「子どもを変えた親の一言作文25選」明治図書出版 1998年 ⑤ /「昭和の仕事」澤宮優 弦書房 ②(後半)2010年【再掲載 2013.12】 [読書記録 教育]
今回は、8月30日に続いて、明治図書出版の
「子どもを変えた親の一言作文25選」の紹介 5回目です。
編集は野口芳宏さん、水野茂一さん、向山洋一さん。
サブタイトルに「教室で読み聞かせ:子どもの作文珠玉集」とあります。
子どもらしい作文、心にしみます。
今回紹介する2つは「いじめ」に関係する作文です。
それぞれ、対応する保護者の言葉が参考になります。
もう一つ、再掲載となりますが、澤宮優さんの
「昭和の仕事」②を載せます。
還暦を過ぎたわたしにも知らない仕事がたくさん載せられています。
しかし筆者はわたしよりもお若いのです。
同世代でわたしだけが知らないだけかもしれませんが。
-人が欲も名誉も求めず、自分の仕事に誇りをもって一日一日を大切に生きた時代の仕事
よい言葉ですね。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「子どもを変えた親の一言作文25選」明治図書出版 1998年 ⑤
12.いじめられたこと YMさん(1年)
いじめられて、「ただすけべ」といわれた。
ぼくは、かなしい気もちになった。
(人をきずつけるようなことをいうなんて。)
(自分だっていわれたら泣くくせに。今どあったら、同じようなことをいってしかえし
してやろう。)
ぼくは、同じようなことをいってやった。
そしたら、また、いわれた。
ぼくは、むかっとした。
今ど、おかあさんにいおう。
だけど、やっぱりよそう。
(おかあさんにいったって、どうにもならないし、しんばいかけるだけだ。)
ぼくは、もう、どうすることもできない。
だって、はじめは、一人だったのに、いう人がだんだん多くなったからだ。
それに、もっと、ひどいことをいわれるようになった。
(だれか、たすけてくれ。)と、こころの中でさけんだ。
かなしくて、なきたいのをがまんしていえにかえった。
ドアをあけると、おかあさんが、
「おかえり、どうかしたの? 元気がないようだけど。」
といった。
ぼくは、
「なんでもないよ。」
といったけど、おかあさんに、
「なにかあったんでしょう。いってごらん。」
といわれ、今までのことをはなした。
すると、おかあさんは、
「そんなことぐらいで、くよくよしないのよ。」
といって、大きなこえでわらった。
ぼくは、おこった。
「人のきもちもしらないで、どうしてわらうの、ぼくが、ただすけべといわれてもへいき
なんだね。」
といった。
「ぼうりょくを、ふるわれたわけではないのだから、いいじゃないの。」
ともいわれた。
(どこがちがうの、ぼうりょくをふるわれたのと同じじゃないか、ことばの、ぼうりょく
だよ。)
ぼくは、なみだが、あふれそうになった。
そのあと、おかあさんといろいろはなした。
少しきもちが、らくになった。
おかあさんのいうとおりだ。
ぼくが、あいてにしているからいつまでも、おもしろがっていっているんだ。
これからは、あいてにしないでほっておこう。
いつかは、いわなくなるだろう。
でも、しばらくは、きっというだろうな。
つぎの日、学校にいくと、やっぱり、いわれた。
でも、まえほど気にならなくなった。
どんなことをいわれても、むしした。
すると、だんだんいわれなくなった。
それに、おもしろいのは、ぼくのみかたが、どんどんふえたことだ。
うれしかった。
もう、へいきだ。
これからだっていろんなことがあるとおもう。
でも、ぼくは、まけない。
おかあさんに、
「今どのことで、ぼくは、つよくなったよ、それに、人の気持ちが、わかるようになった。」
といったら、おかあさんは、
「そう、それはよかったね。いじめられたこともむだじゃなかったね。」
といってわらった。
13.ごめんね まあ君 GKさん(1年)
今日、学校の帰りに一年一組の子が、まあ君をいじめていました。
ぼくも、ついついいじめてしまいました。
家に帰って、そのことをお母さんに言ったら、いきなりほっペをたたかれました。
お父さんは、仕事ばから上って来て、
「自分がいじめられたら、どんなにいやか、よく考えて、まあ君にあやまりに行きなさい。」
と言いました。
ぼくは、お父さんにこんなにしかられたのは、はじめてです。
ぼくは、本とうにわるいことをしたと思いました。
雨が、ザアザアふっていました。
ぼくの、胸はドキドキしました。
きいろのかさをギュッともって、まあ君の家に行きました。
げんかんのチャイムをおしたら、まあ君が出てきたので、ぼくは
「ごめんね。」
と言いました。
まあ君は
「いいよ。」
と言ってくれました。
ぼくの胸は、今までモヤモヤしてたのが、パアーツと晴れたみたいに、気もちよかった
です。
帰りに、まあ君のお母さんが「ありがとう。」って、言ってくれました。
ぼくは、もう二度と、お友だちをいじめません。
☆「昭和の仕事」澤宮優 弦書房 ②(後半)2010年【再掲載 2013.12】
<出版社の案内>
戦後、高度経済成長を経験した『昭和』という時代から学ぶことは多い。著者が注目した
のは忘れられた仕事の実態である。担ぎ屋、唄い屋、三助、隠坊、木地師、ねこぼくや、
羅宇屋(らうや)、ポンせんべい屋、よなげや、香具師、門付け、蛇取り師、カンジンどん、
まっぽしさん……。戦後引き揚げ者でもあるひとりの放浪詩人高木護の聞き書きを柱とし
て、生きるためにやってきた仕事、さらに各地で細々と続いている職人仕事なども含めて、
そこから見えてくるほんとうの豊かさと貧しさ、そして人はなぜ働くのか、その根源的な
意味を問いかける。
◇村へ舞い戻る放浪の日々(昭和30年 28歳)岩野村
28タフシバ工場共同経営
29座元(興業)
30石工見習い
31隠坊(おんぼう)埋葬・火葬
32立ちん坊(手配師)
33乞食見習い
34唄い屋
35拾い屋
36用心棒
37三助
38アベック
◇自然を放浪、そして人夫に(昭和30~34年 28~32歳)
39放浪 足かけ4年
40飯場人夫
41八幡製鉄所人夫 サークル村=谷川雁
42門鑑渡し
43沖中士
44製缶見習い
45ペンキ屋
46硝子工場人夫
47左官手習い
48夜警
49労働下宿の人夫
◇上京して仙人になる(昭和37年 36歳)
丸山豊(恩師)
松永伍一
川崎洋
未来社社長・西谷能夫
灰谷健次郎
「自分の人生のお手本であり高木さんは一種の仙人ですよ。真似できるものではない。」
◇高木護が好きな作家
葛西善蔵、辻潤、車谷長吉
◇今も生きる昭和の仕事
竹細工 桑原竹細工店(八代市日奈久町)
日本最古のふりかけ
㈱フタバ(熊本市島崎) 「御飯の友」大正初期
一間羽子板 八代市本町の大岡治光氏
ポン菓子 吉村利子(北九州市) 実家は八尾市の橘家
㈱タチバナ菓子機社長 吉村利子氏
小学校教師 - 子どもたちの栄養不足解消を願って
京都大学の先生に依頼
昭和19年50万円を持って北九州へ 夏休みを利用して
八幡でポン菓子を作る → 教師を辞め九州に ポン菓子一筋
◇なぜ昭和の仕事は失われたのか
弱肉強食の競争社会
- 庶民の力では及ばない力
◇あとがき
「人が欲も名誉も求めず、自分の仕事に誇りをもって一日一日を大切に生きた時代の仕事」を残したい
→ 自分たちのやってきた仕事が形に残る喜び
◇澤宮優
1964(昭和39)年 八代市(旧八代郡鏡町)生
ノンフィクション作家
「子どもを変えた親の一言作文25選」の紹介 5回目です。
編集は野口芳宏さん、水野茂一さん、向山洋一さん。
サブタイトルに「教室で読み聞かせ:子どもの作文珠玉集」とあります。
子どもらしい作文、心にしみます。
今回紹介する2つは「いじめ」に関係する作文です。
それぞれ、対応する保護者の言葉が参考になります。
もう一つ、再掲載となりますが、澤宮優さんの
「昭和の仕事」②を載せます。
還暦を過ぎたわたしにも知らない仕事がたくさん載せられています。
しかし筆者はわたしよりもお若いのです。
同世代でわたしだけが知らないだけかもしれませんが。
-人が欲も名誉も求めず、自分の仕事に誇りをもって一日一日を大切に生きた時代の仕事
よい言葉ですね。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「子どもを変えた親の一言作文25選」明治図書出版 1998年 ⑤
12.いじめられたこと YMさん(1年)
いじめられて、「ただすけべ」といわれた。
ぼくは、かなしい気もちになった。
(人をきずつけるようなことをいうなんて。)
(自分だっていわれたら泣くくせに。今どあったら、同じようなことをいってしかえし
してやろう。)
ぼくは、同じようなことをいってやった。
そしたら、また、いわれた。
ぼくは、むかっとした。
今ど、おかあさんにいおう。
だけど、やっぱりよそう。
(おかあさんにいったって、どうにもならないし、しんばいかけるだけだ。)
ぼくは、もう、どうすることもできない。
だって、はじめは、一人だったのに、いう人がだんだん多くなったからだ。
それに、もっと、ひどいことをいわれるようになった。
(だれか、たすけてくれ。)と、こころの中でさけんだ。
かなしくて、なきたいのをがまんしていえにかえった。
ドアをあけると、おかあさんが、
「おかえり、どうかしたの? 元気がないようだけど。」
といった。
ぼくは、
「なんでもないよ。」
といったけど、おかあさんに、
「なにかあったんでしょう。いってごらん。」
といわれ、今までのことをはなした。
すると、おかあさんは、
「そんなことぐらいで、くよくよしないのよ。」
といって、大きなこえでわらった。
ぼくは、おこった。
「人のきもちもしらないで、どうしてわらうの、ぼくが、ただすけべといわれてもへいき
なんだね。」
といった。
「ぼうりょくを、ふるわれたわけではないのだから、いいじゃないの。」
ともいわれた。
(どこがちがうの、ぼうりょくをふるわれたのと同じじゃないか、ことばの、ぼうりょく
だよ。)
ぼくは、なみだが、あふれそうになった。
そのあと、おかあさんといろいろはなした。
少しきもちが、らくになった。
おかあさんのいうとおりだ。
ぼくが、あいてにしているからいつまでも、おもしろがっていっているんだ。
これからは、あいてにしないでほっておこう。
いつかは、いわなくなるだろう。
でも、しばらくは、きっというだろうな。
つぎの日、学校にいくと、やっぱり、いわれた。
でも、まえほど気にならなくなった。
どんなことをいわれても、むしした。
すると、だんだんいわれなくなった。
それに、おもしろいのは、ぼくのみかたが、どんどんふえたことだ。
うれしかった。
もう、へいきだ。
これからだっていろんなことがあるとおもう。
でも、ぼくは、まけない。
おかあさんに、
「今どのことで、ぼくは、つよくなったよ、それに、人の気持ちが、わかるようになった。」
といったら、おかあさんは、
「そう、それはよかったね。いじめられたこともむだじゃなかったね。」
といってわらった。
13.ごめんね まあ君 GKさん(1年)
今日、学校の帰りに一年一組の子が、まあ君をいじめていました。
ぼくも、ついついいじめてしまいました。
家に帰って、そのことをお母さんに言ったら、いきなりほっペをたたかれました。
お父さんは、仕事ばから上って来て、
「自分がいじめられたら、どんなにいやか、よく考えて、まあ君にあやまりに行きなさい。」
と言いました。
ぼくは、お父さんにこんなにしかられたのは、はじめてです。
ぼくは、本とうにわるいことをしたと思いました。
雨が、ザアザアふっていました。
ぼくの、胸はドキドキしました。
きいろのかさをギュッともって、まあ君の家に行きました。
げんかんのチャイムをおしたら、まあ君が出てきたので、ぼくは
「ごめんね。」
と言いました。
まあ君は
「いいよ。」
と言ってくれました。
ぼくの胸は、今までモヤモヤしてたのが、パアーツと晴れたみたいに、気もちよかった
です。
帰りに、まあ君のお母さんが「ありがとう。」って、言ってくれました。
ぼくは、もう二度と、お友だちをいじめません。
☆「昭和の仕事」澤宮優 弦書房 ②(後半)2010年【再掲載 2013.12】
<出版社の案内>
戦後、高度経済成長を経験した『昭和』という時代から学ぶことは多い。著者が注目した
のは忘れられた仕事の実態である。担ぎ屋、唄い屋、三助、隠坊、木地師、ねこぼくや、
羅宇屋(らうや)、ポンせんべい屋、よなげや、香具師、門付け、蛇取り師、カンジンどん、
まっぽしさん……。戦後引き揚げ者でもあるひとりの放浪詩人高木護の聞き書きを柱とし
て、生きるためにやってきた仕事、さらに各地で細々と続いている職人仕事なども含めて、
そこから見えてくるほんとうの豊かさと貧しさ、そして人はなぜ働くのか、その根源的な
意味を問いかける。
◇村へ舞い戻る放浪の日々(昭和30年 28歳)岩野村
28タフシバ工場共同経営
29座元(興業)
30石工見習い
31隠坊(おんぼう)埋葬・火葬
32立ちん坊(手配師)
33乞食見習い
34唄い屋
35拾い屋
36用心棒
37三助
38アベック
◇自然を放浪、そして人夫に(昭和30~34年 28~32歳)
39放浪 足かけ4年
40飯場人夫
41八幡製鉄所人夫 サークル村=谷川雁
42門鑑渡し
43沖中士
44製缶見習い
45ペンキ屋
46硝子工場人夫
47左官手習い
48夜警
49労働下宿の人夫
◇上京して仙人になる(昭和37年 36歳)
丸山豊(恩師)
松永伍一
川崎洋
未来社社長・西谷能夫
灰谷健次郎
「自分の人生のお手本であり高木さんは一種の仙人ですよ。真似できるものではない。」
◇高木護が好きな作家
葛西善蔵、辻潤、車谷長吉
◇今も生きる昭和の仕事
竹細工 桑原竹細工店(八代市日奈久町)
日本最古のふりかけ
㈱フタバ(熊本市島崎) 「御飯の友」大正初期
一間羽子板 八代市本町の大岡治光氏
ポン菓子 吉村利子(北九州市) 実家は八尾市の橘家
㈱タチバナ菓子機社長 吉村利子氏
小学校教師 - 子どもたちの栄養不足解消を願って
京都大学の先生に依頼
昭和19年50万円を持って北九州へ 夏休みを利用して
八幡でポン菓子を作る → 教師を辞め九州に ポン菓子一筋
◇なぜ昭和の仕事は失われたのか
弱肉強食の競争社会
- 庶民の力では及ばない力
◇あとがき
「人が欲も名誉も求めず、自分の仕事に誇りをもって一日一日を大切に生きた時代の仕事」を残したい
→ 自分たちのやってきた仕事が形に残る喜び
◇澤宮優
1964(昭和39)年 八代市(旧八代郡鏡町)生
ノンフィクション作家