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「学級崩壊立て直し請負人」菊池省三 構成:吉崎エイジーニョ 2013年 ① /「東京12チャンネル運動部の情熱」布施鋼治 集英社 2012年 ①【再々掲載 2015.10】 [読書記録 教育]

今回は、菊池省三さんの
「学級崩壊立て直し請負人」1回目の紹介です。


出版物、テレビ放送などで広く知られる菊池省三さんについて、
かつての教え子である吉崎エイジーニョが構成者として伝えてくれます。
大変読みやすく、また分かり易く納得できる本です。




出版社の案内には、


「北九州の地で荒れたクラスを次々に再建し、教育界の熱い注目を集める『日本一忙しい
 小学校教師』菊池省三。子どもの瞳に輝きが戻り壊れた教室が甦る、その秘密はどこに
 あるのか。『ほめ言葉のシャワー』『成長ノート』等の指導法で、自立心と他人を敬う
 心を育てる『菊池式教育観』に、かつての教え子が迫る」


とあります。





今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「いじめのある場所には必ず学級崩壊がある」


・「『言葉を重視する教育』 + 『教室は社会の縮図』」


・「『ほめ言葉のシャワー』 + 『成長ノート』」 


・「親が『バカ』『ダメ』といったネガティブな言語を多用し、その結果子どもも教室で
  そういう言葉で仲間をののしるような状況になっている」


・「最後のゴール『公の社会に強い自分になる』に定め、導いていく 」






もう一つ、再々掲載となりますが、布施鋼治さんの
「東京12チャンネル運動部の情熱」①を載せます。
静岡県には現在もテレビ東京系列のテレビ局はなく、
わたしは静岡ローカル局曲で放送する一部の番組しか知りません。
低予算を工夫や努力で乗り越えせっかく定着しつつあるものを
他キー局に奪われる辛さ… その熱さを感じると共に、頑張れと応援したくなる本です。








<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト







ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。








☆「学級崩壊立て直し請負人」菊池省三 構成:吉崎エイジーニョ 2013年 ①

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◇構成者前書き 

 吉崎エイジーニョ 
   1974生 吉崎英治 ライター


□菊池省三 
   学級崩壊立て直し請負人



□2012年~ 全国メディア

   NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」

日本テレビ「NEWS ZERO」

テレビ東京「たけしのニッポンのミカタ!」

平日は通常勤務  終末は全国講演活動



□「いじめのある場所には必ず学級崩壊がある」

 ◎「言葉を重視する教育」

 ◎「教室は社会の縮図」    



□1987(昭和62)年6年生担任としての出会い 

 ◎「ほめ言葉のシャワー」
 
 ◎「成長ノート」 





◇はじめに
 
□北九州市の荒れた学校 - 普通の先生では担任しきれない状況
心の病で休職した先生 年間5274人〈2011年度 文科省〉

 ◎「子供が普段日中の約八時間過ごす学校の場を立て直す」
             
         ∥
      
  日本社会全体で改善すべき問題
 


□親に情報が足りないせいで、子どもに「公」という大事なものが教えられていない状況   
 今の親の世代
  ~ 情報からの孤立

  ◎ 親が「バカ」「ダメ」といったネガティブな言語を多用し、その結果子どもも教
   室でそういう言葉で仲間をののしるような状況になっている 

  → 学級の仲間を知ろうとしない

知る方法も知らないから学級崩壊・いじめへと向かう状況になっている



  ◎ これを解決するためには「言葉」しかない
      
  ◎ 言葉によって子どものコミュニケーション能力を高めるしかない
    
           ∥

  ◎ 価値語(菊池氏造語-考えや行動をプラスに導く言葉)を教室に浸透させる   

 1991~ 積極的に「コミュニケーション教育」
     
  2大作戦
  
    ① ほめ言葉のシャワー  

        帰りの会 とにかくほめる
 
    ② 成長ノート      

        先生と1対1 対話ノート 毎日学校で      

  ◎「我慢」「眺めること」を続けながら「価値語」が浸透していくように方向付ける


  ◎ 最後のゴール「公の社会に強い自分になる」に定め、導いていく 

 

□本書の2大ポイント

 ① 家庭でも活用できる方法


 ② 個々の成長のリアリティを伝えていく

小さな出来事 ~ 「それは社会=公とつながるもの」

 ◎ 教室は社会の縮図

 

□Aさん  

 出会いは大切なタイミング ~ 「先制」

 5月下旬 - 最初のシャワーの順番

 

□Bさん  

 ひと言もしゃべらない 眺める

 非日常の場を生かす + 褒め合う集団を作る

 

□Cさん  

 女子バスケットチーム 

 長時間掛けて「教育とは時間が掛かるものだ」
  
 ◎ 変化に向けた手を打ちながら時を待つ 
       
  → そういう我慢の時間が年々増えている

 

□Dさん  

 子どもより親が変わったケース 

 不登校からの立ち直り

 

□Eさん  

 5年までのクラスのボス  

 クラス全体のレベルが上がり変化

 

□K小学校 

 3~4年持ち上がり 

 半分は四年間担任 2クラス
      
 ディベート 











☆「東京12チャンネル運動部の情熱」布施鋼治 集英社 2012年 ①【再々掲載 2015.10】

<出版社の案内>

日本で初めて、サッカーW杯や箱根駅伝、アリの世界戦を中継したのは?ローラーゲーム
やキックボクシング、女子プロレスのブームに火をつけたのは?それは“テレビ番外地”
を舞台に奮闘した伝説の男たちだった!熱き昭和のスポーツ裏面史を活写する渾身のノン
フィクション。
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◇まえがき

 12チャンネル 敏腕プロデューサー 運動部部長 白石剛達

 白石一家

 昭和40年代 
  「3強1弱1番外地(東京12チャンネル)」



◇12チャンネル運動部の夜明け(昭和42~43年)

□初代運動部部長 白石剛達という男

 12チャンネルの母体は日本科学技術振興財団

  科学技術の普及目的 = お堅いテレビ局



□昭和39年4月12日開局
 
 当時白石はレスリング全日本チームの強化コーチと早大レスリング部監督



 昭和39年8月1日付で入社 35歳
事業普及部部長


  
□昭和39年10月10日

 「題名のない音楽会」公開放送コーディネート
オリンピック選手村シアターで

 3本柱 
  ① 科学技術学園工業高校

  ② 科学技術館

③ テレビ事業本部 

  ※ 経営は数百社からの1回百万円の寄付による



 ◎ 不況により営業

  2年後 
     昭和41年放送時間5時間半に(うち3時間通信制高校講座)

182名の大量リストラ

  

□早稲田大学新宿夜間部

 白石 海軍兵学校78期生



    元の中学に復学 

 2年後第一早稲田高等学院(理工科系)入学


 レスリング部
暴れっぷりは「早稲田大学新宿夜間部」


 
□昭和42年4月1日 

 運動部 - 編成局編成部参与に抜擢

 東京本部長:村木武夫(住友工業副社長)

◎ 視聴率本位に


 
□昭和44年11月1日 

 日経新聞が経営に参画


 
□昭和48年11月1日 

 教育専門局 → 一般総合局


 
□昭和50年10月1日 

 中川順(すなお)社長
   翌年黒字
    

 
□昭和56年10月1日 

 東京12チャンネル

 → テレビ東京    


 
□3大都市ネットワーク 

 S57テレビ大阪 

 S58テレビ愛知

 

□プロ野球中継スタート

 昭和42年4月11日~  

  プロ野球ナイター中継
  サンケイアトムズVS広島カープ 19:00~21:30 1.3%     
  
 主にサンケイ・大洋ホエールズ・東京オリオンズ3チーム
  野球中継に教育をトッピング

  

□東京スタジアムの風景

 球団広報は橋爪四郎(ヘルシンキ1500m自由形銀メダリスト)

南千住(荒川区)



□男の約束がつかんだ巨人戦

 昭和42年4月29日 巨人戦 こぼれたゲーム 12.9%

  

□バックスクリーンからの映像を導入 

 12チャンネル 野球中継 
   わずか3台で → 予算

 ◎初 「SBO」表示 S43~

◎初 「バックスクリーンから」 S49~

  

□マイナー競技に光を当てた「サンデースポーツアワー」

 アマチュアスポーツ中継を13時から3時間

サッカー ラグビー テニス アイスホッケー ハンドボール

 アメリカンフットボール リトルリーグ
    


□昭和42年10月1日 

 メキシコオリンピック代表選考会 ボクシング   
2%とれれば上出来

     |

 ◎ アマチュアスポーツとの絆が強くなる

  

□負けてたまるか男子バレーボールの逆襲
 
 松平 屈辱  男子バレーボールを扱うように

 ◎ 松平一家の一員になる

 ◎ 男子バレーをよく見せるために工夫と努力

    ※「ブロック用カメラ」 
 
    ※「監督にワイヤレスマイク(ピンマイク)」

  バレーが開いた東ドイツとの国交

  

□世界への窓「ダイヤモンド・サッカー」

 昭和42年夏 サッカー担当 寺尾皖次(静高)


 「ダイヤモンド・サッカー」S43~S63 

 
 前身S43.4.13~ 「イギリスプロサッカー」
解説 岡野俊一郎 実況 金子勝彦

    編集に時間 1年以上のタイムラグ

        「ロンドンタイムズ」丸善から


  
□S43.10「三菱ダイヤモンドサッカー」

 日曜午前10時へと移動 = 選手が見られるように

  

□西ドイツワールドカップ衛生生中継

 S49(1974)
   西ドイツでのワールドカップ放送権獲得に

  7.7決勝生中継

 ◎金子勝彦 サッカーへの愛を語る


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