キーワード「生徒指導」⑤ /「昭和30年代」 塩田潮 平凡社新書 2007年 ②【再掲載 2013.2】 [読書記録 教育]
今回は、4月10日に続き、わたしの教育ノート(要約ノート)より、
キーワード「新学期」⑤ を紹介します。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「カウンセリング的アプローチ = 個人の独自性の承認」
・「受容と共感的理解 = よく聞くこと 待つこと 見守ること 聞くこと」
・「一人で乗り越えるエネルギー源が『弱音』『愚痴』『悪態』」
・「還る家 『弱音を安心してはけるところ』」
・「カウンセラー三条件
① 積極的関心(積極的尊重) 認める
② 共感する 欲をかかない
③ 自己一致 」
もう一つ、再掲載となりますが、塩田潮さんの
「昭和30年代」②を載せます。
田畑政治さん、本田宗一郎さん、大変魅力的な型です。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆キーワード「生徒指導」⑤
◇子ども理解六箇条
第一条 名前を見る(親の願い)
第二条 座席表で見る
第三条 始業前の子どもを見る
第四条 共にすることで見る
第五条 調査やテストで見る
第六条 作文や日記で見る
◇カウンセリング
□カウンセリング的アプローチ = 個人の独自性の承認
「共に努力する」
□基本
「受容」と「共感的理解」
∥
よく聞くこと
「待つこと」「見守ること」「聞くこと」
∥
「育」
□問題行動 = 葛藤サイン
「条件付きなしで黙って最後まで聞いてくれる」
□いじめ調査から
① いじめられっこが孤立無援にさらされている
② 担任と子どもとの信頼関係が希薄となっている
励ます言葉が傷つけることも
∥
無垢の子どもを受け入れる
いじめられっこでいいんだよ
泣き虫でもいいんだよ
弱い人間でもいいんだよ
そんなおまえが
お母さん
お父さん
先生は大好きだよ
がんばらなくてもいいんだよ
今のまんまで
一人で乗り越えるエネルギー源が「弱音」「愚痴」「悪態」
還る家「弱音を安心してはけるところ」
・気持ちを分かってください
・ただ聞いてほしかっただけなんです
◇登校拒否
① 保護者との信頼関係の修復
② 温かい人間関係づくり
③ 待つことの大切さ
④ ありのままの自分が出せる雰囲気づくり
□指導の目的
× 再登校
○ 生きる力をつけること 自立
① 無理に接触しようとしない
② 週何日 月何回ペース 曜日を決める
③ 放課後か夜 日曜・休日
④ 訪問したら何をするか計画を
⑤「登校しよう」は×
◇カウンセラー三条件
① 積極的関心(積極的尊重) 認める
② 共感する 欲をかかない
③ 自己一致
☆「昭和30年代」 塩田潮 平凡社新書 2007年 ②【再掲載 2013.2】
<出版社の案内>
1955年体制の確立に始まり、東京オリンピックと池田勇人首相の退陣で幕を閉じた昭和
30年代。日本はその十年で世界中が驚く成長と飛躍を遂げた。この時代を動かしたエネ
ルギーの源は、豊かさへの強い欲求と、共通目標に向かう人々の連帯意識の高まりであっ
た。「成長と飛躍」を生み出した数々の実験と挑戦を人物のドラマを通して探る戦後史ノ
ンフィクション。
◇東京オリンピックへの道 - 一万日の闘い
□紀元二千六百年の奉祝行事
昭和5(1930)年6月 東京市長 永田秀次郎
紀元二千六百年奉祝行事としてのオリンピック招致(1940昭和15)
□招致工作スタート ローマが有力 第12回大会
□ムッソリーニとヒトラー
第11回ベルリン大会
ムッソリーニと会見 → 取り下げ
□「東京ついに勝てり」
しかし、陸軍が反対
□軍の重圧
メーンスタジアムをめぐる陸軍対内務省
□オリンピック開催返上 政友会の河野一郎
鉄・コンクリート資源 陸軍の横やり
昭和13(1938)年7月15日 正式に中止
□「フジヤマのトビウオ」
昭和20年 オリンピックを夢見る日本人 田畑政治(元朝日新聞記者)
昭和23年8月6日 ロンドンオリンピックに合わせ、水泳日本選手権
↓ 古橋はオリンピックの記録を41秒上回った
昭和27年 日本はヘルシンキ大会で復帰(第15回)
□実った東京の悲願
昭和33年5月13日 東京でIOC総会
◇新幹線の誕生 十河信二の先見
□十河信二の夢
島秀雄が賛成「車両の神さま」
□「大風呂敷」と「雷親父」
後藤新平(鉄道院総裁 = 大風呂敷)
仙石貢(鉄道相 = 雷親父)
□広軌新幹線
広軌改築是非論争
「弾丸列車」構想
□世銀借款という秘策
池田首相の厳命
無念の総裁辞任 - 三河島事故 石田総裁
□赤字国債の大黒柱に
◇本田宗一郎の挑戦
□反骨の自動車技術者
平成3(1991)年8月 84歳で逝去
□明治39(1906)年11月磐田郡光明村鍛冶屋の息子
尋常高等小学校
→ 東京の自動車整備工場 本郷5丁目アート商会 15歳
□昭和3(1928)年4月 のれん分け
浜松市に「アート商会浜松支店」
宗一郎 鋳物製のスポークを発明 大儲け
↓
27歳 修理業からピストンリングの製造へ
失敗し、浜松高等工業の聴講生に
↓
□昭和14年 東海精機重工業設立
2年がかりで豊田織機に部品納入
↓
昭和20年1月 自身で工場全壊
車船飛行機の部品、プロペラ削り
ピストンリング製造行き詰まり
□「役人なんて何も分かっていない」
会社を売り飛ばした 本田技術研究所
ロータリー式織物機 - バタバタづくり
S22 A型 自動車用補助エンジン
S23.2 エンジン組み立て工場 9月本田技研工業
S24.8 本格的オートバイ 第1号 98cc「ドリーム号D型」
S25.3 東京に進出
S26.3 東京工場 10月ドリーム号E型
※スイス、アメリカ、ドイツから最新鋭の工作機械を大量に買い入れた(巨額投資)
|
◎ 昭和29年不況
本田技研の台所は火の車に → 何とか危機脱出
S33.8 スーパーカブ
□「異色官僚」佐橋滋
□四輪車進出計画
S37 鈴鹿サーキット完成
佐々木学通産省重工業局自動車課長
□通産省の3グループ構想
8社3グループに
葬られた特振法案
◎自由化対策に反対して 通産省の行政に真っ向から反対
S38 T360 S500 発売
S39 S600 T500 発売
※ 法案は廃案に … 特振法
□本田・佐橋の対決 S42
本田、川島喜八郎、西田通弘
|
佐橋と対決
衝突したが以後互いの個性を認め合う
□「世界のホンダ」に
S41.11 N360
S44.5 ホンダ1300セダン
S47.7 シビック S10CV
S48.10 「世界のホンダに」社長の座を降り最高顧問に
キーワード「新学期」⑤ を紹介します。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「カウンセリング的アプローチ = 個人の独自性の承認」
・「受容と共感的理解 = よく聞くこと 待つこと 見守ること 聞くこと」
・「一人で乗り越えるエネルギー源が『弱音』『愚痴』『悪態』」
・「還る家 『弱音を安心してはけるところ』」
・「カウンセラー三条件
① 積極的関心(積極的尊重) 認める
② 共感する 欲をかかない
③ 自己一致 」
もう一つ、再掲載となりますが、塩田潮さんの
「昭和30年代」②を載せます。
田畑政治さん、本田宗一郎さん、大変魅力的な型です。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆キーワード「生徒指導」⑤
◇子ども理解六箇条
第一条 名前を見る(親の願い)
第二条 座席表で見る
第三条 始業前の子どもを見る
第四条 共にすることで見る
第五条 調査やテストで見る
第六条 作文や日記で見る
◇カウンセリング
□カウンセリング的アプローチ = 個人の独自性の承認
「共に努力する」
□基本
「受容」と「共感的理解」
∥
よく聞くこと
「待つこと」「見守ること」「聞くこと」
∥
「育」
□問題行動 = 葛藤サイン
「条件付きなしで黙って最後まで聞いてくれる」
□いじめ調査から
① いじめられっこが孤立無援にさらされている
② 担任と子どもとの信頼関係が希薄となっている
励ます言葉が傷つけることも
∥
無垢の子どもを受け入れる
いじめられっこでいいんだよ
泣き虫でもいいんだよ
弱い人間でもいいんだよ
そんなおまえが
お母さん
お父さん
先生は大好きだよ
がんばらなくてもいいんだよ
今のまんまで
一人で乗り越えるエネルギー源が「弱音」「愚痴」「悪態」
還る家「弱音を安心してはけるところ」
・気持ちを分かってください
・ただ聞いてほしかっただけなんです
◇登校拒否
① 保護者との信頼関係の修復
② 温かい人間関係づくり
③ 待つことの大切さ
④ ありのままの自分が出せる雰囲気づくり
□指導の目的
× 再登校
○ 生きる力をつけること 自立
① 無理に接触しようとしない
② 週何日 月何回ペース 曜日を決める
③ 放課後か夜 日曜・休日
④ 訪問したら何をするか計画を
⑤「登校しよう」は×
◇カウンセラー三条件
① 積極的関心(積極的尊重) 認める
② 共感する 欲をかかない
③ 自己一致
☆「昭和30年代」 塩田潮 平凡社新書 2007年 ②【再掲載 2013.2】
<出版社の案内>
1955年体制の確立に始まり、東京オリンピックと池田勇人首相の退陣で幕を閉じた昭和
30年代。日本はその十年で世界中が驚く成長と飛躍を遂げた。この時代を動かしたエネ
ルギーの源は、豊かさへの強い欲求と、共通目標に向かう人々の連帯意識の高まりであっ
た。「成長と飛躍」を生み出した数々の実験と挑戦を人物のドラマを通して探る戦後史ノ
ンフィクション。
◇東京オリンピックへの道 - 一万日の闘い
□紀元二千六百年の奉祝行事
昭和5(1930)年6月 東京市長 永田秀次郎
紀元二千六百年奉祝行事としてのオリンピック招致(1940昭和15)
□招致工作スタート ローマが有力 第12回大会
□ムッソリーニとヒトラー
第11回ベルリン大会
ムッソリーニと会見 → 取り下げ
□「東京ついに勝てり」
しかし、陸軍が反対
□軍の重圧
メーンスタジアムをめぐる陸軍対内務省
□オリンピック開催返上 政友会の河野一郎
鉄・コンクリート資源 陸軍の横やり
昭和13(1938)年7月15日 正式に中止
□「フジヤマのトビウオ」
昭和20年 オリンピックを夢見る日本人 田畑政治(元朝日新聞記者)
昭和23年8月6日 ロンドンオリンピックに合わせ、水泳日本選手権
↓ 古橋はオリンピックの記録を41秒上回った
昭和27年 日本はヘルシンキ大会で復帰(第15回)
□実った東京の悲願
昭和33年5月13日 東京でIOC総会
◇新幹線の誕生 十河信二の先見
□十河信二の夢
島秀雄が賛成「車両の神さま」
□「大風呂敷」と「雷親父」
後藤新平(鉄道院総裁 = 大風呂敷)
仙石貢(鉄道相 = 雷親父)
□広軌新幹線
広軌改築是非論争
「弾丸列車」構想
□世銀借款という秘策
池田首相の厳命
無念の総裁辞任 - 三河島事故 石田総裁
□赤字国債の大黒柱に
◇本田宗一郎の挑戦
□反骨の自動車技術者
平成3(1991)年8月 84歳で逝去
□明治39(1906)年11月磐田郡光明村鍛冶屋の息子
尋常高等小学校
→ 東京の自動車整備工場 本郷5丁目アート商会 15歳
□昭和3(1928)年4月 のれん分け
浜松市に「アート商会浜松支店」
宗一郎 鋳物製のスポークを発明 大儲け
↓
27歳 修理業からピストンリングの製造へ
失敗し、浜松高等工業の聴講生に
↓
□昭和14年 東海精機重工業設立
2年がかりで豊田織機に部品納入
↓
昭和20年1月 自身で工場全壊
車船飛行機の部品、プロペラ削り
ピストンリング製造行き詰まり
□「役人なんて何も分かっていない」
会社を売り飛ばした 本田技術研究所
ロータリー式織物機 - バタバタづくり
S22 A型 自動車用補助エンジン
S23.2 エンジン組み立て工場 9月本田技研工業
S24.8 本格的オートバイ 第1号 98cc「ドリーム号D型」
S25.3 東京に進出
S26.3 東京工場 10月ドリーム号E型
※スイス、アメリカ、ドイツから最新鋭の工作機械を大量に買い入れた(巨額投資)
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◎ 昭和29年不況
本田技研の台所は火の車に → 何とか危機脱出
S33.8 スーパーカブ
□「異色官僚」佐橋滋
□四輪車進出計画
S37 鈴鹿サーキット完成
佐々木学通産省重工業局自動車課長
□通産省の3グループ構想
8社3グループに
葬られた特振法案
◎自由化対策に反対して 通産省の行政に真っ向から反対
S38 T360 S500 発売
S39 S600 T500 発売
※ 法案は廃案に … 特振法
□本田・佐橋の対決 S42
本田、川島喜八郎、西田通弘
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佐橋と対決
衝突したが以後互いの個性を認め合う
□「世界のホンダ」に
S41.11 N360
S44.5 ホンダ1300セダン
S47.7 シビック S10CV
S48.10 「世界のホンダに」社長の座を降り最高顧問に