ふえる一方の不登校をどうとらるか 伊藤友宣(神戸心療親子研究室・主宰) 「決断を次回送りにのばす悪癖の背景に」- 分かっていて動きのとれない、という心理- ⑥(最終) /「京都ぎらい」井上章一 朝日新聞出版 2015年 ②【再掲載 2017.7】 [読書記録 教育]
今回は、5月13日に続いて伊藤友宣さんの
「ふえる一方の不登校をどうとらえるか」6回目の紹介 最終です。
出典、年度は不明ですが、
平成14、15年頃の月刊「少年育成」誌ではないかと思われます。
かつて「大阪少年補導協会」により出されていた月刊誌。
「子育て」の課題への真摯な話題提供をしてくれましたが、
大阪の教育に対する熱意に感心したものですが、2011年3月号を最後に休刊(廃刊)とな
りました。補助金の関係でしょうか、復刊を期待するのですが、残念です。
「分かってやれるかの気遣いが勝負」
の言葉が心に響きました。
-「たいしたことやなかったんや。なあ」
後で振り返れば、そのように思うことができることに苦しんでしまう。
辛いことです。
- 心の不調は生理的な生活リズムにいよいよ直結してしまい、また今日もあの女どもに
いい加減遊ばれるのかと思うだけで気が滅入り、どうにも動きがのろくて、これでは大
幅に遅刻するしかなく、先生から嫌味のたらたらかと思えば、ついに頭がズキンズキン
と、熱もあるらしいと訴えて、休んでしまうといったところであったらしいのですね。
周りから見ればちょっとしたことなのに、本人にはとてつもなく大きな事なのですね。端
から見れば「ちょっとしたこと」だと本人も分かっているので、言い出せず苦しんでしま
うのでしょうか。
-「そのポイントの詳述は、次回にくわしく述べたいと思います。」
大変知りたいところですが、「少年育成」誌の何年の何月号なのか分かりません。
以前は、大阪少年補導協会に「少年育成」誌のバックナンバーも紹介されていましたが、
現在はなくなっており探すことができません。
もう一つ、再掲載となりますが、井上章一さんの、
「京都ぎらい」②を載せます。
華やかさばかりではない京都を教えてくれます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆ふえる一方の不登校をどうとらるか 伊藤友宣(神戸心療親子研究室・主宰) 「決断を次回送りにのばす悪癖の背景に」- 分かっていて動きのとれない、という心理- ⑥(最終)
◇散漫な表現の文章化を手伝ってやる
それが、私には私と会ってまだろくに話も交わしてない内に、
「たいしたことやなかったんや。なあ」
と親に同意を求めながら、ぼろぼろとこぼれるように話しだしたというわけです。
「奴らがなあ、なんやかやと」
話はいい加減なことばの羅列でしかありませんから、こちらが推測を働かせて意味の分
かる文章化を試みていきます。
「クラスの中の何人かの者が、か?」
「女ら、や」
「女の子が数人が?やな?」
「そう。うるさいんや」
つまり、のんびり、おっとりしたような大介少年は口さがない女の子たちグループの冗
談やからかいの対象にされ、そのわずらわしさにうんざりして、もともと男の子の仲間で
競いあったり夢中に遊びほうけたりするほうではなかったもので、何もかもがおろそかに
なり、気力散漫の常態がうとましくて、目覚めの朝から元気が湧かない。
なにかにつけ滞りがちな起居振る舞いを、親はせかしたり嘆いたりで、まわりが自分を
非難したり失望したりすることに慣れっこになる。
心の不調は生理的な生活リズムにいよいよ直結してしまい、また今日もあの女どもにい
い加減遊ばれるのかと思うだけで気が滅入り、どうにも動きがのろくて、これでは大幅に
遅刻するしかなく、先生から嫌味のたらたらかと思えば、ついに頭がズキンズキンと、熱
もあるらしいと訴えて、休んでしまうといったところであったらしいのですね。
子の表現したげな顔つきの、その表情の変化を見守りながら、私は事態のつながりを推
測で展開してやると、「うん」とか「そう」とか、「うん、だいたいそうやな」「ああ」「う
ん」と合いの手を大介は入れながら、もともと四年前の不登校になりかかった頃の自分の
心の姿が読めて来たようで、日の光や頷き具合に、見る見る心の開いていく様子が明らか
だったのです。
「でな。新井ちゅう、一番うるさい女。そいつが俺になにをしたと思う? 背中に紙を貼
りよんねんや。なんたらいやなこと書いてな。相手になれんわ」
といつしか、気恥ずかしげな表現ながら自分で話し出しているのでした。
◇分かってやれるかの気遣いが勝負
だいたい乳幼児時期に親によくかまわれて来た子の常で、大介はひとのことに干渉した
がる性ではない。
口うるさい女の子達の、なにかにつけてもて遊びのいい相手にされるのがいかにもうっ
とうしいのに、その不本意さを払いのける工夫が分からない。
されるに任せていやになるばかりであったのですね。
自分の主体性を発揮する心の発散の習慣を体験しないままの、くすぼり続けの日々を、
親にも残念がられ続けてきたわけです。
うとましがられながら、同時に、同情されるのに慣れて来て、自分は回りの期待に反す
る子なのだと思い込む癖が身についてしまっている。
一般に長年の不登校が、そんなマイナスの自己認定を深めるだけ深めきせられてしまっ
ているわけですよ。
私の講演を開いた大介少年が、鼻歌が出る程元気づいたというのは、私の話が、不登校
児の心の真にかくれてしまっている自負の思い、自尊の思いをまずとにかく分かろうとし
てやることが、なにもかもの先決の仕事であるべきだと、声高らかにプラス発想の展開を
主張し続けたものであったからに違いありません。
私の前で、当人が、
「中学に入るまでに、気持を立て直さないといけないと思う」
という向きで、誇らかに自己表現をするのには、母親が息をのんでいました。
あとで子のいないところで、親は私に隠し事を打ち明ける調子で、
「あんな格好いいことを言っておきながら、実際はいつも腰くだけなんですよ」
というので、私は、
「あなたのそういう言い方のなかに、すべての問題がひそんでいますよ」
と返さざる得なかった、そのポイントの詳述は、次回にくわしく述べたいと思います。
その母親から、水田大介君がこの四月には
「どうにかこうにか、中学へは行きはじめてくれています」
と連絡を受けました。
会えば
「変らんとあかんと思うことが、私の方がいっぱいあって」
と、母親は反省しきりですが、もう二学期も半ば、まあ大丈夫でしょう。
☆「京都ぎらい」井上章一 朝日新聞出版 2015年 ②【再掲載 2017.7】
<出版社の案内>
あなたが旅情を覚える古都のたたずまいに、じっと目を凝らせば…。気づいていながら誰
もあえて書こうとしなかった数々の事実によって、京都人のおそろしい一面が鮮やかに浮
かんでくるにちがいない。洛外に生まれ育った著者だから表現しうる京都の街によどむ底
知れぬ沼気(しょうき)。洛中千年の「花」「毒」を見定める新・京都論である。
◇お坊さんと舞妓さん
□芸者か芸子か?
芸者~男
芸子~女
女の芸者を芸者と呼び出したのは江戸
上方では芸子
江戸東京は芸者
□呉服と映画の時代は過ぎ去って
大盤振る舞い ~ 祗園・上七軒 ~ 呉服関係商人
↓
今 西陣は空洞化 室町は寂れる
太秦 時代劇映画
嵯峨 テレビ時代劇のロケ地
□姫・坊主・姫・坊主
「坊主めくり」
- 僧侶をバカにしたゲーム
僧侶姿の夜遊びが受け入れられる京都
□ミニスカートにそそられる
僧侶が遊ばなくなれば京都の花街はついえ去る
□男を忘れた僧侶たち
日本の僧侶
稚児愛を捨て女色にふけりだした
聖職者集団の世俗化
□女色に食傷するその日まで
「仏教は本質的に女をはねつける男の宗教」(井上)
釈迦 ~ うんざりするほど女を味わった
→ 釈迦の絶望
□檜舞台の舞子たち
「ふえる一方の不登校をどうとらえるか」6回目の紹介 最終です。
出典、年度は不明ですが、
平成14、15年頃の月刊「少年育成」誌ではないかと思われます。
かつて「大阪少年補導協会」により出されていた月刊誌。
「子育て」の課題への真摯な話題提供をしてくれましたが、
大阪の教育に対する熱意に感心したものですが、2011年3月号を最後に休刊(廃刊)とな
りました。補助金の関係でしょうか、復刊を期待するのですが、残念です。
「分かってやれるかの気遣いが勝負」
の言葉が心に響きました。
-「たいしたことやなかったんや。なあ」
後で振り返れば、そのように思うことができることに苦しんでしまう。
辛いことです。
- 心の不調は生理的な生活リズムにいよいよ直結してしまい、また今日もあの女どもに
いい加減遊ばれるのかと思うだけで気が滅入り、どうにも動きがのろくて、これでは大
幅に遅刻するしかなく、先生から嫌味のたらたらかと思えば、ついに頭がズキンズキン
と、熱もあるらしいと訴えて、休んでしまうといったところであったらしいのですね。
周りから見ればちょっとしたことなのに、本人にはとてつもなく大きな事なのですね。端
から見れば「ちょっとしたこと」だと本人も分かっているので、言い出せず苦しんでしま
うのでしょうか。
-「そのポイントの詳述は、次回にくわしく述べたいと思います。」
大変知りたいところですが、「少年育成」誌の何年の何月号なのか分かりません。
以前は、大阪少年補導協会に「少年育成」誌のバックナンバーも紹介されていましたが、
現在はなくなっており探すことができません。
もう一つ、再掲載となりますが、井上章一さんの、
「京都ぎらい」②を載せます。
華やかさばかりではない京都を教えてくれます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆ふえる一方の不登校をどうとらるか 伊藤友宣(神戸心療親子研究室・主宰) 「決断を次回送りにのばす悪癖の背景に」- 分かっていて動きのとれない、という心理- ⑥(最終)
◇散漫な表現の文章化を手伝ってやる
それが、私には私と会ってまだろくに話も交わしてない内に、
「たいしたことやなかったんや。なあ」
と親に同意を求めながら、ぼろぼろとこぼれるように話しだしたというわけです。
「奴らがなあ、なんやかやと」
話はいい加減なことばの羅列でしかありませんから、こちらが推測を働かせて意味の分
かる文章化を試みていきます。
「クラスの中の何人かの者が、か?」
「女ら、や」
「女の子が数人が?やな?」
「そう。うるさいんや」
つまり、のんびり、おっとりしたような大介少年は口さがない女の子たちグループの冗
談やからかいの対象にされ、そのわずらわしさにうんざりして、もともと男の子の仲間で
競いあったり夢中に遊びほうけたりするほうではなかったもので、何もかもがおろそかに
なり、気力散漫の常態がうとましくて、目覚めの朝から元気が湧かない。
なにかにつけ滞りがちな起居振る舞いを、親はせかしたり嘆いたりで、まわりが自分を
非難したり失望したりすることに慣れっこになる。
心の不調は生理的な生活リズムにいよいよ直結してしまい、また今日もあの女どもにい
い加減遊ばれるのかと思うだけで気が滅入り、どうにも動きがのろくて、これでは大幅に
遅刻するしかなく、先生から嫌味のたらたらかと思えば、ついに頭がズキンズキンと、熱
もあるらしいと訴えて、休んでしまうといったところであったらしいのですね。
子の表現したげな顔つきの、その表情の変化を見守りながら、私は事態のつながりを推
測で展開してやると、「うん」とか「そう」とか、「うん、だいたいそうやな」「ああ」「う
ん」と合いの手を大介は入れながら、もともと四年前の不登校になりかかった頃の自分の
心の姿が読めて来たようで、日の光や頷き具合に、見る見る心の開いていく様子が明らか
だったのです。
「でな。新井ちゅう、一番うるさい女。そいつが俺になにをしたと思う? 背中に紙を貼
りよんねんや。なんたらいやなこと書いてな。相手になれんわ」
といつしか、気恥ずかしげな表現ながら自分で話し出しているのでした。
◇分かってやれるかの気遣いが勝負
だいたい乳幼児時期に親によくかまわれて来た子の常で、大介はひとのことに干渉した
がる性ではない。
口うるさい女の子達の、なにかにつけてもて遊びのいい相手にされるのがいかにもうっ
とうしいのに、その不本意さを払いのける工夫が分からない。
されるに任せていやになるばかりであったのですね。
自分の主体性を発揮する心の発散の習慣を体験しないままの、くすぼり続けの日々を、
親にも残念がられ続けてきたわけです。
うとましがられながら、同時に、同情されるのに慣れて来て、自分は回りの期待に反す
る子なのだと思い込む癖が身についてしまっている。
一般に長年の不登校が、そんなマイナスの自己認定を深めるだけ深めきせられてしまっ
ているわけですよ。
私の講演を開いた大介少年が、鼻歌が出る程元気づいたというのは、私の話が、不登校
児の心の真にかくれてしまっている自負の思い、自尊の思いをまずとにかく分かろうとし
てやることが、なにもかもの先決の仕事であるべきだと、声高らかにプラス発想の展開を
主張し続けたものであったからに違いありません。
私の前で、当人が、
「中学に入るまでに、気持を立て直さないといけないと思う」
という向きで、誇らかに自己表現をするのには、母親が息をのんでいました。
あとで子のいないところで、親は私に隠し事を打ち明ける調子で、
「あんな格好いいことを言っておきながら、実際はいつも腰くだけなんですよ」
というので、私は、
「あなたのそういう言い方のなかに、すべての問題がひそんでいますよ」
と返さざる得なかった、そのポイントの詳述は、次回にくわしく述べたいと思います。
その母親から、水田大介君がこの四月には
「どうにかこうにか、中学へは行きはじめてくれています」
と連絡を受けました。
会えば
「変らんとあかんと思うことが、私の方がいっぱいあって」
と、母親は反省しきりですが、もう二学期も半ば、まあ大丈夫でしょう。
☆「京都ぎらい」井上章一 朝日新聞出版 2015年 ②【再掲載 2017.7】
<出版社の案内>
あなたが旅情を覚える古都のたたずまいに、じっと目を凝らせば…。気づいていながら誰
もあえて書こうとしなかった数々の事実によって、京都人のおそろしい一面が鮮やかに浮
かんでくるにちがいない。洛外に生まれ育った著者だから表現しうる京都の街によどむ底
知れぬ沼気(しょうき)。洛中千年の「花」「毒」を見定める新・京都論である。
◇お坊さんと舞妓さん
□芸者か芸子か?
芸者~男
芸子~女
女の芸者を芸者と呼び出したのは江戸
上方では芸子
江戸東京は芸者
□呉服と映画の時代は過ぎ去って
大盤振る舞い ~ 祗園・上七軒 ~ 呉服関係商人
↓
今 西陣は空洞化 室町は寂れる
太秦 時代劇映画
嵯峨 テレビ時代劇のロケ地
□姫・坊主・姫・坊主
「坊主めくり」
- 僧侶をバカにしたゲーム
僧侶姿の夜遊びが受け入れられる京都
□ミニスカートにそそられる
僧侶が遊ばなくなれば京都の花街はついえ去る
□男を忘れた僧侶たち
日本の僧侶
稚児愛を捨て女色にふけりだした
聖職者集団の世俗化
□女色に食傷するその日まで
「仏教は本質的に女をはねつける男の宗教」(井上)
釈迦 ~ うんざりするほど女を味わった
→ 釈迦の絶望
□檜舞台の舞子たち