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小浜逸郎さんはこんなことを④-「この国はなぜ寂しいのか」PHP 1998年(4) /「おちついた読書」(宮本常一『見聞巷談』八坂書房 2013年より⑤)【再掲載 2014.2】 [読書記録 教育]

今回は、10月19日に続いて、
「小浜逸郎さんはこんなことを」4回目、
「この国はなぜ寂しいのか-『ものさし』を失った日本人」4回目の紹介です。



出版社の案内には、


「『失楽園』現象から『酒鬼薔薇事件』『金属バット事件』『個性尊重論』の問題に至るま
 で子供や思春期の少年たちにかかわる社会現象をテーマに、不安と虚無感におびえる世
 相を読み解く。精神不況の時代を読む。」


とあります。



もやもやした、言葉にできないことを、
小浜さんがはっきりと言ってくれているように感じます。



今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「学校問題を法的な言語でくくるのは難しい
牧歌的な領域だった「学校生活」の中から「訴訟」という硬質の公的手段に訴えな
くてはならない殺伐たる事件が発生すること自体未経験」


・「生徒を校則で縛ると行きすぎた管理といって非難される。(学校の)外で目に余る行為
  を生徒が行うと、どんな教育をしているのだといって非難される。」
「学校は何ともいえない立場」
- 社会はいったいどちらを望んでいるのでしょう?


・「大人と子供の人権の意味は違う
= 子供は子供であるという理由で,大人が大人として果たすべき様々 義務や責任を
   免除されている」


・「子供に対し甘えか自立か決定的岐路に立たせる
→ 親には引くことができない出番がある」


・「うまい大人化の道筋を! 『子供は親が教育しろ』」





もう一つ、再掲載となりますが、宮本常一さんの
「おちついた読書」(宮本常一『見聞巷談』八坂書房 2013年より⑤)を載せます。
掲載誌を見て納得しました。目的に合わせて自然に書かれたエッセイは見事だと感じます。




<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。



☆小浜逸郎さんはこんなことを④-「この国はなぜ寂しいのか」 1998年PHP(4)

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◇御都合主義の判決

□グロテスクな事件に対応できない法的用語

   パリ人肉事件    - 無罪 釈然としない


   鹿川君いじめ事件  - 地裁判決理由の筋の通らなさ


   山形マット殺人事件 - 犯人未確定


   宮崎事件


   バット息子殺し   - カウンセラーアドバイスのひどさ



□学校問題を法的な言語でくくるのは難しい

  牧歌的な領域だった「学校生活」の中から「訴訟」という硬質の公的手段に訴えなく
 てはならない殺伐たる事件が発生すること自体未経験


◎ 学校が本来の役割を果たせない理由
                                         
  1 「学校におけるいじめ」なる営みを言葉でうまく定義できるか

  2 学校の指導管理が,子供の生活を統制できる範囲や質について,親や社会との間
   に明確なコンセンサスが得られる現状にあるか




◎ 生徒を校則で縛る - 行きすぎた管理と言って非難される
◎ 外で目に余る行為 - どんな教育をしているのだ

                 ∥
              
           ※ 学校は何ともいえない立場
 



◇理不尽な子供の前に親は断固として立ちはだかれ

□1996年 金属バット事件 顛末

   怒りを表さない父

   家庭に入り込んだ粗雑な平等主義



  ◎ 家族にとって望ましくない恩恵
民主人権派思想
お子様教的信条

    ※「一人一人の子供の立場を肯定し,どこまでも温かく見守ってやることが大切」

     = 無責任な人権主義,温情主義に思想的歯止めが必要
    
  ◎ 大人と子供の人権の意味は違う

子供は子供であるという理由で,大人が大人として果たすべき様々 義務や責任
   を免除されている


  ◎ 親子がくぐる試練のプロセス
・ 親は子供をまともな自立した主体として育て上げる責任を持っている

     ・ 一方では愛と慈しみの幸せが感情を交換しあうことを目的にする場である

   ↓

       ◎ 社会の代弁者であり子供との親和
「傷」 「恵み」

        =  「傷と恵みの両義的意味」
    


□親が採るべき態度は? 

   「民主人権派」か「父性の復権」

×芹沢俊介  ○林道義

 ◎ 子供の前に壁となって立ちはだかれ!

 ◎ 子供に対し甘えか自立か決定的岐路に立たせる
親には引くことができない出番がある



□自立を促す道を閉ざしてしまった社会

  現代家族の病理  
    男子・・・家庭内暴力

  女子・・・不登校



  ◎ 要因 = 豊かさと少子化

    ※ 近代社会が思春期の自立への道筋をうまく提供できていない

           |

      ◎ 皆が勉強する必要があるのか?
◎ 労働がアイデンティティの子もいる

  ↑

    ◎<strong>うまい大人化の道筋を!
「子供は親が教育しろ」











☆「おちついた読書」(宮本常一『見聞巷談』八坂書房 2013年より⑤)【再掲載 2014.2】

<出版社の案内>
新聞・雑誌などに書かれた短い文章を六章に分けて収録。簡潔・軽快に書かれたこの一冊
で、厖大な著作群を読まずして、宮本常一の考えが鮮やかに浮かび上がってくる。
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 私は小学校を卒業して後、正規の勉強をしたのは師範学校の二部と専攻科の2か年だけ
であった。


 そのためか、机に向かって書物を読む機会はきわめて乏しかったし、図書館を利用する
ことも少なかったが、書物はほとんど手ばなしたことがない。


 電車の中、バスの中、人を待つ間などに読んだ。


 したがって、大きい書物を手にすることは少なかったが、それでも冊数にすると、かな
りの数にのぼっている。


 ただ、物を書くときは机に向かわねばならない。


 それは夜間が多い。


 昼は別の仕事に追われて、自分自身の仕事にぶちこむことは少なかった。



 考えてみるとまったく落ち着きのない日々であったといえる。


 しかし、これは私一人ではないようだ。


 電車へ乗ってみると若い人たちが何人が、かならず本をひろげて読んでいる。


 サラリーマンたちがスポーツ紙や週刊紙を読んでいるのと対照的であるが、この若者た
ちがサラリーマンになるとやはりスポーツ紙を読むようになるのだろうかと思ってみる。


 しかし、かならずしもそうではないと思う。


 10年まえに電車の中でこれほど本は読まれていなかった。


 みんながある落ちつきをとりもどしてきたことによって、まとまったものを読もうとす
る意欲がつよくなってきはじめたのだと思う。


 ただこの人たちも時間を十分に持っていないのであろう。


 だが読書の習慣のついた人たちは、これからさき図書館を利用することが多くなるので
はあるまいか。


 アパート暮らしをするものが多くなると、本をならべるスペースも少ないであろう。


 よい本をゆっくりおちついて読みたいというときには自然に図書館へ足が向かうように
なってくると思う。


 それにはよい本をたくさんそなえた図書館がたくさんできなければならない。


 そして人間が静かに物を考えるゆとりを持つようになったとき、はじめて人間がこれ
からさきどのように生きてゆくべきかという方向を、はっきり見いだせると思う。

  
         (「学校図書館」194号 全国図書館協議会 昭和41年12月)

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