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大村はまさんはこんなことを ⑩-「教師大村はま96歳の仕事」小学館 (6) /「生涯一年生教師物語 - 第9章 阪神大震災時代」 鹿島和夫 月刊『少年育成』より ②【再掲載 2012.11】 [読書記録 教育]

今回は、8月21日に続いて、大村はまさんの
「大村はまさんはこんなことを」の紹介10回目です。
「教師大村はま96歳の仕事」の要約6回目です。


出版社の案内には、


「国語の教師生活52年。徹底して子どもを見すえた大村の実践は、自主的な学びが称揚
 される時代にあって、教えることの真髄として、今再び広く注目を浴びている。96歳
 の1年間の講演と仕事をまとめる。講演CD付き。」


とあります。



この「裾を持ちなさい」はこれまで何回か拙ブログで紹介してきました。


- 小言を含んだ言い方ではなくて、具体的で必ず成功できることを指示できてこそ教師
 ではないかなと考えて暮らしてきました。

この一文を頭の片隅にいつも置いています。




もう一つ、再掲載となりますが、月刊『少年育成』誌より鹿島和夫さんの
「生涯一年生教師物語」第9章阪神大震災時代②を載せます。
随分前の記事ですが、今でも記憶に強く残っています。








<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。







☆大村はまさんはこんなことを ⑩-「教師大村はま96歳の仕事」小学館 (6)

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◇「裾を持ちなさい」

 昔は夏には蚊帳を吊ったんですが、ご存じですか。


 蚊帳を吊ってその中で、私達子どもはみんな寝巻きを着て、お母さんにうちわであおい
でもらいながら寝込むんです。


 それで朝になると、部屋いっぱいに吊ってあった大きな蚊帳を、たいていお兄さんとか
お父さんとかが畳みます。


 子どもにできることではありません。


 だから、そのころはお父さん達は蚊帳畳みで大変だったと思います。


 私達は寝るときに浴衣を着て寝ました。


 その浴衣をそのまま置いておいてはいけないのですが、いくらやってもきちんとは畳め
ません。


 私はその浴衣を

「もう少しきちんと畳んでください」

って言われないように、四苦八苦していたんです。


 でも、どうやってもうまくいかなくて因っていたときに、通りがかった母が私にひと言、

「裾を持ちなさい」。



 浴衣を想像してください。


 そうするとおわかりになると思いますが、両脇に脇縫いというのがありますね。


 そこの裾を持って肩を持つと、ぴんと長方形になるんです。


 そこを持たないで上の方を持ってきちんと畳もうとしても、だらしなく斜めになったり
してきちんとできません。


 母は何気なく廊下を通りながら、私と姉に

「裾を持ちなさい」

って言ったんです。


 私はそれで、浴衣をあっという間にきれいにきちんと畳めるようになりました。


 少女の頃の話はこれで終わりにします。




 私がおとなになり、教師になり、いろいろなことをいろいろな人に

「こうしなさい、ああしなさい」

という身分になりました。


 単元学習を考えたとき、私は生涯、

「きちんと畳みなさい」という言い方をせずに、

「裾を持ちなさい」

と言えるような教師でありたいと思ってきたことに、自分で気がつきました。



「姿勢をよくしなさい」


「なんとかしなさい」

ではなくて、自然にそうなっていくようにするのです。


 姿勢をよくしなければならないのなら、自然にそうなるような一言が欲しい。


 きちんと畳みなさいという小言を聞くのではありません。


 また 

「あなたは、きちんと畳んでないじゃないの。きちんと畳みなさい」

と言うのは、命令するだけではなくて責めるところがあります。

「だめですよ」

でやめては、教師はだめなんです。


「裾を持ちなさい」。


 これはおかしいようですが、今に至るまで教室の仕事をしている中で、しよっちゅう私
の頭の中を走っています。


 子ども達に「きちんと畳みなさい」式のことを言ってはだめ。


「きちんと畳みなさい」と言う人ではなく、「裾を持ちなさい」と言う人に、ぜひなりた
い。


 そしてそれをやれば、確実にきちんと畳める。


「どうしなさい」でなく、そのことが、確かにできるようになるような、そのひと言を言
いたいのです。



 私が今も、いくつもいくつも大切にしている言葉があります。


 私はたくさんのおとなの人、先輩から貴重な言葉をもらって自分で歩いてきていること
に感謝しています。


 なかでも、この「裾を持ちなさい」は大切な言葉で、新しい指導の方法として単元学習
指導の真髄だと思っているのです。


 どうかして、「きちんと畳みなさい」といった棘を含んだ、人を責めるような、そんな
言い方、なんらかの努力をしないとできないようなことを言うのではなくて、「裾を持ち
なさい」と言いたい。


 裾ぐらい持てますよね。


 そうすれば確実にきれいに早く畳める、そういうことを言いたいと思います。


 小言を含んだ言い方ではなくて、具体的で必ず成功できることを指示できてこそ教師で
はないかなと考えて暮らしてきました。















☆「生涯一年生教師物語 - 第9章 阪神大震災時代」 鹿島和夫 月刊『少年育成』より ②【再掲載 2012.11】

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◇第9章 阪神大震災時代

2 直下型阪神大震災

 1995年1月17日,午前5時46分,淡路島を震源とする地震が発生した。


 淡路島北端周辺の地下で活断層がずれて,大地がドーンと突き上げられてたたきつけら
れた。


 マグニチュード7.3の直下型大地震が阪神地方を襲ったのである。



 被害は,兵庫県,大阪府を中心に,2府12県に及ぶ。死者約6千人,負傷者約4万人,
倒・損壊家屋は約11万棟となり,関東大震災に次ぐ、未曾有の大惨事となった。


 ぼくの住む東灘区では,高速道路が十ケ所以上陥没し,約500m以上も山側にむかって
倒れこんでいた。


 あちこちで,黒い煙。道路が潰れ,ビルが倒れた。そして,多くの人が,瓦礫に埋もれ,
生き埋めになり炎の中に包まれて死んでいった。


 これが、ぼくの体験した阪神大震災の規模である。


 家に帰った時、この辺りでは、ぼくの家だけが残っているということに、神か仏のお加
護ではないかと感謝したものだったが、何故か、この家を建てた建築会社の販売員とのや
りとりを思い出していた。


 会社の名前は、○○ホームといった。


 この家は、3年前に建て直したものである。木造住宅であるが、ツーバイフォー方式で
建てられている。


 以前の家だったらひとたまりもなく全壊していて、家族は、瓦蝶の下に埋もれてしまっ
ていただろう。


 太田という名の販売員が、ぼくにいった。


「実は、3階建ての家を建てるのにあたって、この土地のボーリング調査をしたところ、
 すこし軟弱なので、基礎工事を普通の二階建ての家よりも、頑丈にしなければなりませ
 ん。そのためには、敷地面積と同じだけの広さの土を約1メートル程の深さだけ取り去
 って、その代わりに、鉄筋コンクリートの基礎工事をほどこさなければならないのです。
 追加費用が、300万円必要になります」


 ぼくは、それを聞いてむっとしたものだった。


 3階建ての家を建てるというのは、最初からの契約で決まっていたではないか。


 その時には、ボーリング調査費用は、予算には、計上されていない状態で契約を取り付
けて、後で、3階建てにするのには、調査が必要なのだといってきたことも、納得できな
いことであった。


 その調査費用が100万円も必要なのだ。


 その上、追加予算をいってきたものだから、ぼくは、合計400万円を別途に工面しなけ
ればならなくなった。


 手持ちの費用は、建築費用だけで、ぎりぎりである。


 借りれるところから借りてしまっている。この上、どこから400万円という費用を捻出
すればよいのか。


「ボーリングなんかもすることないのに。その上基礎のための鉄筋コンクリートを入れる
 なんて、必要ないですよ」


 ぼくは、なぜ最初から予算に計上してくれていなかったのかと不満を抱きつつ、撫然と
していった。


「お言葉ですが、このやり方は、○○ホームの方針なのです。基礎基盤をきちんとしてお
 き、地震に強い家を建てておきたいのです」


 ぼくには、地震といわれても実感がなかった。


 げんに、この阪神地域には、千年来大きな地震がきたことがないではないか。


 火災保険の勧誘員も、火災保険の勧誘をするとき、地震保険を付帯しないでもいいとい
うぐらいなのだ。


 実際に、この地の人たちは、地震保険を付けている人は、約3%ぐらいしか入っていな
いといわれている。


 太田販売員は、ぼくの怒りを無視して、頑固にも自分の主張を曲げなかった。


「当社の製品は、ツーバイフォーで建てていますので、震度7ぐらいまでだったら、びく
 ともしないように設計されています。そのためには、基礎工事をきちんとしておかなけ
 ればならないのです」


 契約は、締結されている。


 ぼくは、もう後には、引けないのだ。


 地震なんか来るはずがないのに、基礎基盤を1メートル分も掘らなくてもいいのにとい
う不満があったのだが、ぼくは、しぶしぶ了解したのである。


 そのとき、ぼくにとっての追加予算は、痛手だった。


 なんとかやり繰りをして、その場をしのいだものだった。



 太田販売員のいったことが実証されたことになった。ぼくの家は、震度7の地震にも、
見事に耐えて建ち残ったのだ。


 あのときの基礎工事が、生かされていたのである。


 頑固に、会社の主張を押し進めてくれたことが、ぼくの家族を救ったのだ。



 地震に強い家を建てるということは、会社の方針だったのだろう。だから、太田販売員
も、ぼくの要求を聞き入れることをしなかったのだろうが,あのとき,予算が無いという
ことで,ぼくの窮状をみかねて,基礎をきちんとしないで,そのまま黙認し,手抜き工事
をしていたならば,無惨にも全壊の憂き目にあっていて,家族の命までも失ってしまって
いたかもしれないのである。


 現に,近所の家で,この間,新築したはずなのに,横転して倒れてしまっている家があ
ったのを見ると,基礎工事というものが大切なことを実感したものだった。


 家族は,生き残ったことを心から感謝した。


 ぼくの動めている学校は,湊小学校という。


 JR神戸沢の南側に位置する。


 よって,校区に住む子どもたちの家庭も,ぼくと同じような地震の被害に遭っている。


 命を落としている子どももいるやも知れない。


 なのに,教師であるぼくは,自分のクラスの子どもたちのことを考える余裕がなかった。


 ぼくは,精神的に追い詰められていたのだった。


(続きが気になるところですが、ありませんでした=ハマコウ註)


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