キーワード「生徒指導」⑩ /「浜松古跡図絵」神谷昌志 明文出版社 1987年 ③【再掲載 2011.11】 [読書記録 教育]
今回は、5月 6日に続き、わたしの教育ノート(要約ノート)より、
キーワード「生徒指導」⑩を紹介します。
出典は明らかではありませんが、随分前の要約だと思います
今読み直すと、お説教にしか感じないこともありますが、もっともなことだと思います。
時代も変わりました。
子どもたちへの伝え方にさらに工夫が必要ですね。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「正答だけを拾い上げる古い授業から脱却する」
- これはかなり変わっています。
・「誤答を生かす」
- 誤答を誤答のままにしないようにとよく言われました。
・「クラス全員をひいきする」
「『あの先生は本当はぼくが一番好きなんだよ』とクラス全員に思わせる」
・「五の大切・十の反省(田中角栄)」
- 聞いたことはありましたが、はじめて知りました。
もう一つ、再掲載となりますが、神谷昌志さんの
「浜松古跡図絵」③を載せます。
20年ほど前、現在新東名がかかっているところで、篠場瓦窯が発見されました。
古代の瓦窯跡で、布目瓦が山のように見つかりました。
平瓦の大きさと重さに驚きました。
浜松市には禅宗のお寺が多いと感じます。
臨済宗のお寺の多くは、方広寺派に属しています。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆キーワード「生徒指導」⑩
◇教師の演出力
① 正答だけを拾い上げる古い授業から脱却する
② 誤答を生かす
③ 無答の子
「ううん,難しいね,どうしてだろうね」
④ 方向転換を
→ 「バカにしている子」に対して
⑤ 分からない状況に追い込む
⑥ 「分かりません」を要求
⑦ 仲間が気になる子を育てる
⑧ → きつい場合もある
◇クラス全員をひいきする(群馬大:高橋俊三)
「あの先生は本当はぼくが一番好きなんだよ」とクラス全員に思わせる
↑
親 「うちの子を特別によく見てほしい」
↑
◎ 一人一人を注意深く見る
◎ 一人一人を見て,一人一人に声を掛けること
∥
◎ 変化に気付いてやり,その発見を教える
∥
◎ 関心を持っていること・目を掛けていることを示せ
∥
◎ 具体的な事実をとらえたら,具体的な言い方で親に伝えるようにしよう
◇五の大切・十の反省(田中角栄)1974.5.13
□五の大切
① 人間を大切にしよう
② 自然を大切にしよう
③ 時間を大切にしよう
④ モノを大切にしよう
⑤ 国・社会を大切にしよう
□十の反省
① 友達と仲良くしただろうか
② 弱い者いじめをしなかっただろうか
③ お年寄りに親切にしただろうか
④ 生き物や草花を大切にしただろうか
⑤ 約束は守っただろうか
⑥ 交通ルールは守っただろうか
⑦ 人の話をよく聞いただろうか
⑧ 食べ物の好き嫌いを言わなかっただろうか
⑨ 人に迷惑を掛けなかっただろうか
⑩ 正しいことに勇気を持って行動しただろうか
「自由新報」1974.5.25 5月号(自由民主党の機関誌=ハマコウ註)
◇万引き防止指導
① 詩の三行を試写させる (万引きの詩:忘失)
「何をしたのかな」
② プリント配布
読んで感想を書く
③「万引きは悪いと言うことを知っているのにどうして万引きをするのでしょう」
◎ 万引きは家族も悲しむ大きな罪
◎ 二度としない(もちろん一度も)
説明: お金がないからじゃない「ほしいから取っちゃう」
↑
自分が見ている → 癖になり一生を棒にする人も
家族の引っ越しも
↑
統計を見ると万引きしたことがある子は3年生当たりから出てきます。
ひょっとするとこの中に
↑
万引きはダメ
④ロールプレイ
「一回だけなら大丈夫」
「みんなやっているよ」
「こわいの,勇気ないなあ」
「意気地なし」
◎「いやだ」と続けて言おう
☆「浜松古跡図絵」神谷昌志 明文出版社 1987年 ③【再掲載 2011.11】
◇天文方・伊能忠敬の佐鳴湖測量
享和3(1803)年
遠州灘海岸線
天竜川河口~浜松市南岸線
文化元(1805)年 佐鳴湖・浜名湖の実地測量
3月17日~28日 11日間14人
「天文方御急回状」
◇唐船漂着の瓦版と黒船来航
遠州灘海岸
① 寛政12(1800)年12月4日 唐船
山名郡湊村漂着(浅羽町)
全員助け出されて唐の国へ
② 安政6(1859)年11月
米国船 掛塚沖で台風のため座礁
8名 ボートで掛塚に向かう途中転覆
③ 文政9(1826)年
唐船 相良沖に - 漂着
※黒船 嘉永・安政年間 → 浜松・米津海岸に砲台(台場=米津のお台場)
◇江戸時代に著された遠江地誌 主に国学者によるもの
内山真龍 『遠江国風土記伝』
山下照庵 『古老物語』
杉浦国頭 『曳馬拾遺』
斎田茂先・山本忠英 『掛川誌稿』
八木美穂 『郷里雑記』南遠地方
◇兵藤庄右衛門の『遠江古跡図絵』
井伊大老を討死
- 彦根藩士沢村軍六之文
沢村勝男氏(大正10生)
大久保町在住
沢村家伝来の阿弥陀如来像
◇浜松に定住した新撰組隊士中島登
利町 鉄砲店・中島登さんの家 4代目の直径子孫
浜松宿神明町の魚屋「魚惣」の娘 を妻に
明治17(1884)年 免許うけて紺屋町で鉄砲店
◇勤王の豪商池田庄三郎の事績
池町 芳鮮寺(浄土真宗)
浜松・御用商人 池田庄三郎の墓
勝定の子勝光
国学 → 尊皇倒幕 → 遠州報国隊 資金援助
◇神官桑原真清(みすげ)の『報国隊顛末記』
遠州報国隊 主導 津毛利神社(参野町)桑原真清
明治元(1868)年 戊辰之役
勤王の民兵隊306名 神官280余名
90名余が江戸に向かった 駿河赤心隊と共に
= 真淵を頂点とする国学思想の流れ
利町五社公園の一角に「戊辰之役報国隊祈念碑」
◇浜松の城下絵図について
良質のものは
「浜松御城下細見絵図」真上から
故渥美静一氏旧蔵
「浜松御城下絵図」 鳥瞰図
◇白鳳期の寺院跡「木船廃寺」
古寺
真言三か寺 頭陀寺、竜禅寺、鴨江寺
和田町 木船
礎石と布目瓦 銅鐸出土地から30~40㎝
白鳳期のもの 鐙(あぶみ)瓦 素弁蓮華文鐙瓦
◎ <浜松市が誇る浜北区の篠場瓦窯の瓦と同範と言われます-ハマコウ註>
◇観音信仰拠点甲江山鴨江寺
703年 行基開創 戦争で焼失
◇定額寺としての格式・青林山頭陀寺
703年草創
863定額寺私立ながら国の援助
仁和寺の観音堂末寺
◇臨済宗の中本山 大通院と的伝和尚
臨済宗 97か寺中77か寺が方広寺派
方広寺 1384年開創
→ 77か寺 ほとんど的伝和尚と法弟
瑞雲寺(佐藤町)と大通院(新橋町)が中本山
大通院 中本山
→ 廃仏毀釈により衰退
残るものは山門と戒壇石
◇曹洞宗普済寺とその末寺群
曹洞宗104か寺中ほとんどが普済寺の寺
1428年開創 吉良氏の帰依 500有余の末寺
◇歴史の禅苑西来院と名刹天林寺
西来院 天林寺
キーワード「生徒指導」⑩を紹介します。
出典は明らかではありませんが、随分前の要約だと思います
今読み直すと、お説教にしか感じないこともありますが、もっともなことだと思います。
時代も変わりました。
子どもたちへの伝え方にさらに工夫が必要ですね。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「正答だけを拾い上げる古い授業から脱却する」
- これはかなり変わっています。
・「誤答を生かす」
- 誤答を誤答のままにしないようにとよく言われました。
・「クラス全員をひいきする」
「『あの先生は本当はぼくが一番好きなんだよ』とクラス全員に思わせる」
・「五の大切・十の反省(田中角栄)」
- 聞いたことはありましたが、はじめて知りました。
もう一つ、再掲載となりますが、神谷昌志さんの
「浜松古跡図絵」③を載せます。
20年ほど前、現在新東名がかかっているところで、篠場瓦窯が発見されました。
古代の瓦窯跡で、布目瓦が山のように見つかりました。
平瓦の大きさと重さに驚きました。
浜松市には禅宗のお寺が多いと感じます。
臨済宗のお寺の多くは、方広寺派に属しています。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆キーワード「生徒指導」⑩
◇教師の演出力
① 正答だけを拾い上げる古い授業から脱却する
② 誤答を生かす
③ 無答の子
「ううん,難しいね,どうしてだろうね」
④ 方向転換を
→ 「バカにしている子」に対して
⑤ 分からない状況に追い込む
⑥ 「分かりません」を要求
⑦ 仲間が気になる子を育てる
⑧ → きつい場合もある
◇クラス全員をひいきする(群馬大:高橋俊三)
「あの先生は本当はぼくが一番好きなんだよ」とクラス全員に思わせる
↑
親 「うちの子を特別によく見てほしい」
↑
◎ 一人一人を注意深く見る
◎ 一人一人を見て,一人一人に声を掛けること
∥
◎ 変化に気付いてやり,その発見を教える
∥
◎ 関心を持っていること・目を掛けていることを示せ
∥
◎ 具体的な事実をとらえたら,具体的な言い方で親に伝えるようにしよう
◇五の大切・十の反省(田中角栄)1974.5.13
□五の大切
① 人間を大切にしよう
② 自然を大切にしよう
③ 時間を大切にしよう
④ モノを大切にしよう
⑤ 国・社会を大切にしよう
□十の反省
① 友達と仲良くしただろうか
② 弱い者いじめをしなかっただろうか
③ お年寄りに親切にしただろうか
④ 生き物や草花を大切にしただろうか
⑤ 約束は守っただろうか
⑥ 交通ルールは守っただろうか
⑦ 人の話をよく聞いただろうか
⑧ 食べ物の好き嫌いを言わなかっただろうか
⑨ 人に迷惑を掛けなかっただろうか
⑩ 正しいことに勇気を持って行動しただろうか
「自由新報」1974.5.25 5月号(自由民主党の機関誌=ハマコウ註)
◇万引き防止指導
① 詩の三行を試写させる (万引きの詩:忘失)
「何をしたのかな」
② プリント配布
読んで感想を書く
③「万引きは悪いと言うことを知っているのにどうして万引きをするのでしょう」
◎ 万引きは家族も悲しむ大きな罪
◎ 二度としない(もちろん一度も)
説明: お金がないからじゃない「ほしいから取っちゃう」
↑
自分が見ている → 癖になり一生を棒にする人も
家族の引っ越しも
↑
統計を見ると万引きしたことがある子は3年生当たりから出てきます。
ひょっとするとこの中に
↑
万引きはダメ
④ロールプレイ
「一回だけなら大丈夫」
「みんなやっているよ」
「こわいの,勇気ないなあ」
「意気地なし」
◎「いやだ」と続けて言おう
☆「浜松古跡図絵」神谷昌志 明文出版社 1987年 ③【再掲載 2011.11】
◇天文方・伊能忠敬の佐鳴湖測量
享和3(1803)年
遠州灘海岸線
天竜川河口~浜松市南岸線
文化元(1805)年 佐鳴湖・浜名湖の実地測量
3月17日~28日 11日間14人
「天文方御急回状」
◇唐船漂着の瓦版と黒船来航
遠州灘海岸
① 寛政12(1800)年12月4日 唐船
山名郡湊村漂着(浅羽町)
全員助け出されて唐の国へ
② 安政6(1859)年11月
米国船 掛塚沖で台風のため座礁
8名 ボートで掛塚に向かう途中転覆
③ 文政9(1826)年
唐船 相良沖に - 漂着
※黒船 嘉永・安政年間 → 浜松・米津海岸に砲台(台場=米津のお台場)
◇江戸時代に著された遠江地誌 主に国学者によるもの
内山真龍 『遠江国風土記伝』
山下照庵 『古老物語』
杉浦国頭 『曳馬拾遺』
斎田茂先・山本忠英 『掛川誌稿』
八木美穂 『郷里雑記』南遠地方
◇兵藤庄右衛門の『遠江古跡図絵』
井伊大老を討死
- 彦根藩士沢村軍六之文
沢村勝男氏(大正10生)
大久保町在住
沢村家伝来の阿弥陀如来像
◇浜松に定住した新撰組隊士中島登
利町 鉄砲店・中島登さんの家 4代目の直径子孫
浜松宿神明町の魚屋「魚惣」の娘 を妻に
明治17(1884)年 免許うけて紺屋町で鉄砲店
◇勤王の豪商池田庄三郎の事績
池町 芳鮮寺(浄土真宗)
浜松・御用商人 池田庄三郎の墓
勝定の子勝光
国学 → 尊皇倒幕 → 遠州報国隊 資金援助
◇神官桑原真清(みすげ)の『報国隊顛末記』
遠州報国隊 主導 津毛利神社(参野町)桑原真清
明治元(1868)年 戊辰之役
勤王の民兵隊306名 神官280余名
90名余が江戸に向かった 駿河赤心隊と共に
= 真淵を頂点とする国学思想の流れ
利町五社公園の一角に「戊辰之役報国隊祈念碑」
◇浜松の城下絵図について
良質のものは
「浜松御城下細見絵図」真上から
故渥美静一氏旧蔵
「浜松御城下絵図」 鳥瞰図
◇白鳳期の寺院跡「木船廃寺」
古寺
真言三か寺 頭陀寺、竜禅寺、鴨江寺
和田町 木船
礎石と布目瓦 銅鐸出土地から30~40㎝
白鳳期のもの 鐙(あぶみ)瓦 素弁蓮華文鐙瓦
◎ <浜松市が誇る浜北区の篠場瓦窯の瓦と同範と言われます-ハマコウ註>
◇観音信仰拠点甲江山鴨江寺
703年 行基開創 戦争で焼失
◇定額寺としての格式・青林山頭陀寺
703年草創
863定額寺私立ながら国の援助
仁和寺の観音堂末寺
◇臨済宗の中本山 大通院と的伝和尚
臨済宗 97か寺中77か寺が方広寺派
方広寺 1384年開創
→ 77か寺 ほとんど的伝和尚と法弟
瑞雲寺(佐藤町)と大通院(新橋町)が中本山
大通院 中本山
→ 廃仏毀釈により衰退
残るものは山門と戒壇石
◇曹洞宗普済寺とその末寺群
曹洞宗104か寺中ほとんどが普済寺の寺
1428年開創 吉良氏の帰依 500有余の末寺
◇歴史の禅苑西来院と名刹天林寺
西来院 天林寺