浜松市 慈光院(出典不明) / 「三遠信 第一巻」新栄社 1990年 /『灯し続けることば』大村はま 小学館 2004年 ③【再掲載 2012.4】 [読書記録 一般]
今回は、「慈光院」「三遠信」を紹介します。
慈光院は、浜松市中区街中にある臨済宗方広寺派のお寺さんです。
住職をされていた藤森弘禅さんが、昭48年から昭和58年まで第6代管長を務められていました。
「三遠信」とは、
豊橋市を中心とする愛知県の東三河地方、
浜松市を中心とする静岡県の遠州地方(西遠、中遠)、
飯田市を中心とする長野県の南信州地域(信濃の南部)の県境を跨いだ地域の呼称です。
三河と遠州と信濃が力を合わせて行こうという動きで、
三遠南信道が部分的にできあがっています。
もう一つ、再掲載となりますが、大村はまさんの
「灯し続けることば」③を載せます。
98歳まで現役の教師であり続けられた大村はまさんの言葉に励まされます。
「…これとこれをしなくてはならないのに、子どもが『やりたい』と言わないからやらな
いというのでは、教育にはならないのではないでしょうか。…」
「子ども中心の授業観」に対しての言葉で、もやもやしていたものが飛びました。
本書が17年経った今でも出され続けているとのこと。納得します。
今夜は自治会の会合。
まだまだ慣れません。
大きな役ではありませんが、自分の役割を果たしていきます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。

<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆慈光院(浜松市)
円覚山慈光院
臨済宗方広寺派
心田順一禅師
570年前 - 新橋町・大通院 的田一着の高弟
室町時代禅宗黄金期
本尊・薬師如来(恵信作)
脇童子(春日作)
奥山方広寺 第6代管長・藤森弘禅老大師
大正14年慈光院に誕生
昭和43年中川宗渕にかわり老師に
仏舎利塔(お釈迦様のお墓)
聖観世音菩薩
観音様のもとの姿 - いろいろな願い
天台宗が仏教の大本
仏像もと11頭身
→ 日本人向けに7頭身 インド・ひげとちんじゅ
座禅 = 共に苦しい = 苦しいのは一人だけじゃない
☆「三遠信 第一巻」新栄社 1990年
□山岳宗教
古来からの山岳宗教 + 仏教
→ 新山岳宗教 = 修験道
花祭り・霜月神楽
白山信仰
- 秋葉山を拠点に広がる
□秋葉山
室町時代から
火の神を祀る山岳宗教の山
三尺坊(信濃の人 飛行自在,鎮火の法)信仰
→ 五代綱吉のころ江戸町民に流布
秋葉信仰
道者により神符・神札が各家庭に勧請
|
◎ 焼き畑卓越地帯 = 造成に火入れ
↓
◎ 秋葉講 講中による月参り・代参
山住神社
お犬様 盗難除け,野獣・霊獣除け
山住講 オヒマチ,代参
□宗良親王隠れ里
1338年 遠江白羽湊 宗良親王 - 難破船から
皇子 尹良親王 合戦死 80年余り
遠江~信濃 壮烈な南北朝戦乱
宗良親王
後醍醐天皇の第八皇子
幼くして妙法院門跡 → 天台座主
|
1335 足利尊氏挙兵 - 倒幕軍
遠江・井伊谷 井伊道政・高顕父子の元
↓
◎ 信濃に逃れ越後・越中放浪の旅
→ 香坂高宗・大河原(長野県大鹿村)に居
□中馬の道
伊那街道(三州街道)「中馬の道」
馬頭観音
… 馬の無事息災 安産などを祈って建てられた
中馬 = 馬による物資輸送 一人で3~4頭
岡船 一頭100㎏
中間の飯田
一日「出馬千匹入馬千匹」
出 … 柿・椀・煙草・元結
入 … 茶・塩・魚・綿
↓
※ 塩の道
□秋葉街道
遠山谷では鬼が舞い,秋葉山では天狗がかける
(霜月祭り) (火祭り)
東国古道 - 秋葉街道
修験道ルート 越後-信州-遠州
三尺帽という修行者により秋葉修験が定着
秋葉功徳
① 合戦の際 弓矢や刀剣から身を護る
② 火災防除
近世 慶長8年(1603)
貞享2年(1685)秋葉祭り
③ 洪水沈没の難除け
東西の道
南北の道
共通の文化
・石葺き屋根 ・送り神 ・焼き畑農業 ・秋葉講・庚申講
・石造物文化 ・霜月祭り・花祭り・神楽
∥
※ 文化の大動脈
☆『灯し続けることば』大村はま 小学館 2004年 ③【再掲載 2012.4】
<出版社の案内>
「国語教育の神様」とまで言われた国語教師・大村はま、98歳になる今日までの著作・
執筆から選びだした珠玉のことば52本と、その周辺。自らを律しつつ、人を育てること
に人生を賭けてきた大村はまの神髄がここに凝縮された。 「熱心と愛情、それだけやれ
ることは、教育の世界にはないんです」「したことの悪さより、しかられた傷のほうが大
きいということはないでしょうか」「熱心結構、いい人あたり前です」「スタートライン
が一緒でも、ゴールには同時に入りません」「しかられ上手であることが必要です」etc.子
どもにかかわるすべての大人、仕事に携わるすべての職業人に、折に触れてページを開い
て読んでほしい。

◇そのほかのことは、うれしかった思い出にすぎません
子どもと遊ぶとか頭をなでるとか、そういうことも子どもへの愛情の一つの表現かもし
れませんが、それだけで愛情を表しきれるものとはお思いにならないでしょう。
教師としての子どもへの愛情は、子どもが私の手から離れたときに、人間として一人で
生きていく力を身につけさせることだと思います。
それができなかったら、子どもを愛したとは言えないのではないでしょうか。
国語教師としての私の立場から言えば、そのときに十分なことばの力が身についている
ということです。
日常の話したり開いたり、読んだり書いたりするのが十分で、何の抵抗もなくそれらの
力を活用していけるようになっていたら、それが私が子どもに捧げた最大の愛情だと思い
ます。
後になってみれば、一緒に遊んでもらった、頭をなでてもらったなど、そのほかのこと
は単にうれしかった思い出にすぎません。生き抜くときの力になっていない単なる愛は、
センチメンタルなものだと思います。
◇教師は、渡し守のようなものでしょう
卒業生がいつまでも遊びに来て、先生先生と慕ってくれるのがうれしいという方があり
ます。もちろん、そうでしょう。
でも私は、子どもが卒業していったら、私のことは全部忘れて、新しい学校、新しい友
達に慣れて、新しい自分の世界を開いていってほしいと思います。
教師は渡し守のようなものだから、向こう岸へ渡した子どもたちにはさっさと歩いてい
ってほしいのです。そして私はまた元の岸へもどって、次のお客さんを乗せてこぎ出すの
です。
「どうぞ新しい世界で、新しい友人と、新しい先生について、自分の道を開拓していって」
と思いつつ、子どもを見送っています。
◇興味を持つべきところに、子どもを連れて行くのが教師です
子ども中心の授業、子どもの興味・関心に沿った授業が、たいへんよいものとされてい
るようです。
でも、子どもというのは大変未熟な人たちで、自分が何に興味を持っているのか、よく
わからないことがしばしばです。
あるいは、ちょっとそれたほうに興味を持っていることもあります。
そんな人に「あなたの興味を持っていることは?」ときいて、そこから自然発生的に授
業をしようとしたら、大変レベルの低い、あるいは狭いものになっていきます。
これとこれをしなくてはならないのに、子どもが「やりたい」と言わないからやらない
というのでは、教育にはならないのではないでしょうか。
子どもがそのとき、興味を持つべきことに興味を持つように連れて行く、指導する、そ
れが教師だと思います。子どもの興味を大事にするけれど、ぜひ関心・興味を持ってくれ
なければならないことに、きっちりと、向けて行かなくてはならないのです。
ただ子どもの後をついていくのではないのです。かといって、先生の押しつけではあり
ません。
素人がやりますと、「人にすすめられた」「押しっけられた」という感じを与えてしま
いがちですが、本当の教師なら、ぐんと引っ張っても子どもはそんな気がしないで、自分
から発したもののように感じるのです。
そこが腕前です。
もちろん、それには時間をかけて、いろいろと工夫をします。ですから子どもは、それ
が自分の中からわいたものというような気持ちになって、学習を自分のものにする意識に
なるのです。
慈光院は、浜松市中区街中にある臨済宗方広寺派のお寺さんです。
住職をされていた藤森弘禅さんが、昭48年から昭和58年まで第6代管長を務められていました。
「三遠信」とは、
豊橋市を中心とする愛知県の東三河地方、
浜松市を中心とする静岡県の遠州地方(西遠、中遠)、
飯田市を中心とする長野県の南信州地域(信濃の南部)の県境を跨いだ地域の呼称です。
三河と遠州と信濃が力を合わせて行こうという動きで、
三遠南信道が部分的にできあがっています。
もう一つ、再掲載となりますが、大村はまさんの
「灯し続けることば」③を載せます。
98歳まで現役の教師であり続けられた大村はまさんの言葉に励まされます。
「…これとこれをしなくてはならないのに、子どもが『やりたい』と言わないからやらな
いというのでは、教育にはならないのではないでしょうか。…」
「子ども中心の授業観」に対しての言葉で、もやもやしていたものが飛びました。
本書が17年経った今でも出され続けているとのこと。納得します。
今夜は自治会の会合。
まだまだ慣れません。
大きな役ではありませんが、自分の役割を果たしていきます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。

<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆慈光院(浜松市)
円覚山慈光院
臨済宗方広寺派
心田順一禅師
570年前 - 新橋町・大通院 的田一着の高弟
室町時代禅宗黄金期
本尊・薬師如来(恵信作)
脇童子(春日作)
奥山方広寺 第6代管長・藤森弘禅老大師
大正14年慈光院に誕生
昭和43年中川宗渕にかわり老師に
仏舎利塔(お釈迦様のお墓)
聖観世音菩薩
観音様のもとの姿 - いろいろな願い
天台宗が仏教の大本
仏像もと11頭身
→ 日本人向けに7頭身 インド・ひげとちんじゅ
座禅 = 共に苦しい = 苦しいのは一人だけじゃない
☆「三遠信 第一巻」新栄社 1990年
□山岳宗教
古来からの山岳宗教 + 仏教
→ 新山岳宗教 = 修験道
花祭り・霜月神楽
白山信仰
- 秋葉山を拠点に広がる
□秋葉山
室町時代から
火の神を祀る山岳宗教の山
三尺坊(信濃の人 飛行自在,鎮火の法)信仰
→ 五代綱吉のころ江戸町民に流布
秋葉信仰
道者により神符・神札が各家庭に勧請
|
◎ 焼き畑卓越地帯 = 造成に火入れ
↓
◎ 秋葉講 講中による月参り・代参
山住神社
お犬様 盗難除け,野獣・霊獣除け
山住講 オヒマチ,代参
□宗良親王隠れ里
1338年 遠江白羽湊 宗良親王 - 難破船から
皇子 尹良親王 合戦死 80年余り
遠江~信濃 壮烈な南北朝戦乱
宗良親王
後醍醐天皇の第八皇子
幼くして妙法院門跡 → 天台座主
|
1335 足利尊氏挙兵 - 倒幕軍
遠江・井伊谷 井伊道政・高顕父子の元
↓
◎ 信濃に逃れ越後・越中放浪の旅
→ 香坂高宗・大河原(長野県大鹿村)に居
□中馬の道
伊那街道(三州街道)「中馬の道」
馬頭観音
… 馬の無事息災 安産などを祈って建てられた
中馬 = 馬による物資輸送 一人で3~4頭
岡船 一頭100㎏
中間の飯田
一日「出馬千匹入馬千匹」
出 … 柿・椀・煙草・元結
入 … 茶・塩・魚・綿
↓
※ 塩の道
□秋葉街道
遠山谷では鬼が舞い,秋葉山では天狗がかける
(霜月祭り) (火祭り)
東国古道 - 秋葉街道
修験道ルート 越後-信州-遠州
三尺帽という修行者により秋葉修験が定着
秋葉功徳
① 合戦の際 弓矢や刀剣から身を護る
② 火災防除
近世 慶長8年(1603)
貞享2年(1685)秋葉祭り
③ 洪水沈没の難除け
東西の道
南北の道
共通の文化
・石葺き屋根 ・送り神 ・焼き畑農業 ・秋葉講・庚申講
・石造物文化 ・霜月祭り・花祭り・神楽
∥
※ 文化の大動脈
☆『灯し続けることば』大村はま 小学館 2004年 ③【再掲載 2012.4】
<出版社の案内>
「国語教育の神様」とまで言われた国語教師・大村はま、98歳になる今日までの著作・
執筆から選びだした珠玉のことば52本と、その周辺。自らを律しつつ、人を育てること
に人生を賭けてきた大村はまの神髄がここに凝縮された。 「熱心と愛情、それだけやれ
ることは、教育の世界にはないんです」「したことの悪さより、しかられた傷のほうが大
きいということはないでしょうか」「熱心結構、いい人あたり前です」「スタートライン
が一緒でも、ゴールには同時に入りません」「しかられ上手であることが必要です」etc.子
どもにかかわるすべての大人、仕事に携わるすべての職業人に、折に触れてページを開い
て読んでほしい。

◇そのほかのことは、うれしかった思い出にすぎません
子どもと遊ぶとか頭をなでるとか、そういうことも子どもへの愛情の一つの表現かもし
れませんが、それだけで愛情を表しきれるものとはお思いにならないでしょう。
教師としての子どもへの愛情は、子どもが私の手から離れたときに、人間として一人で
生きていく力を身につけさせることだと思います。
それができなかったら、子どもを愛したとは言えないのではないでしょうか。
国語教師としての私の立場から言えば、そのときに十分なことばの力が身についている
ということです。
日常の話したり開いたり、読んだり書いたりするのが十分で、何の抵抗もなくそれらの
力を活用していけるようになっていたら、それが私が子どもに捧げた最大の愛情だと思い
ます。
後になってみれば、一緒に遊んでもらった、頭をなでてもらったなど、そのほかのこと
は単にうれしかった思い出にすぎません。生き抜くときの力になっていない単なる愛は、
センチメンタルなものだと思います。
◇教師は、渡し守のようなものでしょう
卒業生がいつまでも遊びに来て、先生先生と慕ってくれるのがうれしいという方があり
ます。もちろん、そうでしょう。
でも私は、子どもが卒業していったら、私のことは全部忘れて、新しい学校、新しい友
達に慣れて、新しい自分の世界を開いていってほしいと思います。
教師は渡し守のようなものだから、向こう岸へ渡した子どもたちにはさっさと歩いてい
ってほしいのです。そして私はまた元の岸へもどって、次のお客さんを乗せてこぎ出すの
です。
「どうぞ新しい世界で、新しい友人と、新しい先生について、自分の道を開拓していって」
と思いつつ、子どもを見送っています。
◇興味を持つべきところに、子どもを連れて行くのが教師です
子ども中心の授業、子どもの興味・関心に沿った授業が、たいへんよいものとされてい
るようです。
でも、子どもというのは大変未熟な人たちで、自分が何に興味を持っているのか、よく
わからないことがしばしばです。
あるいは、ちょっとそれたほうに興味を持っていることもあります。
そんな人に「あなたの興味を持っていることは?」ときいて、そこから自然発生的に授
業をしようとしたら、大変レベルの低い、あるいは狭いものになっていきます。
これとこれをしなくてはならないのに、子どもが「やりたい」と言わないからやらない
というのでは、教育にはならないのではないでしょうか。
子どもがそのとき、興味を持つべきことに興味を持つように連れて行く、指導する、そ
れが教師だと思います。子どもの興味を大事にするけれど、ぜひ関心・興味を持ってくれ
なければならないことに、きっちりと、向けて行かなくてはならないのです。
ただ子どもの後をついていくのではないのです。かといって、先生の押しつけではあり
ません。
素人がやりますと、「人にすすめられた」「押しっけられた」という感じを与えてしま
いがちですが、本当の教師なら、ぐんと引っ張っても子どもはそんな気がしないで、自分
から発したもののように感じるのです。
そこが腕前です。
もちろん、それには時間をかけて、いろいろと工夫をします。ですから子どもは、それ
が自分の中からわいたものというような気持ちになって、学習を自分のものにする意識に
なるのです。