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キーワード「生徒指導」⑯ /「浜松古跡図絵」神谷昌志 明文出版社 1987年 ④【再掲載 2011.12】 [読書記録 教育]

今回は、6月 8日に続き、わたしの教育ノート(要約ノート)より、
キーワード「生徒指導」⑯を紹介します。


それぞれの出典、年度を記してありませんでした。
御承知願います。



今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「廊下でクラスの子とすれ違ったとき,必ず声を掛ける。すれ違った子供全員に声を掛
 ける。」


・「背骨で聞きなさい。背骨は第二の頭です。背骨がよく伸びていると第二の頭がよく働
  く。」


・「『菊づくりの菊を作る』教育 と 『百姓の葉大根を作る』教育」
- 菊もあれば大根も必要のが社会。
  菊ばかり育てようとしているのではないでしょうか。 
   

・「小学校時代からから友達にいじめられ,先生に見捨てられていた子どもたちが,ある
  時いじめる側に変わっていくのです。ここにいる子は,みんな友達にいじめられ、見
捨てられていた子どもたちなのです。」 ある非行少女学園次長の話





もう一つ、再掲載となりますが、神谷昌志さんの
「浜松古跡図絵」④を載せます。
社会科の授業でも活かせることがたくさん載っています。
昔の浜松の様子を知ることができる貴重な本だとわたしは思います。






<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。








☆キーワード「生徒指導」⑯


◇子供を動かす法則[組織]3原則9技能

 原則 
  (1)やることを示せ (2)やり方を決めろ (3)最後までやり通せ
  

(1)やることを示せ

  ① 問題場面を描ける


  ② 目標を具体的に絞り込め


  ③ 全員の子供のものにできる
  


(2)やり方を決める

  ① 仕事の内容を明確にする


  ② 誰がやるのか明確にする


  ③ いつやるのか明確にする
  


(3)最後までやり通す

  ① ときどき進行状況を確かめる


  ② 前進した仕事を取り上げほめる


  ③ 偶発の問題を即座に対処する





◇一人一人を
  
◎ 放課後,子どもたちの顔を思い浮かべる


◎ 廊下でクラスの子とすれ違ったとき,必ず声を掛ける。すれ違った子供全員に声を掛
 ける。





◇騒がしい子
  
原因 

 ・ 言っていることが分からない


 ・ 何をするか分からない
  
  → エネルギーとして+の方向に


 ・ どうやればよいか分からない


 ・ 退屈なとき,飽きたとき





◇集中力
 
 指示 

  ・ 背骨で聞きなさい。背骨は第二の頭です。背骨がよく伸びていると第二の頭がよ

   く働く。


   
      ◎ 不必要な緊張は避ける





◇栽培教育
  

「菊づくりの菊を作る」教育 と 「百姓の葉大根を作る」教育





◇特別少年院院長の話
  
「 ここに入ってくる子どもたちの原因はいろいろある。しかし,どの子にも共通してい
 ることが3つある。

第1は,小さいときから今まで褒められた経験がないことである。

  第2は,小さいとき辛いままい゛何かをやって成就感を抱かなかったことである。   
  第3は,大人に対する根強い不信である。」





◇非行少女学園次長の話
  
「小学校時代からから友達にいじめられ,先生に見捨てられていた子どもたちが,ある時
 いじめる側に変わっていくのです。ここにいる子は,みんな友達にいじめられ、見捨て
 られていた子どもたちなのです。
 どうか先生,このことをお考えになって一人一人に手をさしのべていただきたいので
 す。」





◇カーネギー 「人を動かす」
  
 1 人間は,批判や非難では,本当のところは動かすことができない。 


 2 自ら動きたくなる気持ちを起こさせること。





◇いじめっ子の家庭 小林剛(福井大)
  
要因 

 ① 家庭の能力主義  


 ② 過保護・溺愛 


 ③ 管理過干渉


 ④ 体罰や叱責が多い 


 ⑤ 放任



 ◎ 欲求不満・愛情飢餓・情緒不安





◇いじめ対策
  
 学級会 

 →「今まで一番辛かったこと,今辛いことを言い切る会」










☆「浜松古跡図絵」神谷昌志 明文出版社 1987年 ④【再掲載 2011.12】

※サブタイトルに
 「古絵図と懐かしの写真でつづる」
 と記されています。
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◇古代の森神明宮と名族蒲氏

 神立町 
   袖紫ケ森 

   総社蒲神明宮 

   昔「蒲大神」



 蒲24郷の村々 
   蒲御厨-伊勢神宮の社領



 蒲氏 
  - 寄進し自らは荘官(蒲検校職)

内宮と外宮を勧請

    ◎蒲冠者範頼(源範頼)と深い関係 
       龍泉寺あたりが別荘跡





◇豪華権現造り五社諏訪の社殿

 浜松市内上位ランク 

   五社諏訪神社「特級」

   今2社併祀





◇ざざんざの松の伝承と八幡宮

 野口町の一角
   「浜松名称起源颯々之松」史跡碑

1432年 足利義教「浜松の音はざざんざ」



 八幡宮境内
   往古は小沢渡 → 平安938年野口に遷座

   遷座の時白狐2本の松をくわえ 
       
   ◎1本小沢渡町(音羽の松)   ◎1本野口町(ざざんざの松)





◇白隠禅師の「八重葎(むぐら)」

高塚町・地蔵院に白隠禅師の「八重葎」の版本
    (本堂の一角に白隠禅師を乗せた籠が展示されています=ハマコウ註) 


「駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠」
                         江戸中期


四人娘(小野田家)の物語 
   高塚四娘孝記

   ◎小野田家・麦飯長者(地域に伝説が残されています)





◇庶民信仰の証・江戸時代の御札

木版刷り 
   楊子村・林泉寺の御札
    (亡くなられたI大先輩が住職をされていました。脊椎カリエスで療養していた川田
     晴久を美空ひばりが見舞いに訪れたことが地元では知られています=ハマコウ註)   
   曹洞宗・毘沙門天像





◇信仰の道に残る江戸時代の道標

道標 街道の分岐点


旧街道 
   本坂道(姫街道) 
   奥山道 
   秋葉道
   庄内道 
   不動道 
   宇布見道(雄踏街道)
   笠井道
   掛塚道
   金指道





◇瞬養学校から浜松中学へ    

浜松城内に瞬養学校 明治8(1875)年開校

教員養成目的 全身は明治7(1874)年浜松学校内小学陶成科

教員は文部省から渋江保(渋江抽斎の七男)



 明治9(1876)年 浜松県廃され静岡県になり
静岡師範学校浜松分校 → 浜松変則中学校

明治11(1878)年 浜松中学校 →明治19年一県一校により廃校

→ 法律改正に伴い

明治27(1894)年4月 静岡尋常中学校浜松分校として元城の一角に

明治28(1895)年 浜松中学校





◇日本で最初の「世界地図帳」の発行

明治11(1878)年 
   世界地図帳 浜松市連尺町の一貫堂より





◇渡世人浜松の小政と小松村の七五郎

 小政
   浜松宿新町の生まれ 本名・吉川冬吉 

  浜松監獄にて明治7(1874)年5.29獄死



七五郎
   義理人情 石松・道本の地蔵堂前で殺される

  子分を持たない一本立ちの「はんか打」
     
   松本家の家付き娘と夫婦に





◇明治年代医学士の浜松往来

浜松病院附属医学校教員として太田用成招へい 
「七科約説」 上下二巻翻訳刊行 明治12(1879)年


福嶋豊策 
   明治12(1879)年浜松病院長 のち開業

日楽の山葉寅楠を浜松に呼んだ


 ベルツも浜松に 明治25(1892)8.28





◇金原明善の人名記と印章

中央政財界と交友 
   上下二巻『人名記』(記念館)-いろは順
 

 多くの書






◇東海道線浜松停車場と機関車 

東海道線全線開通 明治22(1889)年7月


浜松駅
   明治21(1888)年9月

浜松-豊橋間の完成が早かったため  天竜川架橋に手間取る

   明治31(1888)年時刻表
     浜松-名古屋間 3時間55分

     一日ダイヤ 上り3本 下り3本


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