・探索

   掘る・積む・崩す・跳ぶ・走る・滑る・触れる・叩く・のぞく・探る


 大声を出す

   → これらの行動を繰り返して夢中になる



□ディズモンド・モリス『裸のサル』(日高敏隆訳)

探索行動

 - 摂食と自己防衛

   生き続け生き残るための探索行動

 



◇運動会と地域社会

□戦前の運動会 = 地域のお祭り

戦後の運動会 = 地域のお祭り 
          PTAも売店,校門前に露店

       ↓

 平日実施が多くなった
しかし,寂しいものになってしまった

 ◎ 運動会に華やいだ祭りの気分を今こそ導入すべき



□ボルノウ『教育を支えるもの』

「社会生活全般にとって,最も重要なものは,人間と人間との,より深い共同感の経験であ
 る。これは祭りの中で内的必然性を持って完成される。そして人は祭りを期待して平日を
 過ごし,祭りによって元気を取り戻し再び平日に立ち返っていく」

     ↓

 ◎ 楽しく生き生きとした学校づくりを言うならば,地域の祭りとしての学校運動会を子
  どものために用意すべき



□日本最初の運動会 『明治百年の児童史』唐沢富太郎著

明治7年 海軍兵学校(東京築地)「競闘遊技会」


種目:雀の巣立ち(150ヤード競争)ボラの網越し(走り高跳び)





◇修学旅行と旅の思想

□巡礼・長途遠足・海外観光旅行

芭蕉「月日は百代の過客にして行きかう年もまた旅人なり」


西行「願わくば花のもとにて春死なむその如月の望月のころ」



□修学旅行の始まり

明治19年2月 東京師範学校 「長途遠足」

11泊12日千葉銚子方面 行軍方式


特徴 ① 行軍方式(フランス式体操の影響) 

    ② 巡礼の思想

③ ヨーロッパ直観教育の思想


 校長 高嶺秀夫
 「路上至る処に便宜を求めて諸学科を実施に研究せしめんとするにあり」



 ◎ 自己を見つめる機会に

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